「いやー、あたしのおかげで二人ともいい感じの水着が購入できてよかったね!」
「それ、自分で言うの…? まあ、いいのは選べたけど…」
「そうよ、お邪魔虫! 円佳は私が選んだのにしたし、私も円佳が太鼓判を押したのにしたんだから、あんたなんていなくても変わんなかったわよ!」
あれからの私たちは水着選びにご執心…というほどでもなく。
私は絵里花が選んでくれたもの、絵里花は『私にだけ見せてくれた水着』を選び、それは言ってしまえば早乙女さんがいなくとも決定に影響を与えなかった。
けれども早乙女さんはそんな事実を軽やかに無視して、水着の入った紙袋を掲げてにんまり笑いかけてくる。ちなみに彼女はあれからも何度か着替えて見せて、そのうち気に入ったものを全部購入していた…あれってエージェントの経費として落とせるのかな…。
ともかく早乙女さんは終始この調子であって、私たちが何を言ったとしても楽しげな様子を崩すことはなく、それに対して絵里花は毎回怒りを隠さずに抗議していた。ただ、さすがに『いなくても変わらない』という絵里花の言葉はちょっと鋭すぎたので、私はそれをペーパーナイフ程度に刃こぼれさせるべく、苦笑しつつ「絵里花、そんなに怒らないで」と制しておく。
「あーん、円佳ちゃんはやっぱり優しいね! 絵里花ちゃん、愛する恋人がこう言ってくれるんだから、キミももうちょっとあたしに優しくして? でないとぉ、円佳ちゃんに愛想を尽かされちゃうかもよ?」
「余計なお世話にもほどがあるわよ! 心配しなくても私は円佳相手ならそんなに怒らないし、そ、それに…円佳が私を見捨てるなんて、ないから!」
「それはまあ、うん。絵里花は本当な優しい人だから…だから早乙女さん、あんまり絵里花を煽らないでもらえると…」
「ええー、円佳ちゃんは絵里花ちゃんの肩を持つのぉ? ううう、あたしってやっぱり悲劇のヒロインなんだね…せっかく友達と偶然会えて、仲良くしたいって思ったのに…」
…なんというか早乙女さん、これまで私の周りにはいなかったタイプだなぁ…ふとそんなことを考える。
とにかく口が回るというか、疲れないのだろうかと気になる程度にはテンションが高く、私たちが一を話す前に三くらいは話す、そんな感じ。一方でうざいかどうかはまた微妙なところで、会話自体のテンポはいいのか、あるいは波長が合うのか、どうにも無碍にできない。
無論それは私の話で、絵里花は全然違うみたいだけど。
「誰が友達よ!? あんたなんかとそうなった覚えはないわよ! 私たちは…で、デートをしてたから! これ以上邪魔するってんなら、力ずくで…!」
「絵里花、落ち着いて…ほら、私たちはエー…同郷の仲間みたいなものだし、早乙女さんも怒らせるために言ってる感じはしないから…」
水着売り場から少し離れた場所、そこにあるベンチに腰を下ろしている私たち。私を挟むようにして絵里花と早乙女さんは座っていて、今も売り言葉に買い言葉と言わんばかりに口げんか…いや、まだギリギリでじゃれ合いと言える範疇ではあるけれど。
絵里花はどうも早乙女さんとは馬が合わないのか、水着を選び終えた直後から「どっか行け!」という態度を崩さず、私の手をぎゅっと…ちょっと痛いくらいの力加減で握っている。絵里花さん、手をつなぐのは全然いいんですけどね…その、もっと手心をですね…。
対する早乙女さんには馬耳東風という感じで、絵里花が何を言っても私たちについてきて、カラカラと笑いながら『友達』をアピールしていた。
…友達、か。まあそれは別にいいんだけど、この場に関しては…という、いまいち口にしにくい本音もあった。
(うーん、このまま一緒にいられると絵里花がずっとこの調子だろうから…空気を読んで帰ってくれないかな…でもな…)
この際、デートが微妙な空気になってしまったことは目をつむれる。そもそも早乙女さん以外の知り合いにばったり会う可能性もあったから、私以外にはさほどの愛想もない絵里花は誰と遭遇したとしても若干の不満を抱いていただろう…美咲さんと結衣さんを除いて。
ただ、私たちの周囲は私と絵里花の関係を知ってくれているから、その上で邪魔にならないように振る舞ってくれる。だからこれまでの絵里花は怒りでお茶を沸かせるほどの不機嫌になることもなくて、そういう気遣いをしてくれる周囲へ徐々に心を開いていたとも思っていた。
でも、早乙女さんからはそういうのが感じられないわけで…私の個人的な意見を突き詰めていくと、この場に関してはどこかに行って欲しい…のかもしれない。
やっぱり私はどうあがいたって、絵里花のことが最優先なのだから。
「んーふふ、やっぱり円佳ちゃんって優しい! あたしね、そういうところがすっごく気に入ってるよん! それにね…」
早乙女さんは私の手を握ろうとして「私の円佳に触るな!」と絵里花に怒られ、さすがにそれは遠慮してくれる。けれども離れるつもりはないのか、私たちに対して独特なイントネーションの笑い声を聞かせたかと思ったら、眉尻を若干下げて憂いを感じる表情を作り上げた。
そして視線も若干下げて、ハイカットのスニーカーに包まれた自分の足を見ながら、それをぷらんぷらんと揺らす。彼女の両足は立ち上がって歩み去る様子はなくて、やがてかかとは再び地面に接し、両方のつま先をコンコンと鳴らしていた。
「…あたしさ、エージェントになってから日が浅いから友達とか少なくて。あ、そうなる前はちょっと遠いところにいたんだけど」
「…そうなの?」
これまでの頂上付近をずっと維持していたテンションは急下降し、落ち込んだふうには見えなくとも、店内の雑踏にかき消されそうになるくらいには小さな声で語り始めた。
エージェント、という単語を使ったのはいただけないけど…周囲にはそういう目もなさそうだから、あえて突っ込まないでおいた。ちなみに絵里花は「バカ、その呼び方は伏せなさい!」ときっちり怒っていたけど。
でも急にダウナー気味になった早乙女さんにあてられたのか、怒りによってまくし立てる様子でもなくなっていた。
「だからさぁ、なんて言うんだろ…一目見て気になった円佳ちゃんと、その恋人の絵里花ちゃんとは仲良くしたいなーって思ってて。あ、あたしくらい可愛いと男の子もたくさん寄ってくるんだけどね? もちろん女の子からも愛されちゃってるんだけど、立場じょー誰とでも仲良くするのって難しいじゃん? だからぁ…袖すり合うも多しょーの縁、こういう偶然って大事にしたいなーって!」
「…うーん…まあ、そういうことなら」
「ちょ、円佳…?」
その自信の通り、早乙女さんの容姿と性格なら友人を作るのは難しくないだろう。一方で同じエージェントなんてものをしていると、友人を作るのが難しいというのもわかる。
学生という立場にありながらも過酷な仕事を押しつけられ、自由な時間は思っているよりも少ない。さらにはいつ大きな怪我…あるいは人生の終わりを迎えるかもわからないと考えたら、この子は私たちが思っている以上に対人関係についていろいろ考えているのかもしれなかった。
その点、同業者であれば協力の機会はあるだろうし、同じ境遇を理解した上で交友を深められる。私と絵里花は積極的に友達作りをしないから気にならなかったけれど、早乙女さんのように友人を渇望するほうが自然なのかもしれない。
そう思ったら今回の偶然も悪いものではない気がして、私は先ほどの邪魔者扱い──心の中での話だ──を少しだけ恥じた。
「絵里花の気持ちもわかるけど、早乙女さんの気持ちもちょっとわかるし…それに、私たちはこれからも一緒でしょ? だからさ、今日は友情っていうか、なんだろ…ともかく、早乙女さんのことをあまり怒らないであげて」
「……わ、わかったわよ……もう。あなたって、本当にそういうところがあるわよね」
もちろん私の判断に絵里花が納得してくれるわけがないとも知っていて、それはつまり最愛の恋人に我慢を強いる結果になる。
だけど、私と絵里花はこれからも一緒だ。早乙女さんとはこういう機会でもない限りは一緒に過ごせないけど、絵里花とは家にいても、学校にいても、こうして出かけるときだって一緒にいられる。
だから、絵里花を優先する機会はこれからもあり続けるだろう。いや、それこそほかの人がいなければ…私は、絵里花しか見ないだろうから。
そんな気持ちを言葉だけでなく指を絡めた手からも伝えたら、ようやく絵里花の憤りは完全に鎮火し、夏とは異なる理由で頬を赤くしながら頷いてくれた。それに私も微笑み、やっぱり絵里花はこうやってはにかんでいるときも可愛いと再確認する。
「む~…あたしの目の前でいちゃつくのはよろしくないけど、ありがとっ! じゃあじゃあ、今からはあたしとも遊ぼうよッ。すぐそばにモールがあるでしょ、まずはそこに行ってぇ…」
「うん、いいよ。まだ時間はあるし、私は大丈夫」
「…まあ、円佳が行くなら」
いつもの癖で絵里花と手をにぎにぎし合っていたら、後ろから子供みたいなうなり声が聞こえてきて、私は苦笑して早乙女さんに向き直る。幸いなことに表情はご機嫌そのもので、早くも立ち上がってショッピングモールの方角を指出す。
私もそれに応じて立ち上がり、その足取りは重くなかった。けれどもやっぱり絵里花は最後まで抵抗感を隠さないように、私の手をやや自分のほうに引っ張りながら、面倒そうな表情そのものを浮かべる。
絵里花、新しい友達を作るのはまだまだ先かなぁ…なんてことを思いつつ、私はこの二人の関係が少しだけマシになって欲しいと願っていた。
*
「いんやぁ~、三人で遊ぶとやっぱり楽しいね! ほらほら、この写真とかめっちゃバズりそーじゃない!?」
「あはは、そうだね。絵里花、私たちも後でSNSに投稿しておこうか」
「いいけど…そいつが写った写真は使わないわよ。あれは私と円佳のアカウントなんだから」
「絵里花ちゃんはさぁ…もっとこう、あたしみたいな世界一の美少女と写れる幸せを素直に受け取ったらどう? 目立つのもお仕事の一環なら、あたしという美の象徴を有効活用しよ?」
「円佳以外の美人になんて興味がないわよ。それに世界一の美少女は円佳、これは譲らないわ」
あれから早乙女さんに引っ張られた私たちは百貨店近くのショッピングモールに移動し、そこでウィンドウショッピングを楽しんでいた。
服屋、コスメショップ、海外雑貨を扱うセレクトショップ等々…絵里花とはなかなか行かないようなお店を中心に見て回って、早乙女さんの両手にはさらに荷物が増えていた。対する私はとくに買うものはなく、絵里花はいくつか小物を購入したくらいだ。
その途上、早乙女さんは何度も写真や動画を撮影していて、当然ながら私と絵里花もそれに巻き込まれる。一応は私たちもCMCの仕事でそういうのはしばしばアップロードしていたから、乗り気ではない絵里花もさほどの抵抗感を見せずに応じていた。
ちなみに今はモール内のフードコートで一休みしていて、四人がけのボックス席に座っている。私の隣はもちろん絵里花、向かい側には早乙女さんがいて、彼女の端末をテーブルに置いて撮影した画像や動画を見ていた。
「うーん、円佳ちゃんって本当に愛されてるねぇ…あたしほどの美少女を目の前にして世界一だなんて言うんだもん、絵里花ちゃんって重すぎない?」
「あ、あはは…絵里花って私の容姿を過剰評価しているから。今も毎日褒めてくれるけど、自分ではよくわかんなくて」
「な、何よ…円佳はどう見たって美人でしょう? それにものすごく優しいし、強いし、何でもできるし…悪いところを探すほうが難しいんだから」
自分のことを美少女だと断言し、決して譲らない早乙女さん。
私以外の相手に興味を持たず、過剰な評価をしてくれる絵里花。
そんな二人に挟まれて、微笑と苦笑を交互に繰り出す私。
そこには水着売り場で展開されていた一触即発の空気はなくて、話題についてはもうちょっと別のものにして欲しいという希望はあったけれど、少なくともケンカにはならなさそうで内心ほっとしていた。
(早乙女さん、なんだかんだで絵里花に何を言われても怒らないし…案外、いい友達になってくれたりして)
今も「あたしが一番カワイイ!」とか「円佳に勝てる人間はいないわ!」なんてリアクションに困る言い合いをしているけれど、その生ぬるい熱気を感じ取っているとわずかな希望も芽生えてしまう。
絵里花は『円佳がいてくれるならどうでもいい』と言ってくれるけど、やっぱり友達…渡辺さんもいた頃は今とは異なる充足を得ていたような気がして、私はそういうポジションを早乙女さんに求め始めているのかもしれなかった。
…まあ、一番はずっと私であってほしいけど。
「…そういえばさ、早乙女さんは『遠くから来た』って話してたけど…もしかして、海外から来たとか?」
絵里花と早乙女さんが話す様子を尻目に、そろそろ話題──さすがに私を褒めまくるのは勘弁して欲しい──を変えたいと思って何気なく聞いてみる。
それは、そう。本当に何気ないものだった。
「ああ、あたしね…この仕事を始めるまでは『矯正施設』にいたんだよ?」
「……え」
「……ば、バカッ! それ、口に出すなって言われなかったの!?」
「あはは~、いいじゃんいいじゃん! 今は盗み聞きの気配もないし、だ~いじょうぶだって!」
そして早乙女さんの返事も、何気ない。
だけどそれはテーブルに置かれた三つのジュースが一瞬にして凍り付くような、せっかく作り上げた生ぬるい温度を吹き飛ばすような、あらゆるものを冬へと変える単語が含まれていた。
「あたしさ、元々は普通の学生だったんだけど…ちょーっと怖い人たちに目を付けられて、そのまま施設に入れられて…だけどあたしの美少女っぷりと優秀さがバレて、スカウトされちゃったの! あ、これってなんかアイドルの始まりっぽくない!?」
「いや、えっと…」
「ああもう、なんでそんなふうに話せるのよ…! その口を閉じないと、また連れ戻されるかもしれないでしょ…!」
言葉にならない、とは今の私の状況を言うのだろう。
矯正施設は因果律に背いた人間が収容される場所で、その存在は一般には知られていない。そう、知られてしまえばシステムの根幹を揺るがすような…ともかく、考えたくもないことがされている可能性だってあった。
同時に、そこにいた人間が、こうしてエージェントとして出てくる…研究所は、何を考えているんだ?
自分たちの無機質な生まれ故郷がより一層得体の知れない不気味な場所となったように感じられて、話題を切り出したはずの私は完全に言葉を失っていた。
一方で絵里花はせわしなく周囲に視線を張り巡らせて、今もなお早乙女さんへ黙るように声を潜めて文句を言い続けている。それはひとえに彼女を心配してのことで、そんな優しさに気づいた私は徐々に冷静さを取り戻していた。
「絵里花ちゃん、心配してくれてるのー? ありがとっ。でもね、あたしは今のお仕事がとっても楽しいし…こんなふうに素敵な人たちと出会えたんだもん、これって因果律のお導きってやつじゃない!?」
「なっ…し、心配とかじゃないわよ! 私はただ、自分と円佳が巻き込まれたくないだけで…」
「…あの、早乙女さん。ごめんなさい」
冷静になってくると、早乙女さんの笑顔が作り物ではなく本当に楽しくて浮かべられている…それこそ、今も端末に表示されている写真のような自然さに思えて、ようやく私は言うべき言葉を見つけられた。
事情を知らなかったとはいえ…いや、それは文字通りの言い訳だ。
彼女がどんな扱いを受けていたかはわからないけど、それでもあそこは私と絵里花がいた場所よりも過酷なんだろう。その事実を掘り返したということは、謝るには十分すぎる重さがあった。
「…あちゃー。あたし、謝って欲しくて教えたわけじゃないんだけどな…あっと、ちょっとごめんね」
私が頭を下げた直後、早乙女さんの端末からエージェント関連の通知音が聞こえ、内容は見ずとも『呼び出し』であることを察した。
実際に早乙女さんは「ああもう、こんな日に限って…!」とようやく笑顔以外…悔しそうな顔になって、素早く立ち上がる。
彼女の両足が大地を踏みしめた直後には、もう笑顔が戻ってきていた。
「ごめんね、あたしこれからお仕事が入っちゃった! ありがと二人とも、今日はとっても楽しかった…だから」
夏休みのあいだ、またあたしとも遊んでね!
返事を待たずに立ち上がり、早乙女さんは手間をかけたポニーテールをなびかせて去った。
「…円佳、どうするの?」
「…できれば、その。ちょっとくらいは」
その返事ができずに黙っていたら、絵里花が氷の溶けたジュースを一口含み、私に返答を促す。
絵里花のことだけを考えるのなら、もう会わないほうがいいのかもしれない。
だけど、私は…謝りたい、のか?
いや、違う…話したい、が正しいのだろう。
過去を掘り返したいわけじゃない。むしろ、埋め立てたい。
あの子がどう思っているかわからない、だけどつらいはずの思い出を、私たちとの交流で忘れられるなら。
そんな私の罪滅ぼしみたいな思考をくみ取ってくれたのか、絵里花は「ほんと、お人好しなんだから」と困ったように微笑んでくれた。