「今日は良かったね。立神君、おいしそうに食べてくれて」
下校中、千沙が真希に言った。
「うん。でも、伊集院さんがあんなに怒るなんて思わなかったわ」
真希は聖母の心を持っているので、自分のこともあるが、留美のことも心配していた。留美が傷ついたんじゃないかと思うと、いたたまれないのだ。
「いいじゃない。勝手に怒らせておけば。だって、立神君が真希のお弁当を食べるかどうかなんて、あの子がとやかく言えることじゃないじゃない」
「そうだけど、あの子はこれまで立神君にお弁当を持ってきてたし、なんだか私が横取りしているような感じに思っているんじゃないかしら」
「横取りって、そんな大したことじゃないと思うわよ。それに、立神君はあの子のお弁当も真希のお弁当も、その上自分で持ってきているお弁当も全部食べてしまえる食欲なんだし、横取りってことにはならないと思うけど」
「そうようね」
「そうよ。だから自信を持って明日もお弁当を作って持ってきたらいいのよ。立神君もおいしいって食べてくれてたじゃない」
千沙にそう言われて、真希は多少心が軽くなった。
そして、翌日も真希は立神に弁当を作って持ってきた。
昼になり、真希は立神に弁当を渡した。
「おおっ、ありがとう。ガハハハ、嬉しいなぁ」
立神はにやけ顔で言った。
そこに留美が隣のクラスからやって来た。
「立神君、お弁当持ってきたわ。さあ、食べて」
留美は手に大きな弁当箱を持っている。
「あら、またこの泥棒猫がまずいお弁当を作ってきたの?」
留美は真希の作って来た弁当を見て言うのだった。
「お前、この子の弁当もうまいんだぞ」
立神が言った。
「フン、そんなはずないわ。私のお弁当の方がおいしいはずよ。さあ、そんなまずいお弁当は捨てて、私のを食べて」
留美は立神の机の上に、自分の持ってきた弁当を置いた。
「ごめんなさい。私の作って来たお弁当おいしくなかった?」
真希は悲しそうに言った。
「そうよ。まずいわよ。さっさとどけなさいよ」
留美は真希にさらに言うのだ。
「おいおい、やめろ。まずくないよ。俺はどっちも食いたいんだ」
立神はそう言うと、まずは真希の弁当を開けてガツガツと食べだした。
「おおっ、これはうまい! いやぁ、これはいいよ。いくらでも食えそうだ。ガハハハ」
立神は本当にうまそうに食べた。
「ちょっと、そんなにおいしいはずがないわ。なにか違法のヤバい薬物でも入れてるんじゃないの。立神君、そんなヤバい弁当じゃなくて、私のを食べて!」
留美はそう言うと、自分の弁当を開けて、また立神の口に無理やり突っ込んだ。
弁当箱が立神の大きなライオン口に入り、留美が流し込むように箸で送った。
「うごうご、らめ、らめろ。うご」
立神はあまりの苦しさに手を振った。
すると、その手が留美の弁当箱に当たって、弁当が留美のカバの顔にバサッと被さった。
「あっ!」
それを見て真希が思わず声を出した。
留美のカバ顔に弁当箱が張り付いて、ご飯やおかずが流れ出している。
「びえーん、ひどい! 私のお弁当をそんなに食べたくないの! 立神君なんて大嫌い!」
留美は大泣きして教室から出て行った。
「あ、いや、そういうことじゃ……」
立神が止めても無駄だった。
「立神、お前またやったのか?」
宮下が来た。
「いや、俺は無理やり突っ込まれて苦しかったから、つい……」
「まぁ、いいんじゃない。またあの子は明日になると機嫌は直ってると思うよ」
佐藤も来て言った。
「そうそう。昨日も後で謝ったら機嫌がすぐに直ったんだろ」
宮下が言った。
「ま、まあそうなんだけど」
実は昨日、立神がくしゃみで留美の弁当を撒き散らしたので、放課後、留美に謝りに行ったのだ。
すると、留美はすぐに機嫌が良くなり、
「やっぱり、立神君は私のことを愛してくれているのね」
と言いながら人が見ているところで抱きついてきたのだ。
それを立神は真っ赤な顔をして受け入れていた。
「今日も謝りに行けばいいじゃん」
宮下はそう言うが、
「いや、もう謝りに行かん」
と立神はきっぱり言った。
「なんでよ。昨日は謝りに行って丸く収まったんだろう。だったら、そうしたほうがいいんじゃないの?」
「嫌だ。とにかく俺はもう謝りには行かん」
立神は昨日と同じ状況になりたくないのだろう。
しかし、そのやり取りを横で聞いていた真希は、違った意味でとらえるのだった。
(立神君、私のためにわざと彼女のお弁当をあんな風にして食べられないようにしたのね。その上、謝りに行かずに彼女との関係を壊そうとしてる)
真希の聖母の心はそういう状況に耐えられなかった。
もちろん、これは単に真希の妄想での話で、実際は立神はただ苦しかったからもがいたのであり、それが結果として弁当を留美の顔にぶちまけることになったのだ。
謝りに行きたがらないのも、恥ずかしい場面になるのが予想されるからで、それ以上の意味はない。
だが、真希の思考にはそういう発想は一切組み込まれていなかった。
その翌日、留美は弁当を持ってこなかった。
「伊集院さん、まだ怒ってるんじゃない?」
佐藤が心配そうに立神に言った。
「知らねえよ。俺はなにも悪いことしてないし」
立神は真希の作って来た弁当を食べていた。
「でも、これまであれだけ弁当を食べさしてもらったんだし、このまま放置するのもまずいと思うよ」
「知らん。俺はもうあいつの弁当がなくても大丈夫だ」
立神はそう言って真希の作って来た弁当をガツガツ食べるのだった。
「ガハハハ、この弁当、ホントうまい!」
立神は留美のことなどよりも、いまは食べるほうに夢中だった。
「ありがとう、立神君。でも、伊集院さんには謝っておいたほうがいいわ。今後彼女のお弁当を食べるかどうかはともかく、佐藤君が言うように、これまでたくさん食べさせてもらっていたわけだし」
真希はやさしく諭すのだった。
「ま、まぁ、桐生さんがそういうのなら……謝らなくもないけど」
立神は急に態度を変えた。
「あれ、立神。お前、桐生さんに言われたらやたら素直だな」
宮下が言った。
「そ、そういうことじゃねえ」
立神は否定をするが勢いがない。
「じゃあ、食べ終わったら謝りに行きなよ」
佐藤が言った。
「いや、ダメだ。誰もいないところでないと謝らん。だから、お前ら留美を人気のないところに呼び出しれくれよ」
立神のそのセリフに、佐藤と宮下は顔を見合わせた。
「どういう意味だ? それ」
二人は立神が留美に抱きつかれて恥ずかしい思いをしたのを知らないのだ。
「とにかく、頼む」
「あ、ああ、わかった。じゃあ、体育館裏に呼び出すから、先に行ってろよ」
宮下が言った。
そして、立神は弁当を食べ終わると、すぐに体育館裏に行き、宮下と佐藤は留美を呼びに隣のクラスへ行った。
宮下と佐藤が事情を説明して、留美を連れて体育館裏に行った。
三人が行くと、立神は一人落ち着かない様子で待っていた。
「連れてきたよ」
佐藤と宮下が留美を立神の方へと連れてきた。
留美は不機嫌そうな顔をしている。二人に頼まれてしぶしぶ来たという感じだ。
「さ、立神。謝れ」
宮下が促した。
「す、すまんかったな」
立神は明後日の方向を向いて言った。
言葉の中身と違って、態度は謝っているという感じではない。
しかし、留美はあっさりと、
「ああん、許すわ。立神君とお昼一緒に食べられなくて寂しかったぁん」
と言って、立神に抱きつき、そのままライオンの口にカバの口でキスをした。
「ギョエェェェェーッ!! なにすんだ!」
立神は反射的に、抱きついてきた留美を、ネット通販の梱包のガムテープのように引き剥がした。
「ああん!」
留美が地面に捨てられる。
「ちょ、ちょっと立神君」
佐藤が慌てた。
「とにかく謝ったからな」
立神はそう言うと、小走りで去っていった。
「うん、もう、立神君、照れ屋なんだからぁん」
地面で留美は満足そうにそんなことを言うのだった。
「と、とりあえずはこれでいいか」
「そうだね」
宮下と佐藤は、おぞましいものを目撃したので、背筋に冷たいものを感じていた。