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第60話「では一肌脱ぎましょうか」

「皆さん、いらっしゃいませ…うふふ、愛する恋人に制服姿の美少女が二人、これはモチベ上げ上げですね…」

「こんにちは、美咲…髪はボサボサ、服は着古した部屋着、また追い詰められているの? まったく、私たちが行くって伝えているのに身だしなみも整えないで…」

「ま、まあまあ、結衣さんその辺で…美咲さん、今日は学校の課題に協力してくれてありがとうございます」

「夏休みのレポートで『作曲家の仕事内容についてのまとめ』を作るとはいえ、人選ミスじゃないかしら…」

 結衣さんとのお菓子作りは少し微妙な空気──主にがっついた私のせいだ──になったものの、幸いなことにプリンの出来映えについては申し分なく、イベントでも大好評だったらしい…9割くらいは結衣さんの実力だろうけど。

 そしてわざわざお礼を伝えに来てくれた結衣さんと雑談していたところ、私と絵里花が夏休みの自由研究のテーマについて相談すると、こんなふうに提案してくれたのだ。


『じゃあさ、作曲家…美咲の仕事内容についてのまとめとかどう? 珍しい職業だと思うし、身近な相手だし、かなり聞きやすくていいと思うんだけど』


 私たちはCMCのエージェントで学校の上層部はそうした背景も知っているから、最悪の場合はレポートの免除も可能ではあるだろう。けれども『真面目に学業をこなす因果律カップル』という肩書きがあるほうが好都合なのも事実で、そうなると自由研究のレポートもつつがなくこなす必要性があった。

 その点から考えると、結衣さんの提案は理想的だ。気になる職業についての深掘りというのは学生の自由研究としては普遍的なテーマで、なおかつそれにフリーの作曲家をチョイスするのは独自性も高い。

 美咲さんの本業は狙撃手だけど、社会人エージェントの多くは社会に紛れるために何らかの肩書きもあって、彼女の場合は実際に作曲家としても仕事をしていた。それでいて私たちとは運命共同体──誰もが運命に逆らえないという意味で──でもあるから、話しやすさについては最上級だろう。

 そんなわけで私たちは美咲さんに連絡を入れたら早々にOKしてもらえて、結衣さんもお仕事が休みだったから付き添いをしてくれた。ちなみに結衣さんは『どうせ今は家事どころじゃないだろうから』と踏んでいて、今日はついでに家のこともするつもりらしい…改めて思うけど、結衣さんほどできた恋人って日本有数な気がする…。

 そんな結衣さんの服装は家事をすることを見越してか、リネンのブラウスにベージュのクロップドパンツ、いつもの髪型にヘアピンをプラスし、前髪を留めていた。

 対する美咲さんは結衣さんに指摘されているように、着古したグレーのオーバーサイズTシャツ、黒の七分丈リラックススウェットパンツ、寝癖がついたままの髪を緩くまとめていた…つまり、まあ、だらしなくは見える。よくよく見るとボトムスは高級ブランドのロゴがついてるけど、着崩していることもあってか、育ちの良さを見事に中和していた。

「ひどいですよ、絵里花さん…これでも知る人ぞ知るアニメソングの作曲をしたり、ゲームBGMのミックスをしたりすることもありますのに。本当ならお二人くらいのJKからすると、もっとちやほやされてもいいと思うんですよね…」

「わ、悪かったわよ…美咲がちゃんと作曲家として仕事をしてるの、一応は認めているつもりよ。でも『見学に来るなら制服姿でお願いします、そのほうがやる気が出るかもしれません』って指定はどうかと思うけど」

「制服は別にいいんですが、仮に結衣さんが付き添ってくれなかったら『女子高生を部屋に招く怪しい女』みたいに見えていたかもしれないと思うんですけどね…」

「それも私が付き添った理由だよ? 今は『女同士』も珍しくない分、美咲は脇の甘さを反省してね?」

「すみませんでした…寝不足だと考えるよりも先に欲望が顔を覗かせるんです…」

 そう、今日の私と絵里花は夏休みだというのに制服を着ていた。美咲さんの訴えに謝罪しつつも絵里花がじとりとにらみ返したように、この格好は美咲さんのリクエストに応えた形となる。

 たしかに現代においても女性同士のほうが警戒は薄れやすいけど、私たちのような因果律カップルも珍しい存在ではなくなった結果、女性が同性を引っかけて遊ぶなんて事例もよく聞くわけで。仮にもエージェントなのにそんな指定をしてくるというのは、主任あたりであれば渋い顔をするかもしれなかった。

(…女同士も珍しくない、か。だから私が絵里花を『欲しい』と思うのも、自然…なのかな…)

 なんだかんだでいつも通りのやりとりに私は苦笑しつつ、考えるのはやっぱり絵里花のことだった。

 あれ以降、私と絵里花のギクシャクは続いている。それは目に見えてわかるようなケンカではなくて、駆動部にトラブルが起こったロボットの動きよろしく、本当にギギギという音が聞こえてきそうな状態。

 生きるために必要なことはきちんとこなしているし、会話だって0というわけじゃない。だけど、ひとたび私たちの物理的な距離が縮まると、絵里花は顔を赤くして体を硬くする。

 その姿は夏に人気の真っ赤なアイスバーのようで、だけど体温は氷を溶かしてしまうほど熱く、手を伸ばそうとした私は太陽を掴むような温度に阻まれ、人間らしく地べたを這いずり回って適性距離まで退却していた。

 …私と絵里花は恋人で、本来の適性距離は誰よりも近いはずなんだけど。自制できなかった結果、絵里花に『円佳が近づいてくるとそういうことを求められる』と思われているような状況は、自分が『そういうことだけを目的に付き合っているような人間』だと自己嫌悪を覚えそうだった。

(…絵里花を好きになるほど、欲しくなる。だけど、その分だけ絵里花の気持ちを無視しそうになる…)

 近づきたいけれど、近くなるほど私は止まれない。

 でも離れてしまうことは許されなくて、微妙な状態を受け入れるしかなくなる。

 こういうのをヤマアラシのジレンマというのだろうか、美咲さんはこういう気持ちすらも芸術に昇華できるのだろうか、とりとめもないことを考えながら私たちは美咲さんの部屋へとお邪魔していた。


 *


「私はですね、アナログな方法も結構作業に取り入れていますよ。メロディを思いついたらまずは楽譜やノートに書いていって、形になったら打ち込みを始める…みたいな感じですね」

「なるほど…床に書きかけの楽譜やメモが散乱してたのはそういう?」

「ちゃんと仕事をしてるのは立派だけど…結衣さんが来なかったら大変そうね…」

「いや、今日はきれいなほうだよ? それに意味もなく散らかしてたら怒るけど、仕事だからね…これくらいなら恋人としての役割ってことで」

 美咲さんの住まいはワンルームマンションで、仕事でクライアントと会うこともあってか、交通の便は結衣さんの家よりも若干優れていた。壁には吸音材を貼って防音対策が施されており、狭いスペースを住居兼スタジオにするためなのか、L字のデスクがとくに存在感を放っている。

 そのデスク上にはPCモニターが二台、コンパクトな61鍵のMIDIキーボード、オーディオインターフェースにスピーカーとキーボード、いかにもプロらしい機材が並んでいた。モニター上にはDAWや楽譜作成ソフト、仮音源として使うVSTが表示されている。

 デジタルな機材だけでなく、音楽的なアイディアを書き留める五線譜付きノートも複数置かれていて、その横には万年筆とインクカートリッジもある。なお、万年筆のペン先には猫のイラストが刻印されており、ロゴから察するに国内有名メーカーのものらしかった。

 部屋に入った直後にはエナジードリンクの空き缶も複数置かれていたけれど、それらは現在進行形で部屋の掃除をしている結衣さんが片していて、怒ることなく当然のようにフォローする様子は、恋人というよりも良妻の領域に突入している。

 …いいなぁ、この二人の関係は。私と絵里花に比べるとあまりにも自然体で、さらには『そういうこと』もしっかりしているわけだから、そんな前提条件があっても気負わない様子に羨望のまなざしを向けそうになった。

「本当に、結衣お姉さんには頭が上がりません…おっと、今日はせっかくのレポート作成ですから、即興で一曲作ってみましょうか。習作ですので短いですが、大目に見てくださいね」

「え、曲ってそんな簡単に作れるものなんですか?」

「それに仕事の曲だって作らないとでしょ? そんな時間あるの?」

「ふふふ、仕事が行き詰まっているからこその習作ですよ。どんなことでもやってみるとその人の経験になって、そして自分の人生に役立ってくれるのです…あ、『どんなことでもやってみると無駄にならない』の部分、しっかりメモしておいてくださいね?」

「…どんなことでも無駄にならない…」

 美咲さんはテキパキと片付けをする結衣さんに深々と頭を下げて、結衣さんは「私のことは気にしなくていいから、二人の力になってあげてね」と微笑む。それをきっかけに美咲さんは寝ぼけ眼を急激に覚醒させて、私たちに向き直りつつノートになにかを描き始めた。

 万年筆の猫が踊る度、五線譜の上に音符が生まれていく。それは猫の足跡のように小さく軽やかで、時折キャップを口元に引っ付けて「んー…」と悩ましげに考え込む美咲さんは柔らかなのに妖艶で、部屋着でなければ多くの人を惑わす美しさを放っていた。

 実際に、絵里花も急に雰囲気の変わった美咲さんを黙って見つめていて、そこに普段から向けている呆れは一切ない。対する私は美咲さんの言葉を一度だけ復唱し、言われたとおりメモ帳に書き残していた。

 もしも美咲さんの言うことが真実であれば…いや、この人を疑っているとかじゃなくて、あの日の私の行動も無駄などではなかったとしたら。

 私の肉食獣のような本能ですら、絵里花ともっと先に進むために役立つ日が来るのだろうか?

 同じ肉食獣でありながらもまったく牙を剥かない万年筆の猫に対し、私は心の中で問いかけた。

「よし、それではちょっと打ち込みを…完成まではヘッドホンで作業しますから、何か質問があれば肩を叩いてくださいね」

 楽譜が書き上がったら美咲さんはモニターヘッドホンを装着し、楽譜とPCモニターをチェックしつつ、これまた指先はダンスを始めたかのように鍵盤を叩き始める。

 美咲さんは猫が好きらしいけれど、万年筆だけでなく、その指先までもネコ科の生き物みたいだった。猫パンチを放つように次々とキーボードを叩き、その結果を確かめるようにうんうんと頷き、もはや私たちだけでなく結衣さんにすら目を向けない。

 普段は女の子ばかり追いかけているはずの双眸は、作品という獲物だけを見つめる貪欲さを秘めていた。それでも鍵盤に触れる彼女の手は静かで、その動きが野生動物ではなく人間に寄り添う、むやみに誰を傷つけない猫の手たらしめていた。

「ふむふむ、習作とはいえ今日は調子がいいですね…では、ここからはDAW…あ、Digital Audio Workstationで伴奏やリズムを追加していきます。こちらも簡単なものになりますが、大切な人たちに聞かせますので…ミックスでバランスも取りますよ~」

 …美咲さん、本当に仕事で追い詰められているのかな?

 そんなことを考えてしまうくらい、その手つきや作業工程によどみがない。むしろ本人が口にしたように絶好調と表現するのが自然で、仮に仕事で使うものではないとしても、それでも一曲ができるまでの動きとしては…。

(…この人、狙撃だけじゃなくて作曲でも天才なのかな…?)

 なんとなくだけど、美咲さんは天才という安っぽい賛辞を好まないような気がする。以前も狙撃後に回収班の人たちが『狙撃の天才が担当してくれると楽でいい』みたいなことを言ってたけど、美咲さんは私たちには見せない作り物丸出しの苦笑いをしていた。

 けれども楽しそうにオーディオインターフェースを操作する美咲さんには才能があふれているような気がして、不意にあり得ない未来、『この人がエージェントではなくただの作曲家だとしたら』なんてことを想像してしまう。

 今のように多くの曲を作り上げて、様々な場面で彩りを与え、ときに楽曲自体が高く評価される。そしてその隣にはいつも結衣さんがいて、お互いが支え合って生きていく…それは一見すると、今よりも素敵な未来に思えた。

(…でも、結衣さんには因果がない。そして美咲さんは自分から因果を捨てた…)

 しかし私たちの世界にIFはないように、今そこにある現実を生きていくしかない。

 そうなると美咲さんが因果を捨てるにはそれが許される程度の狙撃能力が必要で、因果を捨てたからこそ結衣さんとの恋愛も許されて…それは、まるで。

 美咲さんの言うとおり、『すべてのことが無駄ではなく、今という未来へつながっていた』ように思えた──。

「…うふふ、完成です…お姉さんお姉さん、私、皆さんのために簡単ですが一曲作りました。片付けもいいですが、ちょっと聞いてくださいませんか?」

「美咲ったら、仕事で大変なのに…私たちのためならすぐに頑張り過ぎちゃうんだから。ありがとね、それじゃあ聞かせて?」

 こうして美咲さんはスムーズに一曲を完成させて、ヘッドホンを外したらすぐに結衣さんへと声をかける。結衣さんはその誘いに呆れたように反応しつつも、その顔には恋人を慈しむあまりにも優しい笑顔が宿っていた。

 結衣さんの言うとおり、美咲さんは…私たちのためならば自分の才能を出し惜しみしない、利他的なまでに優しい人だ。今日だって仕事のさなか私たちのために時間を割いて、それを苦にするどころか嬉しそうにしている。

 気づいたら絵里花もどこか羨ましそうに、でも妬ましそうではなく美咲さんと結衣さんを見ていた。私はその横顔にほっとしつつ、スピーカーから流れ始める曲に耳を傾ける。

 それはまず穏やかなピアノのイントロから始まり、すぐさまどこかで聞いたことのあるフルートのメロディが加わった。その始まり方はクラシック音楽を思わせ、それでも柔らかで親しみやすい旋律なのは、美咲さんの性格を表すかのよう。

 しかしブリッジ部分はシンセサイザーやパーカッションを取り入れた現代的な雰囲気で、即興で入るフルートのソロを引き立てている。そのままリキャップ部分で冒頭のメロディが再び演奏されたけれど、盛り上がりは加速していき。

 コーダはピアノとフルートで締めくくられ、余韻を持たせたまま…習作というには完成度の高い、レポート用の作曲風景としてはこの上なく贅沢なフィナーレを迎えた。

「…以上です、ご清聴ありがとうございました。どうですか? レポート、いい感じになりそうです?」

「…あ、はい。えっと、上手く言えないんですけど…上品だけど聞きやすくて、作曲家ってすごいんだなぁって…絵里花もそう思…絵里花?」

「…あ、ご、ごめんなさい…その、聞き入ってて、メモを忘れてたわ…」

「…ふふふ。美咲のこと、見直した? 私も何曲か作るときに立ち会わせてもらったけど、作曲中は見とれちゃうことがあるんだよね」

 曲の再生が終わったら美咲さんはお辞儀をして、私たちははっとして小さな拍手をする。そして門外漢の私はなんとも曖昧な感想しか言えなかったけれど、レポートの作成が捗るのは間違いなさそうだ。

 …それこそ、普段は美咲さんにきついツッコミを入れている絵里花ですら、思わず聞き入ってしまうほど曲のレベルも高かった。

 そんな恋人が誇らしいのか、結衣さんは笑いながら美咲さんの頭をぽんぽんと撫でながら褒めていた。美咲さんはそこで子供っぽく破顔し、結衣さんの胸に飛び込むように抱きついて「もっと褒めてくださいっ」なんて甘えている。一応は私たちもいるのだけど、ここは公共の場ではないせいか、結衣さんも突き放すことはなかった。


「「いいなぁ…あっ」」


 …そんな親しい人しかいない安心できる空間は、私たちの口元まで緩めてしまったらしい。

 結果、私と絵里花はほぼ同時に二人を羨んでしまい、その間抜けなシンクロに美咲さんと結衣さんはこちらをきょとんと見て、けれども馬鹿にせずにどちらも柔らかく笑った。

「…もしかしてお二人とも、最近『また』すれ違ってます?」

「ま、またって何よ!? 私たちは別に、そんな…」

「んー、まあそんなところ。美咲、なんかいいアイディアない?」

「え、ちょ…結衣さんまで…」

 そしていつも通りの察しの良さで、大人組は私たちの状況を言い当てる。絵里花の態度はもちろんのこと、私も結衣さんに対して遠慮しようとしても言い切れず、二人はどんどん話を進めていく。

 やがて美咲さんはいいことを思いついたとばかりに両手をぽんと合わせ、そして全員を見渡しながら梅雨明けを迎えたように笑っていた。

「面倒くさくて可愛いお二人のため、私が一肌脱ぎます…こういうときは、やっぱり『ムード作り』ですよね?」

 その笑顔、どこかで見たことあるような…と考えた私に、ふと思い当たる記憶があった。

(…あの顔、いたずらが思いついたときに似てる…)

 良識のある大人の美咲さんだけど、この顔を浮かべたときは周囲を巻き込むなにかを考えていて、それに対して不安があったけど。

 こういうときのストッパーである結衣さんが「ま、そういうことなら付き合うよ」と賛同したことで、私たちは顔を見合わせて受け入れるしかなくなった。

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