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Ep.266 赤髪の幼馴染の情景

「――――これは、先に見せた未来の、もう一つの可能性の未来」





 時の祖精霊の試練から戻ってきたクサビは、既に心が壊れてしまっていた。

 感情というものが粉々に砕けたクサビの姿に、私は絶望した。何度も嘘だと思いたくて呼びかけたけど、クサビが私を見る事は一度もなかった。


 もうクサビは私達に見向きもしない。



 私は世界も何もかもどうでも良くなって、ラシード、ウィニ、マルシェと別れて人知れずアサヒを連れて聖都を離れた。



 そして故郷の東方部族連合のホオズキ部族領に、時間を掛けて戻ってきていた。


 クサビは相変わらず虚空を見つめているけれど、ちゃんと生きている。生きていれば、きっといつか元に戻る……。そう信じてる。


 それから時間を掛けて、私達は懐かしの故郷の土を踏む。

 しかしここには何も無い。

 故郷の村は、魔王に何もかもを破壊され、滅ぼされてしまった。


 だからもう、ここには何も無い。


 それでも私とクサビにとっては故郷だ。

 ここで二人でひっそりと暮らして、クサビの心を癒していこう…………。


 滅ぶ前クサビの家があった場所にテントを張り、そこを住まいとした。一人用のテントだけれど、毎晩私はクサビを抱きしめて眠った。

 幸い村の名物であった温泉は魔物に汚されずに残っていた。私はそこでクサビの体を洗ってあげた。


 クサビは何も応えてはくれない。


 …………。



 故郷に戻ってから1ヶ月が過ぎ去った。

 クサビは相変わらずだったけど、最近少し変化があった。

 ほんの僅かだけど、声を発するようになったの。


「……………………ぁ…………」

「――っ! クサビ? わかる? …………」


 大きな一歩だと思った。

 いつかクサビが元に戻るかもしれないという希望が持てたから。





「………………サヤ……」


 僕は空中に浮遊してサヤの姿を眺めていた。サヤの思いが流れ込んで言葉にならない。

 何か、一声でも届けたかった。でもこの世界に僕は干渉できない……。

 絶えず胸が強く締め付けられ胸が張り裂けそうだった。

 心が拒絶し目を逸らしても、非情にも情景は僕を追いかけて視界から離れない。……その光景から目を離すことは許されない。


 これまでの地獄を目の当たりにしてきた僕の心は疲弊しきっていた……。






 さらに時は経ち、私はクサビと一緒に近くの川で魚の調達をしていた時だった。


 ふと、視線に気付いてクサビを見ると、クサビは私を見て微笑んでいた……!


「ク、クサビ……? ――わ、私が分かるのっ?」


 虚空ばかり見つめて無表情だったクサビが、私に笑いかけてくれていた!

 元に戻ってくれたのだと、私はクサビを抱きしめる。


 ……しかし。


「…………」


 クサビの表情は変わらず虚空の彼方を見つめていた。

 気のせいだったのだろうか……。

 でも、いつかきっと感情を取り戻して、私に微笑み掛けてくれる日がきっと来る。……絶対に来る。




 そうしてクサビと一緒に暮らして、一年の月日が経った。

 最近のクサビは、声を発するようになった。

 一日にほんの一瞬、きちんとした言葉ではないけれど、何かを伝えたいという思いが芽生えてきていることに、私は心から喜んだ。


 時間はあるわ。……ゆっくり心を癒しましょうね……。




 私とクサビとアサヒ以外に、誰も居なくなった故郷の村跡の景色は移ろいゆく。


 やがてまた寒い季節がやってきた。


 雨風を凌げる丈夫なテントとはいえ、寒さは容赦なく体温を奪っていく。

 私はクサビが凍えてしまわないように、出来る限り抱きしめて体を温めた。


 こんなにも冷たいクサビが風邪を引いてしまわないか心配だった。

 昼も夜もクサビを抱き寄せて寒さを凌いだ。

 ……クサビ、少し軽くなったかしら。


「…………さ…………や………………」

「――っ!」


 外の吹き荒れる風の音に紛れて、微かにクサビの声が聞こえた……!

 今までは脈絡のない言葉を発することはあったけど、今クサビは確かに私の名前を呼んでくれた!


「……そうよ、サヤよ……! 私はサヤだよ…………っ」


 クサビが私の名前を呼んでくれることが嬉しくて、私はクサビを強く抱きしめた……。




 そして厳しい寒さは過ぎ去り、暖かな陽気が帰って来た。

 私は食料を調達する為に出掛けていた。最近クサビが軽くなってきた気がするから、たくさん食べさせないといけない。


 全てが焼け落ち焦土と化したかつての故郷にも、新たな命が芽吹き始めていた。小さな芽を出す草花の力強く懸命な命。その生きる事を諦めない強さに、私もそうあろうと思えた。






 絶えず情景が移り変わり、僕の心にヒビが入る。

 もう見たくない。サヤのあんな姿はもう……!

 これが起こり得る未来だというなら、こんな報われないことがあるか……!


 今まで見た仲間達の息絶えた最期の表情が思い起こされる。誰もが傷つき、絶望に苛まれながらも、諦めまいと戦い抜いた。

 だけどそこに奇跡は起こらなかった。決して報われることはなかった。

 世界はどこまでも残酷で、ささやかな幸せを願うことすらも叶わない。


「…………僕は……」


 空虚の中で呟き、言い淀む。その先の言葉を失ってしまった。

 もはや僕は何の為に剣を取ればいいのか分からなくなっていた。


 ……それでも残酷な世界は、僕に観測を強要するんだ。






 ここに来てから約5年が経っていた。

 私とクサビは変わらずかつての故郷で暮らしている。

 変わった事と言えば、最近空が全く晴れない事かな。クサビをお日様の下で休ませたいのに。


 クサビはひと月に1度くらいは私に微笑み掛けてくれるようになった。クサビは確実に良くなっている。完全に治るまで、いいえ、治ってからも私がずっと傍に居るからね……。



 そして、私は食糧の調達に川で魚を取っていた時、川沿いに何かを見つけた。


 それは人影……。違う。あれは……!

 その影は異形だった。


 ――魔物だ!

 魔物は私に気付いたようだ……!


 ――まずい! 武器を持ってこなかった!



 私は踵を返してテントへ走る。

 その時クサビの傍に居るはずのアサヒの嘶きが木霊した!


「…………ッ! クサビ!!」


 私はクサビが心配で走り出す!!


 テントに近付くにつれ、魔物の咆哮とアサヒの悲鳴とが耳に入ってくる! 私は血の気が引いて青ざめる。


「――クサビ……クサビっ!!」


 私は強化魔術で加速して、テントへ転がり込んで刀を取る。そしてクサビの様子を確認する。


 ……クサビはすやすやと眠っている。……よかった。無事だ!


 急いで応戦する為にテントを出ると、アサヒは既に複数の魔物に襲われてしまっていた……っ!


 横たわるアサヒの体が痙攣している……。そして息付く暇無くその喉元に鋭い爪が突き立てられた…………ッ!


「――――あぁ……ああっ……っ!」


 目の前で失われた家族を前に、私は絶望と悲嘆に暮れるしか出来ない。


 そして今度はクサビに向かって襲いかかる魔物がいることに気付いた!


 ――それだけはさせない!


 クサビを守ろうと私は咄嗟に刀で斬りかかる……!


 次々と襲い掛かる魔物を斬り伏せるも、次の瞬間、魔物の爪の一撃を受け止め切れず、テントの方へ吹き飛ばされた……。


「――あぐ……っ!」


 最近の穏やかな生活に体がなまっていたのか、私は頭を強く打ち付けてしまった。

 そして、テントが倒れてしまった!


 ――――クサビが魔物に見られてしまう――――!


「……クサビ…………! …………っ!」


 私はくらくらする頭で必死にクサビの名前を叫んだ。今だけでいい。今すぐ立ち上がってそこから逃げて欲しいと願いながら。


 しかし。




 ……クサビ?


 ………………どうして、骨みたいに……なっているの……?

 ……なんで……。


 倒れた私の傍で眠っていた筈のクサビが白骨化していた。所々が欠けていて、まるでその状態になって随分経っているかのようだった。


「……クサ…………び……?」

 私の目の前が暗くなっていく……。



 …………ああ……。

 …………そうだった…………。


 思い出した。私がマリスハイムを出た時にはもう、クサビはこの世には居なかったのだと。その事を受け止められなかった私は、クサビが掲げた使命も仲間も何もかもを捨てて来たのだということを……。


 ……何故、今になって思い出したの。

 独りになるくらいなら、このまま幻覚のクサビと一緒に暮らしていきたかった…………。


 朦朧とする意識の中、それでも私はクサビの前に這いずり、庇った。

 魔物は今のクサビには一切の興味がないのを知りながら、私はクサビを守るというたった一つだけ残った使命を果たそうと……。


 ……もうクサビは居ないのに。


 魔物がじりじりと私に迫る。目の前に迫った死を前に、私は魔物を睨みつけて笑った。


「…………は……はは……。どうしたのよ、さっさと殺しなさいよ! クサビの居ないこんな世界で生きていたって意味なんかないんだからッ! ――早くやりなさいよッッ!!」


 魔物が腕を振り上げ、鋭い爪を私に振り下ろす。



 …………クサビ……。今……そっちに……………………。






「あああああ――――――ッ!!!」


 僕は絶叫し、そして膝から崩れ落ちる。


 もう……こんなの耐えられなかった。

 もう……嫌だ……! いやだ……!


 ……いやだいやだいやだいやだいやだいやいややいやいやいやいやいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやいやいや――――――。



「………………」

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