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第54話「プールの中で見えたもの」

「娯楽用の屋内プールか…訓練以外でプールに入るのって初めてだから、少し楽しみだね」

「まあ、そうね…私はそこそこ恥ずかしいけど。あなた以外の人にも水着を見せるのって、ちょっとだけ抵抗感があるわ」

「大丈夫、いやらしい目を向けてくる人間がいたら『始末』するから」

「冗談に聞こえないからやめなさい…」

 水着購入から程なくして、私たちはクラスメイトと一緒に屋内プールに来ていた。現在は更衣室にて着替えており、誰もがこの日に備えて用意した水着に着替えていた。

 私と絵里花はすでに盛り上がっているクラスメイトたちとはわずかに距離のあるロッカーに荷物を入れながら、自分たちだけにしか聞こえないような音量の声で会話する。私と絵里花は研究所が用意した訓練用プールでの水泳経験しかなく、娯楽用プールの知識はあっても実物を見るのは初めてだった。

 そしてこういう場所は水着姿の女性を目当てに訪れる人間も少なからずいることも知っているから、周囲をやや気にしつつ着替える絵里花に対し、私はにっこりと笑って彼女を守るという意思を伝えた。無論、冗談ではない。

 ちなみに私は先日選んだカジュアルサマーウェア、絵里花はモノトーンビキニを持ってきている。なので女性が好むらしい──私も女だ、念のため──サプライズ的な披露はできないけれど、逆に言えば『初のお披露目はお互いで済ませている』とも表現できて、それは私に妙な安心感を与えていた。

 …その上で『これからも私以外には一切見せないでほしい』と思うのは、暴君も真っ青の願望なのだろう。

「…やっぱり、ちょっと露出が多いかしら…」

 絵里花は着々と大人っぽいビキニへと着替えていて、それは当然ながら私服とは異なる次元の露出へと変貌していく。同時に着替えるということはいろいろと脱いでは着てと作業するわけだから、ふと「そういえば、絵里花も普段はこうして一人で着替えているんだよな」と当たり前のことも考える。

 人間なのだから、それは当然だ。もっというなら私だって着替えはしているし、その光景に特別感を覚えることもない。

 …だというのに、私の視線は反復横跳びのようなペースでチラチラと絵里花を確認していて、とくに下着を脱ぐときの様子はチラ見ではなくガン見一歩手前になりかけた。

(…なんだろう。絵里花が横で着替えている様子、めっちゃ気になる…)

 いや、その理由には気づいている。

 私は絵里花の恋人で、彼女に対してきちんと恋をしていて、それはやがて体を重ねるような、大輪の愛へと成長していくことが既定路線なのだ。

 もっと露骨に表現をするのなら、絵里花は『性愛の対象』である。その事実はこうして同じ場所で着替えることの危うさを孕むというのに、性別が同じであるがゆえに一緒に着替えることを許されていた。

 なんだろう、この状況。当たり前なのに、特別というか、異常というか…目のやり場に困る。

(…でも、絵里花以外を見てもどうってことはない…)

 絵里花がショーツをするりと脱ぐ際、さすがにこれをじっくり見るのは溶岩の上で綱渡りをするような危険性を感じ、私は火口から逃げるように周囲へと軽く視線を泳がせる。

 するとクラスメイトや知らない女性たちが着替える様子が一瞬だけ視界に映ったけれど、絵里花を見たときのようなエマージェンシーアラートは鳴らなかった。まあ、うん…自分と同じ性別の人が水着を着ようとしている、それだけ。

 だけどひとたび絵里花に視線を戻すと頬は火照り始め、瞳は熱に耐えかねて潤み、呼吸が少し速くなりそうな程度には心拍数が変動する。

 …絵里花、どうして私の隣で着替えることを選んだのだろう。一緒にお風呂に入ろうとしたときはあんなに恥じらっていたのに、どうして。

 それは絵里花に対する理不尽さを覚えかけて、やがて『私が隣にいることをなんの苦痛にも感じていない』という事実に塗り替えられ、心臓はまた大げさに揺らいだ。

「…あの、円佳? その、着替え、あんまり見ないでもらえると…」

「……え。わ、私、そんなに見てた?」

「…うん。私が横目を向けたときは、毎回こっちを見てたから…ええっと、水着、似合ってないかしら? それとも、どこか別に変なところが」

「な、ないから! ごめんねごめんね、私も今、着替えるから!」

 自分の心音にばかり気を取られていたら、ほとんど着替え終えた絵里花がゆっくりとこちらへ顔を向けていて、気まずさと申し訳なさを宿らせて訴えてくる。頬は多分私に負けないくらい紅潮していて、けれども絵里花の着替えを眺め続けていたことがバレたと理解したら、綱渡りに失敗して溶岩の中を泳ぎ始めたかのように体温が急上昇した。

 …早く私も着替えてプールに入らないと、熱中症になるかもしれない…。

 私は絵里花に謝罪を連呼しつつ、すっかり止まっていた着替えの手を動かし始める。すると私と違って奥ゆかしい絵里花は「あの、私は向こうを向いているから…」なんて首を逸らしてくれて、もしかしなくても私のほうが『エッチ』なのかもしれないと思ったら。

 このままプールに入らず、水着のまま家へと逃げ出しそうになってしまった。もちろんそんなことはせず、着替え終えてからもう一度謝っておいた。


 *


「おおー…これが屋内レジャープール…」

「流れるプールにウォータースライダーもあるわ。室内の気温も暑すぎないし、これなら長時間でも快適に遊べそうね」

 水着に着替えていざプールへ…と足を踏み入れたら、そこにはアニメなどで見たような夏っぽい娯楽施設が広がっていた。

 入り口から遠くには訓練にも使えそうなプールがあるけれど、眼前に広がる光景の大半はいかにも娯楽用といった感じで、絵里花の言うような設備はなるほどたしかに楽しそうだ。

 上を見上げると調光用の窓が取り付けられた天井があって、適度に日差しを受け入れつつも熱中症になるほどの日差しは感じられない。空調もフルに稼働させているのか、室温も湿度も快適だった。

「三浦さんに辺見さん、こういうプールは初めてって言ってたよね? どうどう、デート向きなプールの感想は!」

「うん、結構楽しそうだと思う。こういう場所があるのは知ってたけど、実物を見るとわくわくするね」

「えー、その割にはテンション低くない? 三浦さんって本当にクールだよね~。男の子みたいに格好いいのにスタイル抜群の美人とか、辺見さんがうらやましいよ~…はぁ、私にも早く因果の相手が見つからないかな」

「いや、私もちゃんと女だけど…」

 私と絵里花が入り口付近で立ち止まってキョロキョロしていたら、こういう施設に慣れているであろうクラスメイトたちがテンション高く私たちに声をかけてくる。もちろん全員が水着を着用していて、普段は全員の制服姿しか見ていなかったこともあり、なんだか新鮮だった。

 そんな女子たちからも女扱いされていないような気がして、私は水着を着ても男っぽいのだろうかと一瞬だけ不安になる。セパレートタイプの水着でもこう評価されると考えたら、やっぱりもっとシンプルで実用的な水着でもいいような…。

「大丈夫よ、円佳がそこらの男より格好いいのは事実だけど…あなたはちゃんと女の子をしてるわ、私が保証する。水着、すごく似合ってるわ」

「…う、うん。ありがとう、絵里花」

 私はファッションについてはそこまでこだわりがないし、水着に関しても絵里花がいないと訓練用のものをそのまま使っていたと思う。

 だから水着姿を褒められてもさほど嬉しくない…なんてことはなく。絵里花は私をフォローするようにまっすぐ見つめてきて、女扱いしているかどうかは微妙なところであっても、水着について褒められてしまうと…着替え中ほどではないにしても、顔はわかりやすく熱を帯びた。

 …ほら、やっぱり私だって女だ。だって好きな人に容姿を褒められたのであれば、わかりやすく気持ちは上向きになるのだから。

 一方で嬉しさというのは時に恥ずかしさも帯同するようで、私以外を視界に収めていないかのような絵里花の視線を受け止めきれず、やや下方向に逸らしてしまう。すると今度は絵里花の水着姿を直視することになって、熱を逃すどころかさらに頬は赤みを増す。

(…やっぱり絵里花の体、きれいだな。胸の大きさはちょうどいいし、お腹周りに無駄なんてないし、お尻の形も女の人って感じで…)

 絵里花はしばしば「貧相な体」と自虐するけれど、とんでもない。

 ほどよく女性的な膨らみを引き立てる細身のボディラインはビキニによって強調されていて、誰がどう見ても女の子…それも美しい造形をしていた。現にプールを歩く人たちも時折絵里花へと視線を向けていて、きっとその顔も含めて魅力的であるのを確認したのだろう。

 それはまあ、当然だろう。絵里花は私が見てきた女性の中でも一番きれいで、可愛くて…仮に私が男であったのなら、今頃絵里花との関係はどこぞのCMCカップルみたいに爛れていたと思う。

 …女でありながらもこんなことを考えているあたり、もしかすると、あり得ないだろうけど、それでも…そう遠くない未来に絵里花を『そういう意味』で求めてしまうのではないか、若干怖くなった。

「うはー、さすが校内一の因果律カップル…どこにいたってすぐに二人の世界を作っちゃってる…」

「うーん、まだ来たばっかりだけど…二人きりにしたほうがいいかなぁ?」

 私は絵里花ばかり見つめていて、絵里花もまた私ばかり見ている。

 そんな状況は珍しいことでもないけど、今はクラスメイトたちと遊びに来てたことすら忘れかけていたようで、私たちに投げかけられた穏やかな冷やかしに対し、慌てて「そんな気を使わなくていいから!」と二人同時に否定していた。

 そして私たちはお互いの熱を逃すべく、同時に級友たちとの親交も深めるべく、生ぬるい視線を感じ取りつつプールへと向かった。


 *


「…ぷはぁ! あはは、これでまた私の勝ちだね」

「も、もう! あなた、なんでそんなに思い切りがいいのよ!? 普通、もうちょっと怖がるでしょ…!」

 自分で言うのもなんだけど、私たちは学生である前にCMCで、さらにエージェントでもある。そんな立場だとどうしても遊び慣れてはいないわけで、こういう場所でも楽しめるのだろうか…なんて心配は杞憂だった。

 みんなで遊ぶプールは…楽しい。これまでは訓練でしか使ったことのない施設を娯楽に使うだけでこんなにも違うのか、そんなことを思うくらいには満喫していた。

 先ほどもウォータースライダーにて絵里花と競い合い、私が無事に連勝を収める。任務では銃弾の飛び交う環境も経験しているというのに、滑り台へ乗ることに躊躇する絵里花は可愛かった。

「二人とも、楽しそうでよかったよ! 私たち、お邪魔虫扱いされるかと思って心配でぇ…」

「そ、そんなことないわよ…その、誘ってくれて…う、嬉しいって、思ってる…」

「わ、辺見さんが三浦さん以外にもデレた! ねえねえ、これも夏のマジックってやつかなぁ!?」

「大げさだって。絵里花、本当はものすごく優しい子だから」

「ま、円佳まで! あまり変なこと言わないで!」

 それからほんの少しだけ遅れてクラスメイトたちも滑り終えて、笑い声と同時にプールへと飛び込む。その水しぶきを受け止めつつ絵里花と笑い合っていたら、彼女たちもまた私たちに歩み寄って相好を崩した。

 クラスメイトたちの言うとおり、今日の絵里花は私以外ともそこそこ話せている。さらにはその滅多に振る舞われない笑顔も──若干ぎこちないけど──浮かべられていて、私以外に向けることに対するくしゅっとした気持ちよりも、ただ絵里花が笑ってくれているという事実に喜べる素直さが勝ってくれた。

 ぷいっと逸らす絵里花の頬はプールの水温では中和できない程度に赤色が目立ち、口元は上機嫌が隠せないかのように上向きだ。それを見ていたら私も笑ってしまい、クラスメイトたちも「三浦さんも今日はたくさん笑ってくれるね!」なんて笑顔が伝播していた。

(…ああ、いいなぁ。こういう時間、ずっと続けばいいのに)

 ひとしきり笑い合った後は自然と水の掛け合いが始まり、負けん気の強い絵里花は「や、やったわね!」とクラスメイトたちに反撃をする。もちろんエージェントらしい身体能力を持つ絵里花が本気で水をかけると大砲と鉄砲くらいには威力に差があり、クラスメイトたちは「辺見さんの腕力やばくない!?」と楽しそうな悲鳴を上げていた。

 それを安全な位置で見守りながら、私は今もゆるみ続ける頬をそのままにこの瞬間を噛み締める。少し前まではいろいろあって…ありすぎて絵里花も傷ついていたのに、本気で遊んでいる姿には引きずる様子も見られない。

 絵里花に深い傷跡を残すと危惧していた私の心からもかさぶたが取れたような気がして、そのくすぐったさを体全体で表現すべく、水の掛け合いに参加していた。

「…クチッ!」

「絵里花、大丈夫? ちょっと冷えたかな?」

「あっ、ごめんね辺見さん!…そうだ! 二人とも、あっちのジャグジーに入ってみない?」

「ジャグジー? ここってプールなのに、そういうのもあるんだ?」

「うん! 泳ぎ疲れた人や体が冷えた人向けに、温かいお湯に入れるんだよ。私たちはジュースを飲みながら一休みするから、二人で行ってきなよ~」

 水を使った戦いが一段落した直後、絵里花は両手で顔を押さえて──めちゃくちゃ小さくて可愛い──くしゃみを漏らす。すると、クラスメイトたちは予想外の施設について教えてくれた。

 …ジャグジーか。二人で過ごすには…うん、悪くないな。

「みんな、ありがとう。私も少し冷えたし、行ってみようよ」

「…う、うん」

 みんなは絵里花を心配してくれているんだけど、その顔はニマニマとなにかを期待するように緩みきっていて、私たちはそれに込められた意図も察する。


『プールでは二人きりにしてあげるからね!』


 それはあの日の約束を守ってくれたという意味でもあって、すっかり打ち解けた私たちがそれを下世話と思うことはなく。

 むしろありがたさすら感じつつ、言われたコーナーまで歩いていた。

「あ、ここか…なんだかこのコーナーだけ健康ランドみたい」

「そうね…でもちょうどいい温度だし、たしかにあったまるわ」

 メインプールの一角、そこは南国のような温度を持つジャグジーコーナーだった。

 浴槽は丸形、大人数人が余裕を持っては入れるサイズであり、座れるように段差も設けられている。ジェットバス機能も搭載しているおかげで泡が全体に広がっていて、リラクゼーション効果も大きそうだ。

 さらにここは騒ぐような場所ではないため、静かでまったりとした空気が広がっている。ガラス窓からは外の景色も見えるため、プールというよりも高級ホテルのバスルームみたいだった。

「絵里花、もう大丈夫?」

「もう、心配性なんだから…あなたこそ大丈夫? 髪のセットも少し乱れているし、遊び疲れていない?」

「んっ…ありがと、絵里花」

 肩を並べて座り、胸のあたりまでお湯につかる。すると水で冷えた体温がほどよく温められ、私たちのあいだに流れる空気も春爛漫となった。

 ちなみに今日は泳ぐということで絵里花が私の髪を三つ編みにしてくれていて、それが少し乱れていたからさささっと直してくれる。その手つきはいつも通り丁寧で、好きな相手に髪を触られる幸福に思わず吐息が漏れた。

「…ねえ、絵里花」

「あっ、円佳…?」

 泡に包まれたお湯の中では絵里花のきれいな体も判別が難しく、それは同時に少し手を回しても周囲に見えないと言える。

 そして絵里花に髪を整えられることで私の気持ちはゴム紐のように緩み、お湯の中ですっと手を伸ばし、絵里花の腰を伝ってお腹を撫でた。

「…お腹、冷えてない? 今はほかに人がいないし、もうちょっとだけ…あの、引っ付きたい…かも」

「え、あ、え…き、気持ちは、嬉しい、けど」

 ああ、まただ…そう考えられる余裕はあるのに。

 けれど私は外で絵里花と二人きりになると、なぜか上手く自制できない。普通は家にいるときのほうが我慢しにくいはずなのに、どうしてだろう。

 外という少し特別な環境が、私の理性を縛る紐を緩めるのだろうか? そんな分析をしているくせに、体は絵里花から離れられなかった。

「…絵里花、私ね」

「ま、円佳…あの、そこ、触られると…わっ、私、困っ…ご、ごめんなさい!」

「絵里花!?」

 そんな気持ちを素直に伝えると、絵里花はどう思うだろう。

 お湯に溶ける砂糖のように私の気持ちが溶け出そうとしたら、絵里花は太ももを擦り合わせてもじもじさせ、ぶるっと一回だけ震えて。

 拒絶されたような雰囲気ではなかったものの、絵里花は勢いよく立ち上がってジャクジーを飛び出した。突然のことに私は呆然と走り去る後ろ姿を見ていた…けれど。

「……きゃっ!?」

「絵里花っ!?」

 つるりと足を滑らせた絵里花はやや深めのプールへと落下し、突然のことに体は固まってしまったのか、泳げるはずなのにもがいていた。

 無論私も立ち上がってすぐに救助しようとしたけれど。


「はーいはいはい! 大丈夫だからね、落ち着いてねー!」


 私よりも近くにいた女性がすぐさま飛び込み、絵里花を抱えて鮮やかにプールサイドへと引き上げる。

 それ自体はとても助かったけれど…私はその人の顔を見たとき、伝えるべきお礼を忘れてその名前を呼んだ。


「…早乙女、さん? どうしてここに?」


 水に濡れた髪をかき上げた早乙女さんは、にっかりと笑っていた。

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