「――――これは、勇者が試練の末、廃人となった未来」
クサビを試練に送り出してから数分後の事だ。
笑顔で向かったはずのクサビが、森の中で倒れた状態で戻って来た。
あまりの突然の事態に、サヤが血相変えてクサビに駆け寄った。
……クサビは気を失っているわけではなかった。
遠くを見つめているようで、どこにも焦点が合わない。その瞳は虚ろで、活力が感じられない。
……何かおかしい。俺達は皆クサビの前に集まり様子を確認する。
「クサビ……? どうしたの……っ――クサビッ!」
揺さぶっても、サヤが呼びかけてもクサビは無反応で、表情一つ変えない。
「……くさびん? どーした?」
「…………っ」
ウィニ猫はクサビの異変に気付いていないようだったが、マルシェはクサビの顔を見ると、絶句していた。
「…………クソッ」
冒険者やってると、たまにこんな目をした奴を見かける事がある。
そういう奴は決まって、仲間と死に別れたばかりの奴だ。心的ショックで、考えることを放棄して、廃人になっちまってた。
…………こうなってはもう手遅れだ。
クサビの心は、もう死んじまってる。
……俺達の声も届かない程に粉々に砕け散っていた。
――一体中で何があった!? やっぱり一人で行かせるべきじゃなかった……!
俺は地面に拳を打ち付ける。悔やんでも悔やみきれず、感情をどこにぶつければいいのか分からなかった。
「……クサビ? もう、冗談は止めてよっ。ほら、試練終わったんでしょ? ……ねぇってば…………」
サヤはクサビを揺さぶり続ける。目の前の現実を信じられない。認めたくない。
震えるサヤの声がそれを物語っていた。
「サヤ…………。クサビは……もう………………っ」
マルシェがサヤの肩に手を置き、声を震わせながら言葉を詰まらせた。
その時、ウィニ猫が持っていた杖が地面にポトリと落ちたのが見えた。
「疲れてるだけよね。な、なんだ……。それなら早く拠点に戻らなきゃね! ラシード、クサビをお願いできる?」
「――――サヤ! クサビは……! ……クサビの心は……ッ! もう壊れちまったんだよ…………ッ」
俺はこんなサヤを見ていられなくなって、肩を掴んではっきりと告げた。
現実から背けるように笑うサヤの表情が消えていき、そして徐々に顔が歪み、双眸から涙が流れ始めた。
そして、その場に泣き崩れる。
「あああああーーーーッ!」
サヤの慟哭が森に響き渡る。
俺達も堪えきれなくなり、クサビの姿を見ながら涙を零した……。
それから俺達はクサビを療養させる為に聖都マリスハイムへ戻ることになった。
だが、その帰路の途中クサビは食事を一切受け付けず、次第に衰弱していった。
…………そして聖都に着く前に、クサビはその生涯を終えたんだ。
希望は潰えた。世界は勇者を失ったのさ。
――だが、これは悲劇の始まりでしかなかった。
「……サヤ、何してるんだ」
雨が降りつける聖都マリスハイムの入口でクサビの遺体を馬車に乗せているサヤに声を掛けた。さして荷物も積んでいないが、まるでこの場から去ろうとしているように。
俺はサヤの瞳を見て、全て悟ってしまった。
「あ……ラシード。今日はいい天気でしょう? クサビが散歩したいって言うから、たまには、ね」
サヤ……。こんな土砂降りじゃねぇかよ……。
「今日は少し遠出しようと思ってるの。クサビが楽しみにしてくれてるのっ。ふふっ」
………………ッ。
いつも通りの笑顔だ。だが、その瞳には希望の色は皆無で、全てを拒絶する絶望がそこにはあった。
……クサビを失った悲しみで、サヤまでもが心を病んでしまっていたのだ。
「……そうか。いい散歩日和だもん……な……! 気をつけて……いくんだぞっ!」
「もう、何で泣いてるの? 大袈裟よ〜。……じゃあクサビ、いきましょ?」
そう言うとサヤは馬車に乗り、楽しそうに鼻歌を歌いながら遠ざかっていった。
……それからサヤがどうなったのか、俺達はわからない。彼女が聖都マリスハイムに戻ってくる事は二度となかった。
それから希望の黎明はバラバラになった。
ウィニ猫は『さぁやを探しに行く』と言って旅立ち、俺とマルシェは、せめてチギリ達の力になるべく帝国を目指した。
……それから5年が経過した。
ここ、帝国とサリア神聖王国、マルシェの祖国ファーザニア共和国、そして今は亡き勇者クサビの故郷があった、東方部族連合の連盟のもと、冒険者による魔王への反抗勢力が発足し、冒険者を戦力の一翼に担うことで対抗力は向上したものの、戦火は拡がっていった。
4年前に世界中で突如一斉に勃発した魔物の大群の奇襲によって、大半の街や村々が滅んだ。
それらを守るため各地へ散った冒険者部隊の指揮官となったチギリ、アスカ、ラムザッド、ナタクだったが、誰一人として帰還することはなかった。
そして現在。
東方部族連合の部族は既に散り散りとなった。
南の砂漠の国には黒く染まった砂に、住む家も人も飲み込まれた。
サリア神聖王国とファーザニア共和国は抵抗虚しく滅亡した。
帝国も人の住む地は帝都のみとなり、既に魔族に包囲されている。
俺はチギリの死後、冒険者部隊の指揮官を引き継いだ。もはや俺が率いる部隊しか生き残っちゃいない。
だが完全に包囲されている為逃げ場もない。
俺達の命運はこの帝都と共にする事になるんだろう。
魔族が帝都の城壁に攻勢を掛けていた。喧騒の中、俺は晴れることの無い暗雲を見上げた。
…………クサビ。
お前は、俺達全員を引っ張ってくれた。
お前の存在は大きな希望となり、皆の心に希望の灯火を点けてくれた。
「クサビ……。もうすぐ、そっちに行くからな…………」
「ラシード。魔族が城壁を突破しました……」
今は亡き友に一言告げていると、副長のマルシェは神妙な面持ちで報告に来た。
「なあ、マルシェ」
「はい、なんですか? ラシード」
哀愁を漂わせた俺達は、互いに死期を悟っていた。
俺達は、もうじき死ぬ。逃れられない運命なのだ。
「すまねえな。俺と心中とか、嫌だよな」
俺は茶化すようにふざけて言う。まるで死への恐怖をひた隠しにするように。
「……何を言ってるんですか。何年共に居たと思ってるんです? ……本望ですよ。貴方となら…………」
マルシェが俺に優しい笑みを向ける。
……くそ。こんな時になって……。もっと生きたいと思っちまうじゃねえか……!
「――最後の出撃だぞ、行くぞマルシェ!」
「ええ。奴らに一矢報いてやりましょう!」
俺達は武器を手に立ち上がった。そして城門前広場へと向かう。
広場の真ん中までやってきた。
もう城壁のあちこちが崩壊し、魔族が侵入しようとしている。
それを残った冒険者や兵士が応戦していた。
俺はハルバードを回転させながら魔物の群れに突撃していった!
その横を剣と盾を持ったマルシェが並走する……!
「うおおおおー! 俺の名は! ラシード・アルデバラン! ここを通りたくば俺を倒していけやァーッ!」
「マルシェ・ゼルシアラ……ッ! この命尽きるまで!」
俺達は雄叫びを上げて魔族の軍勢に襲い掛かった!!
懸命に武器を振り敵を屠るが、圧倒的な数の魔物に俺達の体が斬り裂かれていく……! 体中から血を流しながらも俺は必死にハルバードを振り続けた!!
そして……。
「――ぐあっ……!?」
「あ、ああああ……ッ」
俺とマルシェの体は斬り刻まれ、ついに地面に倒れ伏した――。
「……マ、マルシェ……!」
「……ラシード……ッ!」
俺はマルシェの手を握り、マルシェが握り返す。
もう体中に穴が開いていて、もはや風前の灯……。
「……すまねぇ。……マルシェ……ッ! こんな俺に着いてきてくれて……よ……っ」
「…………謝ることなど……ありません…………」
マルシェは、ふっと俺に微笑むと、そのまま旅立ってしまった……。握った手の力が抜けていく……。
…………ああ、先に逝ったか……マルシェ……。
「俺も……っ、すぐにッ……逝……………………………………」
「――――――――ッ!」
大切な仲間が、かけがえのないものがまたこの手からすり抜けていく……。
僕は声にならない慟哭に全身を震わせていた。
――――ッ! ……もう嫌だっ……! ……もう見たくない! こんな悲しい光景はもう――――ッッッ!!!
もはや自我を保つのが限界だった。
僕が必死に目を瞑り、耳を塞いだその瞬間――――
「――次が最後だ。勇者よ」
突然時の祖精霊の言葉が無情にも頭に響いた。
同時に再び僕は光に包まれた……。