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第88話「香る手のひら 君の花(1)」




 ────石鹸。

 それは、体や服を洗うアイテムの一つ。





 シルクメイル地方、オリオン領の西の端。

 ウエストエッジの一角、人々で活気づくタンジェリン通り。



 店を出て、即行怪しげな男に引っ掛かっている相棒ミリアに声をかけてみれば、彼女が手にしているのは小さな花束だった。


 まるで『花束を配っている男』に見えない装いの男は、花を覗き込むエリックにこう語る。





「よかったらどっすか!

 花束石鹸フラワーソープっす!」

花束石鹸フラワーソープ?」













 ミリアの言葉を遮って、割り込み気味に話し始めたブーケの男に、エリックはオウム返しに問い返した。





 覗き込んだ先、ミリアの手元。

 白い羊皮紙につつまれ、色鮮やかに咲き誇るバラとカルミアの花は、とても精巧に作られており、遠目から見たら花束だとしか思えない。



 なのにこれが『石鹸』だという。

 言われても、にわかに信じられるものではなかった。




(──これは、貴族の間でもまだ聞いたことがないな)

 と、心の中で一つ。



 一瞬の間を置き、エリックは素早く目を向け、



「……へえ、これが石鹸?」

「っす! 新しいヤツっす!」


 探るように問う自分に対し、ブーケの男の返事は素早く返ってくる。




(……石鹸、ね)

 と口の中で呟いて、しげしげと、ミリアの手元を覗き込み────



「ね。すごいよね?」

「…………ああ」

 浮いた声で言う彼女に、相槌を打った。




 ────エリックは石鹸生成の技術などには詳しくない。

 しかし、目の前にある『色とりどりの石鹸の花』が見事な技術で作られていることは解った。




「…………」

(…………へえ…………)



 物珍しさも相まって、限りなく黒に近い青い瞳に光を宿しながら、それでも疑惑の目線を忘れぬエリックの、すぐ隣。



 薔薇を中心とした石鹸の花を横目に

 ミリアは顔を上げ、顔を陽気に彩ると



「ね! すごいよね、これ〜!

 こんなふうにお花になるなんて!

 見れば見るほどすごくない?

 どうやって作ってるんだろ?」


「へへへ! ウエストエッジっていやぁ、『服とクリーニングの町』っすからねぇ!」

「あ、そーなんだ?」




 ブーケの男の言葉に、けろっと返事をした。

 そんな彼女の言い方に"あからさま”。


 僅かに首を傾げ、眉をくねらせ、ため息をつくのは──もちろん、エリック・マーティンである。




 彼の表面に漂うのは、隠しようのない『『仕方ないな』を含んだ呆れ』だ。



 『────はあ……』

 と大きく息をつき、首を振るついでに目を向け、




「ミリア……、それも知らないのか?


 長いスカートに限ったことではないけれど、外を歩いていたら、どうしても泥も跳ねるし裾は汚れるよな? 女性が身に着けているスカートなんて、その最たる例だろう?

 汚れを取るために、職人も洗剤も必要なんだ」



「………………あっ! そっか!

 そう、だよね~……?

 ……そう、だよね~~…………」




 呆れ混じりの言葉に、ミリアは『なるほど!』と言わんばかりに相槌を打ちまくった。



 その口調は”意表を突かれた”以外の何物でもなく、そんな彼女の反応に、エリックは『くすっ』と頬を緩ませる──が。


 彼女の脳内に渦巻いているのは『知らなかったことに対する恥じらい』や『反省』ではない。




 『カルチャーショック』だ。




 こちらの人間が、彼女の国の『生活術』を使っていないという、『ショック』。




(────そぉーか……!

 こっちの人film wrapフィルラップしないんだ……!

 そぉーか! それもそっか!)



 言われてみれば当然のそれに、緩やかに握った左こぶしの輪で口元を覆いつつ、ひとり驚く彼女。




 ────『film wrapフィルラップ』。

 マジェラの民が最もよく使う魔法じゅつである。



 モノに薄い魔力の幕を張り、保護したり包んだりする魔法技術せいかつまほうで、真っ先に教わり身につけるものだ。もちろん、今もミリアはこっそりと、その術で服を汚れから守っている。




 それが当たり前──

 むしろ『やってないなんて考えられない』彼女にとって、『汚れるからうんぬん』などと言う発想が出るわけがない。



 ──しかしここは、ノースブルクのウエストエッジである。




(使えないもんね……!? なるほどそっか……!?

 魔道士じゃないんだもんね……!?

 それもそっか……!)



 決して口には出さず、驚きを内側に留める彼女に、ひとつ。



 『くすっ……』と、小さな笑い声が届いて、ミリアが目を向けると、そこにはエリックの微笑みが待っていた。



(? なんかおかしなことした?)

 と疑問符を浮かべる彼女の、手の内から

 緩やかな力で花束を引き抜き──彼は雄弁に語る。




「────だろ?


 昔からの慣習とはいえ、女性の『汚れるのを承知で、丈の長いモノを身に着ける』という行いについては全く理解できないけれど。

 おかげさまで、洗濯業と服飾業は比例するように伸びてきたんだ。当然、石鹸や洗濯洗剤の生産もね。

 有難いことだよな……」

「…………」



 花束になった石鹸を前に。

 声に、言葉に、敬意と感嘆を交えて漏らすエリック。




 ──その、言い分・口調に────




 ミリアは、”じっ……”と静かな視線を送る。



 ────疑問であった。 

 石鹸でできた色鮮やかな花束を見つめる相棒から『たまに出る』、それ。




(かならず自分の意見言ってくるよね、おにーさん。

 『ありがたい』とか言ってる。

 どこ目線なのか……?)


 と、心の中で首を捻る彼女。




 エリックが『必ず自分の意見を言う性格』なのは、もうわかっている。しかし『有難い』だとか『産業として根付いた、恐れ入った』とか。



 たまに発言が壮大で。

 面白いというか、引っかかっていた。




(……お屋敷勤めの『ご主人様付き』だから……?

 影響されてソウイウ思考になる……?)

 と、首を捻りつつ。



 じぃ……と送る『どこ目線やねん』な視線を

 『ふんふんなるほど?』という意味に捉えたエリックは、雄弁に語り出す。








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