目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

Ep.272 希望

 あれから数日が経過していた。

 私達は未だ海上を進む艦の中にいる。シンギュリアまで、あと2日の距離だった。


 クサビは食事を摂るようになってから、少しずつ変化の兆しが見え始めていた。

 握る私の手を、微かだけど握り返してくれるようになり、小さかったが時折声を発することがあった。


 クサビはきっと戦っているんだ。私達の元に戻るために懸命に……!


 私がずっと傍にいるから……。負けないで――――!

 そう、クサビの手を握りながら祈り続けた……。






 憎悪をまき散らした闇色の僕から、殺気が伝わって来る。

 そして互いに剣を抜いて構えた。


「僕は認めない……! これ以上の悲劇を見るくらいなら、ここでお前の心を打ち砕いてでも止めてやるッ!」


 ここに閉じこもっていても同じだ! 君にも分かるはずだ! 僕は孤独も耐えられないのだから。

 僕を消し、君がここに残っても! いずれ孤独に耐えられず未来永劫苦しみ続けることになる!


 互いに全く同じ構えを取る。相手は僕自身だ。僕の考える事なんて嫌と言うほど理解している。


 不思議と僕は冷静に相手を見据えていた。負ける気はしなかった。

 何故なら、僕には待っている人がいるからだ。頭の中で響く仲間の声が、思いを越えて伝わる温もりが、僕に力をくれるんだ!


「僕が、僕を苦しめるのかッ!? ――もうやめろッ……!!」


 影は頭を掻きむしって僕の言葉を拒絶する。

 僕と影の思いは対極にあり、言葉ではもう交わらない。


 互いが互いを消すことで、存在を証明しようとしていた。


 僕は、僕の中に生まれた諦観を断ち切る為に。

 影は俗世を絶ち、これ以上苦しまない為に――。


 僕らは剣を強く握った!



 ――影が足に力を溜めた。突っ込んでくるぞ!


 瞬きの間に瞬時に眼前に飛び込んでくる影は、速度を活かしたまま僕の左側からやや斜め上に剣の刃を滑り込もうとしている。

 そんなのお見通しだ。それは僕の癖なのだから!


 僕はその斬撃を素早く体を捻りながらしゃがんで躱し、相手の視界から消える。

 そして捻っていた勢いのまま回転して足払いし、影の僕の足を掬った!


 体制を崩した影は転倒する前に手をついて飛び退き距離を取る。



 僕は影に剣の切っ先を向けた。


 僕は君を乗り越える! 臆病な部分の自分を……ここで断ち切る!


「僕が……僕を否定するのか……! 僕はここに居ちゃいけないのか!」



 影が再び剣を構えて迫って来る。


 感情的になった僕の行動が手に取るように分かる。

 君は、斬り込むと見せかけて火球の魔術を放つんだ。


 そしてそれはその通りになった。

 掛け声を上げて駆けながら右手を突き出し、連続で3発の火球を撃ち出してくる。


 それは牽制のための、速射に特化した火球だ。威力は弱めなのも分かっている。


 僕は影と同じく右手を向けて、圧力を高めた水の下級魔術『水鉄砲』を一発放った。

 勢いよく撃ち出された水の弾丸は、影が放った火球を全て打ち消し、そのまま影の僕に迫った。

 それを影は体を傾けて回避する。僕はその時の体制が崩れる瞬間を待っていた。


 足に溜めていた強化魔術を破裂させるように解放し、急接近して僕は一気に斬り掛かった!


 ――影を間合いに捉え、高く構えていた剣を袈裟に斬る! その刀身は赤い軌跡を宿していた。


 ――熱剣ッ!


「――ッ……熱剣ッ……!」


 影は体制を崩しながらも剣を振り上げて僕の剣を受け止めた!

 互いの解放の神剣の刀身が赤く輝き放ち、激しく打ち合って火花を散らす。


 僕は連続で斬撃を放つ! それを影は剣で受け返して打ち合った!


 幾度も剣戟の音が響き合う剣の打ち合い。

 赤い軌跡が乱舞して打ち合う度に赫灼(かくしゃく)を起こしていた。


 そしてやがて僕らは鍔迫り合い、刃を交差させて互いに見合った。



「――試練でうんざりする程絶望したじゃないか! もう見たくないと目を逸らした!」


 ……そうさ。一度僕の心は折れかけた。……でも君も感じている筈だ! 僕を包む温もりが! ……僕を待つ仲間の声がッ!


「それが苦しいんだよッ……! それが辛くて辛くて堪らないんだよッ……! 僕は何も成せない……。せめて残ったこの心を守りたいんだ!!」


 君の……いや、僕の気持ちは痛い程分かってる! でも、ここに居ても苦しいだけだ! 僕らが見せられたあの未来がこのままでは現実になってしまう! 君は……――お前は大切な人達が死ぬのを分かっていて何もしないつもりか!? それがお前の本心か! 違うはずだッ


「――ッ……!」


 僕は戦う。あの未来を現実にしない為にも。まだ間に合う! だから――


「……やめろおおおおおッッ!」


 激昂した影が叫び声を上げた! そして力の限りに剣を振り上げる!

 僕もそれに応えるように全力で剣を振るった!


 互いに再び距離を取り、同時に打ち込んだ!


 ――――ギィン! ガッ! ギンッ!――――


 僕と影は互いに息付く暇なく剣を振るい続ける。

 幾度となく互いの剣をぶつけ合いながら思いをぶつけた!


「この先! お前はもう一度あの惨劇を直視できるか! 僕には無理だッ……! 今度こそ完全に壊れてしまうんだぞ!」


 二度とあんな光景見たくないさッ! ……だから止めるんだ! 最初から諦めるなァ!!



 剣は剣戟の音を鳴らしてあらゆる角度から翻して相手に激しく斬り込み合った。

 掠める刃は互いの体に傷を付け、それでも尚相手を見据えながらラッシュを掛けた!


 そして互いの剣はまた交差して力の押し合いを展開する。

 力は互角。

 この勝敗を決める事ができるのは、どちらの思いが強いかだけだ!


 僕は声を張り上げる!


 お前は僕だ! お前の気持ちは僕が一番良く分かってる! でも、それでも僕は進むんだ! 例え未来に待つのが絶望だとしても……僕は、それを希望に塗り替えて見せるッ!


「……ッ!!」


 ――影が反応したと同時に、剣にヒビが入った。


 この何もない世界に突然剣が現れた時、僕は確信していたんだ。


 この剣は、僕の意思そのものだ。

 互いの意思を証明する為に、決着をつける為に僕自身の心が作り出した幻影。


 そして、影の剣にヒビが入ったのなら、それは影の心が揺らいでいる何よりの証左だ!



 ――僕は仲間達の姿を思い浮かべながら更に押し込んだ!


「――ぐゥゥゥウウゥゥゥッッ!!」


 必死に唸りを上げながら抵抗する影の剣のヒビがさらに割れ、剣先が砕け散って――――


 とうとう影が剣を手放した。



「ああ……あああああぁぁッッ!!!」


 影が絶望の声を上げる。

 そして影は愕然と膝をついて項垂れた…………。




 長い沈黙が僕らの間に漂う。

 膝をついて戦意喪失した影が、力なく僕を見上げて今にも泣きそうな声を出した。


「…………僕は、誰の苦しむ姿も見たくなかったんだよ……。僕が動いても助けられなかったらと思うと、助けを求める人の顔が……声が…………頭から離れないんだ……」


 ……うん。痛いよね、恐ろしいよね。

 君は僕の恐怖の感情だ。助けたいと強く思うあまり、助けられなかった時の傷が深い、僕の一部。



 影の僕の体から黒いモヤが湧き出し始める。影の僕がこの空間から消え始めていた。


「……何もかも拒絶してここに籠った結果がこれか……。もしかしたらお前が正しかったのかもしれないね。……僕はどうなってしまうんだろう」


 君を一人にはさせないさ。……一緒に行こう。

 そう念じながら僕は影に向かって手を差し伸べる。


「何を言ってるんだ。君は僕を断ち切って皆のところへ帰るんだろう……?」


 僕も剣を交えるまではそう思っていた。でも互いの思いをぶつけ合ううちに分かったんだよ。……君も、僕には必要なんだ。


「…………僕は自分の心を守る為に全てを拒絶したんだぞ。そんな感情が、勇者に必要なものか」


 違う。君は僕の人間らしさだ。君が居なければ僕は僕じゃないんだ。

 だから、今解放する……。



 僕は解放の神剣を高く掲げる。

 すると剣先から眩い光が力強く放たれた!


「――これは……勇者アズマの……」


 そうだ。退魔の精霊が言っていた、勇者アズマが僕に遺してくれた光の技だ。

 僕はこの光の技を理解した。だから、きっと出来る……!



 僕は影に向かって微笑むと、さらに光を増大させていく。

 そしてその光は影をも包み、体から湧き出ていた黒いモヤをかき消した。


 そして真っ黒だった僕の影の姿が鮮明に色づいて、僕と全く同じ姿になった。

 その様子に驚愕している影だった僕。


「……ああ、温かい。胸の奥が…………」


 影は自分の胸のあたりを抑えながら、その温もりを噛み締める。

 その表情は鬱屈としたものなど初めからなかったかのように清々しげで、瞑目して一筋の涙を流していた。


 その姿は、恐怖に捕らわれて変貌してしまっていた、僕の本来の心だった。

 影は人を思いやる思いが強すぎるが故に、悲惨な未来を見て心が耐えられなかったのだ。


 僕はその呪縛から解放させた。

 勇者アズマが遺した光の剣技『希望』によって。


「……希望、か。……うん。いい名前だ」


 影の……いや、慈愛の心を宿した僕が笑った。

 つられて僕も笑う。



「……ありがとう。勇気を思い出すことができた。これで、君と共に行ける」


 うん。一緒に行こう。皆が待ってるよ。



 僕と僕は強く頷いて、互いに手を取り合った。

 その瞬間、空間が一面に眩く照らされて、僕らは光に攫われていった。



 ――帰ろう。皆のところへ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?