「────このあたりは昔からオリーブがよく採れるし、灰も容易に手に入ることから、石鹸も洗剤も作るのに事欠かなかったんだよ。
表には出ない『隠れた産業』だけどな」
「ほぉ~」
「──とはいえ、ここまで石鹸加工の技術が進歩してるのは、俺も知らなかったんだけど。これだけ『『服飾・洗濯・石鹸加工』に特化している街ならでは』、かな」
「ふんふん」
「────ミリア。
『クリーニング店』、多いと思わなかった?」
「…………いわれてみれば…………?」
「────なあ。」
問いかけに、ぽけーと。
『そういえばそうだね……?』とゆっくり首をひねるミリアに、エリックの口から遠慮なく飛び出す『彼』。
花束を片手に、行き交う人々とブーケの男を背景に、彼は腰に手を当てミリアを覗き込むと、
「……君、5年暮らしてるって言ってたよな?
あれは俺の聞き間違いだったのか?」
「暮らしてる! 5年もいる!」
「──なら、なんで気づかないんだ」
「だって行かないし! 行かない場所は知らなくない? 興味ない店は背景と一緒じゃん?」
「……極端な」
「串焼きの店と、布屋さんとパーツ屋さん!
そこは詳しいよ?
あとは服屋さん。それと八百屋さんと精肉店。
そこは詳しい。
でも、それしか見てない!」
「…………はぁ…………
…………ミリア………」
「そこまで呆れることなくない??
そんなに思いっきり眉下げる!?
今超溜めたよね!?
じゃあじゃあ、おにーさんは布の種類言える??
服のパターン、どこまで知ってると言うのか!」
「……いや、そこまでは知らないけど。
と、言うか。服や布の種類と、店の偏りや街の特色は別のハナシじゃないか?
論点がずれてる」
「ズレてるかもしれない!
でも言いたいことは、『興味のない場所は”背景”』!」
「…………あの〜……もしもし……?」
流れるようにはじまった言い合いに、忘れ去られていたブーケの男が弱弱しく口を挟んだ。
まるでこのまま歩き出しそうな二人に、自分の存在を思い出してほしかったのである。
────が。
「興味ないモンは興味ないもん!」
「……ガラス工芸は?
あれもうちの特産なんだけど、知らない?」
「それは知ってる~♪
雑貨屋さんとかグラスショップに行くよ♪
綺麗だよね~♪」
「──ああ、安心。
君の店で使ってるガラスペンも、あれもなかなか良いものなんだ。壊すなよ?」
「……壊してないし!
あ、でも、石鹸は地元より安くてびっくりした!」
「……そうか。値段もそうなのか。
工業魔具のおかげで、これらも大分安く出回るようになったよな。
俺が小さな頃は、高くて仕方なかったみたいだけど。
うーん……こうして生産量をあげられるのなら、新たな名産品として売り出すのも」
「────あの~…………モシモーシ……」
──今度は。
やや、はっきりと。
勢いはないが大きめの声で声をねじ込まれ、2人揃って目を向ける。
(────あ。わすれてた)
(……そういえば居たな)
と、2人して『完全に忘れてた』を滲み出すエリックとミリアのそれに、ブーケの男はひくっと笑い、
「おっ……、オフタリさん、仲良いンすねぇ。
オレ、存在忘れられてたナ~……」
「ああ、悪かった。
────それで?
このフラワーソープは、何のために?」
しょんもりと。
わざとらしく肩を落とす男に、毅然と聞き返し、一歩踏み出すのはエリックだ。
ここでミリアが『ごめんね?』と謝り隙を見せ、あれよあれよと言わないうちにセールス男の意中にハマるのを防いだのである。
(──こいつは
と、警戒を滲ませるエリックに
しかしブーケの兄さんは、へらへら顔でにこにこと、
「あたらしいモンができたんでぇ、試作っスヨ!
へへへ、すっごいッショ!?」
手揉み、すりすり。
『興味あるでしょ~?』と、抜けた前歯も煌かせて擦り寄るが──もちろん。
エリックはいい顔をしない。
検閲・品定めという目つきでブーケを一瞥し、流れるように顎を手で触りながら、訝しげな顔で言う。
「…………”試作”、ねえ……
確かにこれは凄い技術だが。
こんな商品を無料で配っていいのか?
採算が取れないだろう」
と、毅然とした態度で息を吐き、そして続ける。
「そもそも、ここら一帯での
「ま~~~~た固いこといってる〜。
いいじゃん、くれるんだし。綺麗だな〜って楽しもうよ!」
始まった、矢継ぎ早の詰問を吹き飛ばすように。
ミリアの勢いのある声がその場を駆け抜けた。
矢を射るが如く変わった空気を引っ張るように、
彼女はエリックから石鹸の花束を引っこ抜き、ご機嫌に鼻先を近づけると
「ほらほら!
ほんのり香りも、ふわ〜っ………………
…………、…………………………」
「おにーさんも! どっすか!」
吸い込み 笑顔のまま
言葉なく固まるミリアの、その隣。
ブーケの男がずずいとエリックとの距離を詰めようとするが、しかしエリックは流されない。
澄まし顔でその手のひらを相手に向け、固く、首を横に振り
「────いや、結構。
彼女が欲しいと言うのなら、もう一つ頂戴するが……
石鹸や花を飾って愛でる趣味はないんだ」
「新しいンスよぉ!?」
「────『新くても』。
必要ないものは必要ない。
…………使えないしな、こんなの…………」
言いながら、眉を下げて一瞥。
もう一度固く首を振る。
ミリアの手の内で咲き誇るその花束は、確かに素晴らしい。石鹸とは思えないし、そのまま贈り物にしてもいいだろう。
──しかし、このまま家に持ち帰るのは、困るのである。
ソレらを想像し
とても短く瞼を伏せて
彼は男に口を開くと
「決して安いものではないだろう?
興味のない者に配るより、ターゲットを絞った方が採算が取れるんじゃないか? 俺に勧めても、商品の展望は望めないと考えた方がいい」
「いや、でも、タダですよぉ!?」
「……『
配る者も、もらう者もな。
周知するのは必要だが、技術を込め丹精に作ったものを安売りするべきじゃないんだ。
本当に価値があるものなら、おのずと買い手はつくだろう。
そう、トップに伝えておいてくれ」
──そう、ブーケの男を一蹴し。
そのまま(……いや、俺はそうだが、彼女はどうだ?)と思考をめぐらせ、流れるように彼はミリアに問いかけた。
「────ミリア、君は? もう一つ欲しい?」
「………………ううん、いっこでいいかな……」
「────と、言うわけだから。
俺たちはここで失礼させてもらうよ」
若干、テンションを下げつつ言うミリアの返答を合図に。
エリックは、小さく彼女の腕を引いた。
足並みを揃えその場を離れる彼らの遥か後ろで
ブーケの兄さんは今もまだ『よろしくっすー!』と商品のアピールに余念がない。
ウエストエッジ・人々で活気づくタンジェリン通りを行きながら。
隣を歩く彼女に エリックは、ふと。
──ふうっ……
と短く息を吐き、その青黒い目をミリアに向け──
自然と開くのは、口。
流れるように出るのは、呆れを含んだ小言である。
「────まったく……、君は退屈しないな。
てっきりまたナンパにでも引っ掛かっているのかと思った」
「いやあ、違いますね〜。
前も言ったじゃん、『ナンパは滅多に声かけてこないよ』って」
言われ、答えるミリアはちょろっと目くばせ。
横目で見上げる目がぱちっと合って、それが合図だったかのように、エリックはリズムよく問いかける。
「じゃあ、ああいうのは?」
「しょっちゅうある」
「しょっちゅう?」
「超ある。
歩けば来る。
家にタダでもらったものいっぱいある。」
「……………………」
「あ、今汚い部屋想像したでしょ!
そんなにめちゃくちゃ汚れてないし!
ゴミとかすぐ捨てるし!」
「…………いや?
別に、そうは言ってないだろ?
俺はただ、『一人にしておけないな』と思っただけ」
「一人にしておけないって。子どもじゃあるまいし」
「ああ。そうだな?」
エリックの言葉に、楕円状の目をして抗議を送る彼女に送るは『さらりとした同意』。
そして彼は言うのである。
ささやかな笑みに────呆れを混ぜて。
「…………子供の方が、まだ危なっかしくないかな?
”知らない人に物を貰ってはならない”って、教わらなかった?」
「あったかもしれない。
まあ~~~、それはさておき」
「……さておかないでほしいんだけど?」
「うん、さておき」
呆れ口調の小言をスパンと隣に置き消し、ミリアは構わず口を開け、述べたのだ。
「最近多いよね〜?
『新しいの出たよおにいさん』と
『しあわせおにーさん』」
「…………『幸せお兄さん』?」
その。
間の抜けた文言に、エリックは思わず目を見開き、問い返したのであった。