「――――これは、厄災に勇者が敗れ、希望が潰えた未来」
あの日から変わってしまった。
みんなと修行して強くなって、ヨルムンガンドをやっつけに向かった日。
世界が悪い方へ進んでしまった。
わたしたちはヨルムンガンドの力を見誤っていた。
師匠たちもいればきっと勝てると思ってた。
くさびんの最後の一撃があの蛇に当たり、確かに倒したはずだった。
ところが、ヨルムンガンドがたくさんの目をギョロリと出して、めちゃくちゃに攻撃し始めて、くさびんが剣を真っ赤にさせて蛇に斬り込んでいった。
みんなくさびんを送り出そうと頑張った。わたしも途中で魔力が切れてしまって、頑張ったけど見送ることしかできなかった。
……くさびんの剣は、届かなかった。
斬り込む直前、くさびんの体は、蛇の酸弾に撃たれて転んでしまった。
そこにたくさんの酸弾が追い打ちを掛けた。
くさびんはどこにもいなくなった。
魔力も切れて戦う力をもたないわたしたちは逃げた。
地下から突き出たヨルムンガンドが、マリスハイムの街や城を燃やし尽くすのを背に、わたしたちはバラバラに逃げた。
その時からさぁや、ラシード、まるんにも会えてない。
それから3年が経って、わたしはチギリ師匠と一緒にあちこちに流れて、そして花の都ボリージャに辿り着いた。
その時には、解き放たれたヨルムンガンドが世界中で大暴れして、それに合わせるように魔物達が世界中を襲い始めた。
ボリージャにも魔物がたくさんやってきた。
わたしは師匠と一緒に街を守り続けた。
助けを求めて逃げてきた人たちを、保護しながら、毎日休むことなく襲ってくる魔物を倒して、倒して、倒して…………。
ある日、ボリージャを守る大樹の精霊さまが病気になった。
魔族がこの街を襲いに来て、大樹に大きな傷をつけたんだ。
花の精霊の力でも足りなくて、やがて大樹の精霊さまは腐り落ちてしまった。
大樹の精霊さまを失い、守りの力が大きく弱まったボリージャはさらに魔物の攻撃にさらされた。アルラウネの兵士と一緒に応戦したけど、次第に一人、また一人といなくなった。
毎日、誰かがしんでいく。
あしたはわたしかもしれない。師匠かもしれない。
ある日、街を一緒に守って来た冒険者たちがこの街を捨てようと言い出した。
わたしたちは反対した。ずっと守って来た人たちを放って、逃げたくなかったんだ。
もう二度と、マリスハイムと同じことしたくなかった……。
その次の日、街を捨てようと言った人たちが出ていった。
その日からもっと戦いは辛くなって、わたしももうくたくただった。
ある日、突然真っ黒な雲が、日の光を隠してしまった。今、お昼?
もうずいぶん前からわたしの正確だったお腹の音はなっていない。
あんまり食べ物がないから、お腹が鳴くのを諦めたんだ。そう思った。
「――ウィニ……! 師匠ッ!」
情景が移り変わって俯瞰するその世界で、僕は必死に仲間と恩師を呼ぶ。
だけど声は届かない。
チギリ師匠も疲弊した表情のまま、戦いで崩れた壁にもたれ掛かり、無言のまま体を休めていた。
ウィニも少し大人になっていて、いつものような仏頂面も、今では常に眉間に皺を寄せて苦しそうな顔をしていた。
なんとか届いて欲しいと願いながら仲間の名前を呼び続けた。
その時、ウィニが空を見上げ、僕と目が合う……!
「――ウィニ! 分かる? 僕だよっ!」
必死に呼びかけ続ける。
……しかし、ウィニは何かに気付き、杖を取って慌ただしく動き出した。
……僕に気付いたわけじゃなかった。
――敵がくる!
それも今までと比べ物にならない数がくる!
わたしは魔物の気配を察知して、師匠を起こす。
「ししょお、ししょおっ。敵がいっぱいくる……!」
「……やれやれ。休息もくれないか……。世知辛い……な!」
やっとのことで立ち上がった師匠と一緒に門へ向かう。
「…………なんという物量だ」
「……ししょお……。これは……この数は…………」
辺り一面を埋め尽くすたくさんの魔物が、まるで一つの大きな生き物のようにひしめき合いながらこっちに向かって来る。
「いけないっ! 皆! 武器を取って……! ここを守って……っ!」
花の精霊が泣き出しそうな悲鳴をあげて、防御の魔術を発動させている。
わたしは師匠といっしょに魔術を撃ちまくって数を減らそうとした。
だけど魔物の数が多すぎて、満足に回復できていない魔力はすぐに枯渇し始めてしまう。
「うぅ……。ししょお……わたし、魔力が……」
「ウィニ。ここは我がなんとかする。その間に魔力を少しでも回復させ給え!」
「でも……こんな数無理……! ししょお、にげよ――」
「――駄目だっ!」
「――――」
わたしは後悔した。
二度と逃げないと決めたのに、それをよりによって師匠に言ってしまうなんて。
「――ご、ごめ……んなさっ……」
罪悪感に苛まれて泣きじゃくるわたしを、師匠は優しく撫でてくれた。
その手の温かさが、今は何よりも救いに思えた。
「……いい。いいんだウィニ。――いいかウィニエッダ。君は逃げろ。我が時を稼いでいる間に。……疾く行くんだ!」
「ししょおっ……!」
凄い剣幕の師匠に気圧されて、わたしは走った。
魔物と反対の方向にひたすらに走った。
また逃げてしまうことへの罪悪感と、無力感で、わたしは押しつぶされそうになりながらも必死に走り続けた。
……でも。
「……やっぱり。やだ」
わたしは踵を返して来た道を走った!
やっぱりもう逃げたくない。師匠も置いて逃げたって。
もう何も残っていないこの世界で、師匠だけは傍にいてくれた。
失いたくなんか、ない!
わたしは師匠と別れたところまで戻って来た。
だけど師匠の姿はどこにも見当たらない。不安が大きくなっていくのを感じる。
「ししょおっ……! どこ……?」
街の中に魔物が侵入し、あちこちに悲鳴が横行する中で、わたしは地面に突き刺さる一本の杖をみつけた。
わたしはその杖に前で脱力してしまった。
「…………ししょぉ……」
その杖の傍には血溜まりがあった。
そして魔物に踏み荒らされてビリビリに破けた、師匠が身に着けていたローブが落ちていた。
師匠は、どこにもいなくなった。
「……ひぐっ……ぅぇえ…………っ」
とめどなく涙が流れて、嗚咽がやまない。
もうこの世界に何も残っていないんだ。
……その時背後から魔物の気配。
悲しみに暮れても、絶望してもわたしは魔物の気配に反応して立ち上がる。
だいすきな人の死を、悲しむ時間すら与えられない……!
「――うわぁーっ」
わたしは杖を振るった。
昔師匠に貰った宵闇の杖と、師匠の形見の杖を持って。
片手ずつ違う魔術を発動させて、魔物を倒していく。
その騒ぎを聞きつけて、魔物がまたたくさん寄ってきた。
それをわたしは叫びながら迎え討った。
でもそんなめちゃくちゃな戦いが続くわけもなく、すぐに魔力はそこを尽き、わたしはその場に崩れてしまった。
そこに魔物が殺到する。
防御も出来ず散々にいたぶられた。
もう動けない……。
虫の息となったわたしは、地面に横たわっていた。
薄れゆく意識の中でわたしは自分の死期を悟る。
わたしは最後に大きく息を吸い込んで……――――
「…………おなか……すいた………………」
「――ああぁぁ…………ッ! うあぁぁぁっっ……!」
僕は師匠とウィニの死の一部始終を見せつけられ、心が張り裂けそうになり、その苦しみに身をよじった。
目を逸らせども、瞑目しようとも、悲惨な情景が目の裏に映し出されるのだ。声も届かず、介入も出来ず、どうあっても逃れられない責め苦に、僕は胸に激しい痛みを覚えていた……。
「…………。……次の情景だ。汝は耐えられるだろうか…………」
苦しみうずくまる僕の頭の中に時の祖精霊の声が響くと、視界が真っ白になり、次の地獄が始まった……。