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第8話 空振る

 「申し訳ない。私も前をちゃんと見てなかったから」

 「いや、明らかに悪いのは私です。ケガしてませんか」


 大崎は顔の前で大きく手を振る。

 大崎はスッと立ち上がり、ズボンの汚れを払った。いつもは作業着やラフな格好が多いが、ボランティアがないからかしっかりとしたシャツを身にまとっている。


 「夏川さんは大丈夫?」

 「全く問題ありません。じゃあ、すいませんでした」

 「待って、もう暗いのに大丈夫?」


 大崎は心配そうに問うが、朱音は笑顔で答えた。


 「ええ、ちょっと用事があるだけなので大丈夫です。ありがとうございます」


 よりにもよって大崎にぶつかったことに朱音は申し訳なさを感じる。顔を赤くしながら、今度はしっかりと前を向いて足を早めた。


 朱音は聞き込み相手がいる文化会館のもとへ向かった。ボランティアの会のメンバー、加藤からの情報によると、相手は将棋サークルに入っている人で、毎日授業終わりに文化会館の和室にいるはずだという。


 しかし文化会館へ訪れるも将棋サークルの活動場所に聞き込み相手の姿がない。その建物にいる学生に聞いて回るも、居場所を特定することはできなかった。


 「たまたまかな」


 こういう時は大抵偶然ではないのがミステリーのお約束である。しかし朱音は今日ここに来ることを誰にも言っていないから、手を回されたとは考えにくい。


 仕方なく文化会館を出て来た道を戻っていると、少し先の曲がり角で見覚えのある人物が曲がっていくのが見えた。ガタイのよさ、ゆったりとしたポロシャツ。間違いなく室戸だ。


 「これもたまたまってことでいいのかな」


 これといった収穫もなく家に帰ると、朱音に中井からメッセージが数件届いていた。


 “大丈夫? 最近勝手に調査してない?”


 図星を刺された朱音は動揺したが、なるべく自然にメッセージを返信する。


 “大丈夫です。大学始まったばかりで忙しいですし”

 “だよね。原因も分かってないし、どこで誰が聞いてるか分からないから気を付けた方がいいと思う。俺らだって所詮素人だし”


 さらにくぎを刺された朱音だが、ここまでくれば引き下がることはできない。「そうですよね」とだけ返信し、スマホを閉じる。


 いたって真面目な行方不明者、無言の保護者、何かを知っているであろう室戸、無数の情報が頭の中をぐるぐる駆け回る。 

 誰かが意図したものなら、誰が、何のために。何の連絡もSOSもない。

 全員がボランティアの会メンバー。6人の失踪は必ずどこかでつながっているはずだ。


 朱音は室戸には聞き込みをしたが、大崎にはまだ聞いていないことに気が付いた。一度は諦めたが、普段から学生と親しい大崎ならやはり何か知っているかもしれない。

 朱音は懲りずに引き続き調査を決行することにした。


 翌日、講義の後を狙い大崎に聞き込みをすることにした。


 しかし、講義を終えた後大崎は室戸に呼ばれ、すぐに退室してしまった。朱音は悔しくなり無意識にじっと室戸をにらむと、一瞬室戸と目があったような気がして慌ててそらす。


 「くっ、室戸先生妨害ばっかりしてくる気が……」


 まさかこちらの動きを読んでの行動か。

 一瞬疑ったが、あの面倒くさがりな室戸がそこまでするとは朱音には思えなかった。


 聞き込みもいよいよ頭打ちとなり、朱音は仕方なくボランティアの会の部誌づくりを始めた。


 行方不明になっている学生の性格は明るい、真面目、おとなしい等様々だ。共通点と言えば皆教職免許を取ろうとしていたこと、ボランティアの会メンバーだということ、バイトをしていたこと。

 ボランティアの会はともかく、教職免許やバイトは多くの学生に共通することである。皆学費や定期代を稼ぐために必死に働く熱心な生徒。


 部誌を作っているうちに朱音は睡魔に襲われ、机の上で眠ってしまった。


 教室に窓から光が差し込み机がほのかに暖かい。静かな教室に外からの楽しげな声が漏れ聞こえる。その声に耳を傾けながら、朱音はページをめくる。


 面倒なことから一切逃れて、ただ一人。あの頃は静寂こそが最大の幸福であると信じていた。


 「あかねちゃん、ドッヂボールに行こうよ」

 「ごめん、ちょっと忙しくてさ」

 「えー、じゃあ行ってくるね」


 不思議そうな顔を一瞬浮かべて、その子は友達と走っていってしまう。 


 これでいい。面倒なことには関わらない。無理に会話を合わせることも、意味のない笑顔を浮かべることもない、平穏な日々。


 「朱音、亀の散歩手伝って」

 「え?」

 「暇でしょ。あと水槽も洗いたいし」


 ある日、急に目の前に現れたその人は朱音の静寂を奪った。しかし、それと引き換えに、その時の朱音は知らなかったもっと素晴らしい何かを与えてくれたのかもしれない。

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