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第90話 不平等な対等

 俺は樫田から受け取った鍵を使い、空き教室の扉を開けた。

 選択授業の時のみ使われるこの教室は、空気の感じが少し普通の教室と違う。

 俺は教室の中に入った。増倉と池本も俺に続く。


「あの杉野先輩、今日は何をするんですか?」


 池本がどこか不安そうに聞いてくる。

 俺達だけ教室移動したし、怪訝に思ったのだろう。

 教卓の近くまで歩くと、俺は振り返り二人を見た。


「まぁ、なんだ。今日は少し話そうか」


「話す? ディスカッションってことですか?」


「あー、話すのは劇についてじゃないんだ」


「?」


「とりあえず座ろうか。さぁ」


 俺が促すと、池本と増倉は横に並ぶように座った。

 そして俺は池本と向かい合うように座る。ちょうど池本を角にⅬ字のような形になった。

 ちらっと増倉に視線を送ると、俺の方を見ていた。

 一旦、見守るということだろう。

 なので俺は話し出すことにした。


「池本、この時間を使って話したいのは……そうだな。池本の今についてだ」


「私の今、ですか……?」


 言葉を濁しすぎたのだろう。池本は曖昧な表情を浮かべた。

 だが、ここで止まるわけにもいかない。

 俺は池本の目を見て、率直に聞いた。


「池本、俺にはお前が焦っているように見える。心当たりはないか?」


「……それは、私の演技についてってことですよね?」


「そうだな。オーディションが怖いか?」


「それはあると思います。初めての経験ですし、右も左も分かりませんから」


 目を合わせず、下を向きながら池本は答えた。

 ああ、ダメだ。失敗した。

 池本から警戒心が解けていない。これは本音ではない。

 上っ面を撫でただけの質問をした。切り口を変えよう。


「池本。オーディション勝ち取りたい役はあるか?」


「あります」


 強くはっきりとした言葉だった。

 一瞬だけ、彼女の内にある本質が現れた。

 俺はそれを見逃さまいと話を続ける。


「なら、俺と同じだな」


「同じですか?」


「ああ、俺も勝ち取りたい役がある」


「でも、先輩は……いえ、すみません。何でもありません」


「いいよ。そうだな。俺と池本は違う。けど、やっぱり同じなんだ」


「ど、どこがですか?」


 池本の声が震えていた。

 葛藤か苛立ちか、あるいは情けなさか。

 俺からの質問に惨めさを感じているなら最悪だ。

 上からの施しのように思われてはいけない。

 慎重に言葉を選ぶ。


「どこがって聞かれると難しいな。言葉にしづらい何かだろうから」


「それって、以前話してくださって渇望の話のようなものですか?」


「どうだろ。ああいう感性の話よりは、言葉にできるかな」


「難しい話です」


「そうだな。難しい話だ……けど、話さないといけないことだ」


 池本の視線が俺に向けられた。

 その目には少しだけ興味の色が見えた。

 俺は切り込むことにした。


「さっき言葉にしづらいって言ったけど、正しくは誤解されやすいことなんだ。なにせ、頭で分かっても心が理解できないことだからな」


「心……?」


「ああ。例えば俺と池本は同じ演劇部の部員で同じ役者だろ?」


「そう、ですね……」


「言葉としては正しいが納得できないところもあるはずだ。自分の中で心が何かが、同じじゃないって思う」


「それは……そう思いますよ。だって先輩と私は役者としては違うじゃないですか……!」


 池本は苦しそうな表情を浮かべながら、泣き出す寸前だった。

 すまない。でも、腹を割るには必要なんだ。


「そんなことはないんだ。俺達は同じなんだ池本。オーディションを前にした役者として同じなんだ」


「どうしてそんなことが言えるんですか? 実力も経験も何もかも違うじゃないですか!」


「そうだ。不平等はある。けど、それで違うってことにはならない。不平等で同じなんだ俺たちは」


「不平等で同じ?」


「池本、実力や経験が違っても同じ舞台を目指す同じ役者であることには変わらない。俺達は平等ではないかもしれないが同じ対等ではあるんだ。なぁ池本、話してくれないか? 俺は対等な役者として知りたい。池本今何を思っているのか」


「…………」


 数秒、俺と池本は目を合わせたまま沈黙した。

 静けさを破ったのは池本だった。


「杉野先輩はどうしてそこまで私を気にかけてくださるのですか?」


 素直な疑問な何かを量っているのか。

 分からないが、俺の感じていることをありのまま話した。


「先輩だからかなぁ」


「え?」


「いや、俺もさ二年生になって初めて知った感覚なんだけど、どうしても後輩の気になっちゃうんだよね。先輩になった自覚なんてないくせにさ」


「……それが理由ですか?」


「ああ。でもな。同時にこれは感謝なんだよ」


「感謝?」


「そ。演劇部に入ってくれたことへの、な」


 ああ、そうだ。これはきっと感謝だ。

 上からの心配とか、先輩としての義務とかではない。

 後輩でいてくれること。一緒に演劇できること。

 それがとてつもなく嬉しいのだ。


「楽しそうですね」


「すまん。不快だったか?」


「いえ、そんなことはないです」


 そこで会話が途切れてしまった。

 どうやら、まだ迷っているようだ。

 俺が何か切り込む突破口がないか考えていると、増倉が口を開いた。


「池本、大丈夫だよ」


「増倉先輩……?」


「私、池本がどうして焦っているのか、なんとなく分かった……ううん。分かるなんて言っちゃいけないね。でももし今苦しいなら、きっとその答えを杉野が教えてくれるよ」


 優しく微笑みながら増倉は池本を見た。

 俺には皆目見当もつかないが、どうやら増倉は何かを分かったらしい。

 池本は、何を感じたのか真剣な表情になって俺の方を向いた。


「分かりました。ありがとうございます。拙くていいならお話しします。今私が感じていることを」


「……ああ、頼む」


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