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第9話 焦る

 次の日の講義間の昼休み、朱音は中井に昼食に誘われていた。先に食堂へ行き、激しいテーブル争奪戦を終え、一息つく。


 「お疲れ様です」


 後から来た中井は疲れきり、顔もどこかやつれている。


 「お疲れ。どう、最近は」

 「まあまあ充実してますよ。それより数馬先輩すごく疲れてませんか」


 中井は「はぁ」と大きくため息をつく。目元には珍しくクマが浮かんでいる。


 「ちょっと忙しくてさ」

 「とりあえず何か食べましょう」


 朱音はたぬきうどんを、中井はカレーを頼み、食べ始めながら互いの近況を話した。ただし、朱音は一人で聞き込みをしていたことは決して口に出さないと心に誓う。


 「カレーが体に染み渡るねぇ」

 「カレーって染み渡るものですかね」


 朱音はさらりとツッコみ、そばをすすった。


 「そういえば、大崎先生に行方不明者については何か聞いてないんですか」


 中井はまたその話かと言わんばかりに嫌な顔をしてから、しぶしぶ答えた。


 「最初の頃は聞いたけど、分からないとしか言われなくて。多分本当になんにも知らないんだと思うよ」

 「そうですか。 もう一回聞いてみるというのは」

 「ダメ。あの人忙しいし、学生思いだから色々気にしてるかもしれないし」


 頑なに中井は許可を出さない。確かに聞くことで大崎に精神的にもダメージを与えてしまうかもしれない。あの穏やかさだからなおさら心配なのも理解できる。


 「それより、もうすぐ子ども会のイベントあるから準備進めないと」


 朱音はまたも話をそらされてしまう。


 「あと俺、来週大崎先生の土曜講義行くんだよね」

 「土曜日に大変ですね」


 中井は大きくうなずく。


 「まあね。しかも半日合宿。でもそれさえ終わっちゃえば楽になると思うから」

 「ですよね」


 土曜講義は通常よりも拘束時間が長く多くの学生は避けようと試みる。しかし単位上の都合でどうしても行かなければならないことがあるらしい。


 「頑張ってください、先輩」

 「おう。あ、トーブー君つけてるんだ」


 中井は朱音のリュックを指さす。リュックにはトーブー君がぶらりとぶら下がっていた。


 「そう。折角もらったのに付けないわけにはいかないですからね」

 「俺も持ってるよ。ほら」


 中井はリュックからメガネをかけたトーブー君を取り出す。


 「先輩は外側につけないんですか」

 「移動中に外れたら困るからね」

 「なるほど」


 何気ない会話をしながら昼食を終えると、中井は少し調子を取り戻したようである。食事をとる暇もないほど忙しくしていたのだろうか。

 朱音は少し中井の疲れ具合の原因が気になったが、課題にでも追われているのだろうと深刻になることはなかった。


 月曜日再び昼食をとる予定を立て、二人は分かれた。


 それからはしばらく何事もない穏やかな日々が続いた。講義も増えたが、少しずつ慣れてきた朱音は順調に大学生活を送っている。


 そして約束の月曜日。朱音は席をとって中井を待っていた。だが、中々現れない。


 「まーた講義長引いてるのかねぇ」


 10分ほど経っただろうか。そろそろ食べ始めなければ次の講義に間に合わない。仕方ないのでメッセージを送ってみることにした。


 “そろそろ食べないと間に合わないですよ”


 いつもならすぐにつく既読が、こういう時に限って付かない。


 “先食べちゃいますよ”

 “大丈夫ですか。今日学校来てます?”


 何分経っても既読がつくことはなかった。


 まさか、先輩にも何か起こったというのか。


 朱音は衝動的に席を立ち、走り出す。周りにいた学生たちは一瞬不思議そうな目で見たが、すぐに朱音の席の後をめぐり争奪戦を始めた。


 数馬先輩、もしかして――。

 いや、あの人に限ってそんなはずは、ない。

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