「んーふふ、今日は楽しかったね! あたしたちのこれからも面白そうだし!」
「あんたと私たちにこれからなんてないわよ! おとなしく一般通行人として邪魔をしないことね!」
「まあまあ、絵里花…早乙女さんには助けてもらったし、これからも持ちつ持たれつやっていくだろうから…その、少しだけ仲良くね?」
ナイトハイクを終えて下山中、私たちの冒険はまだ続いていた。といっても下山においては登りのような体力消耗はなく、膝を痛めないよう慎重に降りればいいだけだ。そもそも高山と表現するほど標高が高いわけでもないので、エージェントの訓練に比べると楽なものだった。
ちなみに訓練生のエージェントだと『想定可能なあらゆる状況に対応できるようになる』というのが目標とされるため、研究所が管理する山岳地帯を使ったサバイバルなどもさせられたっけ。
…それから考えると、これは本当に遠足でしかなかった。つまり、こういう帰り道ですら楽しいと感じられる余裕があって、そこに引っ張ってきてくれた早乙女さんにはいまだに感謝の念が渦巻いている。
だから今もヒートアップしている絵里花に対して私はなだめるように声をかけ、そして手を握って苦笑を投げかけた。すると絵里花は露骨な舌打ちをしつつも握り返してくれて、返事はせずとも拒絶感は感じられないのに安堵する。
…なんか今の私、惚れた弱みにつけ込んだみたいで…少しあれかな。
「あーあ、もうゴールが見えてきちゃった…ねえねえ、今日はこのまま家には帰らずに、あっちにある『宿泊施設』で女子会しない? 夏の思い出をデザートに、甘ーい時間を過ごそうよ~」
「私たちの年齢で入れるわけないでしょうが! そもそもあんたなんかと入ったらどんな目に遭うかわからないでしょ!」
「うーん、さすがにああいう場所はちょっと…」
こうして三人で手をつないだり並んだりして山道を降りていくと、程なくして登山道の入り口が見えてくる。楽しい時間はすぐに過ぎてしまうというけれど、あっという間に感じているあたり、私もなんだかんだで彼女との時間を楽しいと感じているのだろう。
そして早乙女さんはまだまだ楽しみ足りないのか、繁華街があるであろう方角を指さし、こともあろうに『恋人たちが利用するための宿泊施設』での女子会に誘ってきた。
彼女のことだから冗談も多分に含まれているのだろうけど、そもそも私たちの年齢では入ることが許されないだろうし、早乙女さんが『私だけでなく絵里花とも同時に付き合いたがっている人』だと考えたら、さすがにちょっとばかりの危機感を覚えてしまう。
…私と絵里花の二人きりなら、うん…もしかすると、いつか本当に行くことがあるのだろうか?
またしてもむっつり気味なことを考えていた私は絵里花のあられもない姿を想像しそうになっていて、それを振り切るように無心でゴールをくぐり抜けていた。
「はい、とうちゃーく! じゃあお泊まりは諦めるから、もう一件カフェにでも付き合ってよ~。こんなに楽しいのにさ、もうお別れなんて寂しいじゃん…絵里花ちゃんだって好きな人とのデートがすぐに終わるの、つらいでしょ?」
「わ、私は別に…円佳とは一緒に暮らしているから、デートの後でもそんなには…」
「あはは…そうだね、うん。この時間ならまだ営業しているお店もあるし、一杯くらいならいいんじゃないかな」
ゴールに到着した私たちはようやく解散…とはいかないようで、早乙女さんは私たちの肩を同時に抱き寄せるように引っ付いてきて、今生の別れでもないのにこの瞬間を惜しんでくれていた。
いつもひょうきんで軽薄な調子が漂う早乙女さんだけど、なんだろう…寂しい、の部分に関してはどこか寂寥を感じさせるような響きがあって、一緒に夜空を見た仲となったこともあり、どうにも無下にはできなかった。
いつも明るく振る舞う彼女にはムードメーカーのような雰囲気があって、それが私たちにも離れがたいと感じる磁力を生み出しているのかもしれない。現に、絵里花は私とのデートを思い出したかのように言葉尻が弱くなっていって、たとえ一緒に暮らしていても恋人の時間は大切にしたいという気持ちが伝わってきた。
それなら、私も少しくらいは応えたい。そんなふうに思って了承すると、絵里花も顔こそそらしつつも拒否はしなかった。
「よーし、それじゃあ早速…?」
「…そうだね、行こうか」
「…ええ」
早乙女さんが再び私たちを先導し、夜の街へと冒険に繰り出す。それは山とは異なる危険性があるのかもしれないけれど、人の手が入っているだけマシ…なんて思っていたときだった。
私たちの前方に、四人ほどの男が歩いてきた。けれどもそいつらはこちらのことなんて興味なさげで、一瞬だけ私たちを見たかと思ったら通り過ぎ、そのまま登山道の方角へ歩いていく。
私たちはその姿が見えた直後は一瞬だけ表情を固くして、けれども示し合わせたように何気ない会話を再開する。なのであいつらには『夏休みで羽目を外して夜遊びしている女子高生』としか映っていなかっただろうし、現にそれを狙っての振る舞いだった。
「…どうする? 夜、監視の少ないマイナーな登山道、大柄な男…」
「美咲には連絡しておいたわ。今はリフレクターガンも持ってきていないし、あいつが来るまでは入り口付近に潜むのがいいと思うけど」
それから念のためにゆっくりと前進を続け、ちらりと振り返ったところで男たちが登山道へと消えていったことを確認し、私は二人に対して率直に質問する。
念のために確認しておくと、私たちエージェントは『因果律に逆らった人間の捕縛が専門』だ。あの集団が因果律に関係のない犯罪行為に関与していた場合、私たちの管轄外となる。
ただし、近年は監視網が細かくなったことで元々犯罪率の低かったこの国はさらに治安が改善し、因果律による出会いの尊重は一時期のような少子高齢化、そしてそれに伴う利権まみれの無計画な移民も是正され、結果的に因果律へ反抗する犯罪者の割合が増加したのだ。
因果律があるからこそビジネスの機会を奪われた犯罪者どもが、今度は因果律があるからこその歪みを悪用しようとする…つくづく、悪人というのは度し難い思考回路をしていた。
無論私たちは『いかにもな犯罪者を見抜くための判断基準』もたたき込まれていて、三人が同時にそれへ引っかかると判断した以上、このままカフェにしゃれ込むことは難しかった。
すっかり任務遂行能力が向上した絵里花は言われる前に端末を操作して美咲さんに報告しており、有事への備えを進めてくれている。同時に次なる行動についても正しく判断できているように、もはや彼女を足手まといだとは誰も言えないだろう。
「…んふっ。ねえねえ、二人とも…どうせだし、もうちょっと冒険しちゃおっか?」
けれど。確実な行動を取ろうとする私たちとは対照的に、早乙女さんの目は先ほど見たさそり座の心臓のごとくぎらぎらと輝いていて。
私と絵里花は顔を見合わせ、その不敵な笑顔により彼女の選択を理解し…返事を聞く前に登山道へと引き返した、どこか楽しげな早乙女さんの後を追うしかなかった。
*
「だから、これ以上人員は割けないって! うちの構成員、何人やられたと思ってるんだ!」
「そんなのは知らん。こっちは仕事を割り振る側なんだ、そっちはそれに従って人間を派遣すればいい」
まさか一日のうちにナイトハイクを二度も、それも二回目は任務の一環として行われるとは思ってもいなかった。
予想通りあいつらは監視の目が少ないこの場所…あの頂上を密談の場所に選んだらしく、ドローンがほとんど飛んでこないここはまさにうってつけだろう。
そんな彼らのミスは私たちエージェントとすれ違ったこと、そして私たちの正体を見抜けなかったことだろう…だからこそ、都市風景に紛れる私たち学生CMCはエージェントとして重宝されているのだ。
「だいたい、割に合わないんだよ! 今回は重要な『ブツ』を運ぶってのに、あんな報酬じゃあ武器の確保もままならん! 税関や警察の目を欺くのも一苦労なんだぞ!」
「税関や警察なんぞどうとでもなる。問題は我々を秘密裏に攻撃してくる、この国の暗部どもだ…あいつらに目をつけられたら最後、二度と『こっち』には戻ってこれん。お前らはそっちの対策を進めたらどうだ?」
「…なーるほど、非合法なものを運ぶための密談ってところかな? んで、交渉は難航…組織の上層部と実行部隊の折り合いが付かないみたいだね」
「…でも、今のところは因果律に関係しているかどうか定かじゃない…『暗部』なんて言ってるから、私たちの管轄かもしれないけど」
そして私たちは頂上の入り口付近の林に身を隠し、携帯端末を集音モードにしてあいつらの声を拾い、無線機にも使うワイヤレスイヤホンで会話を聞き取っていた。
そして会話内容はいかにも犯罪行為を想起させるもので、多分早乙女さんの解釈は正しい。同時に、絵里花の言うとおり因果律関連かどうかはまだ微妙なところで、もうちょっとぼろを出すかどうか見届けないといけなかった。
…まあ、仮に因果律関連でなかったとしても、犯罪者であれば拘束して取り調べを行い、本格的に関係ないと判断してから警察に放り込むこともできるだろうけど。
「わかってるよ、んなことは! でも相手の正体もわからない以上、どんな対策を取れって言うんだ!? 気付いたら仲間がいなくなってる、お前らだってそういう経験くらいあるだろうが!」
「…だからこそ、因果律を破壊して状況を変えられるように計画を進めている。そのための一歩を踏み出すのだ、多少の犠牲はやむを得ん」
「…ビンゴ。そろそろあの人たちには退場してもらおうかな?」
ぺろり、獲物を見つけたように早乙女さんは舌なめずりをする。
一方で私と絵里花は『因果律』という言葉が飛び出したことでわずかに体が硬くなり、あいつらが拘束対象であることを確信した。
「けど、あいつらは武器を持っているかもしれない。とくに銃器がある場合、今の私たちだと危険よ」
「んーふふ…さっき『武器の確保もままならん』って言ってたでしょ? ならせいぜいが刃物か鈍器、これなら今のあたしたちでも余裕でしょ? それとも絵里花ちゃん、怖い?」
「…こんなときまで煽るなんて、本当にむかつく奴ね。いいわよ、やってやろうじゃない…」
早乙女さんは今にも飛び出したくてしょうがない、らんらんとした目を向けていて、それと視線が交差すると私たちも覚悟を決めるしかなかった。
正直に言うと、恐怖はない。ただ、それは自分の身に何か起こる場合のことであって、絵里花に傷がつけられでもしたら…私は多分、拘束を忘れて殺害にシフトするだろう。
武器があるかどうかなんて、関係ない。私たちエージェントには拘束だけでなく暗殺ができる程度の格闘術も仕込まれていて、すでに頭の中は立ち回りをシミュレートしてるのだから。
「…終わったみたいだねぇ。一歩で攻撃できる距離まで来たら、一気に仕掛けるよ」
「了解」
それからも何度か言い合いをしたかと思ったら交渉は決裂したようで、おそらくは実行部隊側の男二人が下山を始めようとこちらに向かってくる。
射程距離まで、あと三歩。二歩。一歩。
…踏んだ。
「…!? なっ、なんだお前ら──」
その一歩を敵が踏んだとき、私は誰よりも先に飛び出していた。
私たちエージェントに仕込まれている格闘術、それは『体から余計な力を抜き、筋力や体格に依存せず、反射的な動作で相手の動きを封じる』というのが基本方針だった。
私は主にカウンター狙いなので、相手から攻撃してくれるほうが好都合だったけど…なまじ実戦経験があるのか、本当に都合よく攻撃してくれて助かった。
まずは前腕をロックして肘を極め、そのままテイクダウン。そこから素早くチョークホールドを行って意識を奪い、まずは一人目を仕留める。
「まさか、こいつら…ぐえっ!?」
「あはは、よそ見とは感心しないなー! せっかくあたしみたいな美少女がいるのに、ほかの子を見ちゃダメダメ!」
私が拘束した仲間を助けようとすべく、二人目の男が襲いかかってきた。
けれどもその男の腕は早乙女さんの回し蹴りによって弾かれ、彼女はその回転の勢いを載せてハイキックを放ち、相手はすぐにふらつく。
「見て見て、この脚線美に足技! あたし、体柔らかいでしょ!」
ふらついた相手へカポエイラを思わせるスイープで追撃、転倒した男の間接を極めたことで速くも二人目はダウンした。
早乙女さんはどうやら柔軟性が高く足技が得意なようで、一連の動きはスムーズな一方、まるで魅せ技のように美しく派手だ。その洗練された無駄が盛り込まれた動作は、敵にすると予測が難しく厄介に見えた。
「ちっ、このガキどもが…! 大人を舐めたこと、死んで後悔を…あぎっ!?」
「…舐めてるのはそっちでしょうが…!」
そして少し離れた場所にいた三人目は折り畳み式のナイフを取り出し、私たちを切り刻むべく走ってくる。
けれど、それは…ナイフディフェンスを得意とする絵里花と対峙する場合、悪手でしかなかった。
絵里花もまた一気に距離を詰め、コンパクトな動きで相手の手首を掴みねじり上げる。この時点で敵は武器を手放し、すでに無力化できたといってもいいだろう。
だけど慎重でもある絵里花は相手のバランスを崩して肩固めを行い、地面に押し倒して三人目をホールドする。本当なら絵里花にはこういう男たちに触って欲しくないけど、さすがに今そんなわがままを言うわけにはいかなかった。
「くそっ、我々の邪魔をしていたのはお前らだったのか…! だが、私だけは捕まるわけにはいかん!」
そして四人目、この中では一番偉そうな人間は登山道ではなく木々の中に飛び込むべく走り去ろうとしていて、再びカウンター狙いをしていた私は予想よりも相手が冷静だったことに追撃が遅れた。
「おおっと、一人だけ逃げようなんて感心しないねぇー!」
けれど早乙女さんはそれも織り込み済みだったのか、相手をしていた男の意識がなくなったことを確認したかと思ったら、飛び跳ねるように四人目へ駆け出す。
そして…映画のワンシーンでも見ているかのような勢いと飛距離の飛び膝蹴りを放ち、あっさり追いつかれた男は足を止めてしまう。この時点で、勝負は決まった。
早乙女さんはそのまま首投げを放ち、四人目の男は地面に倒れ伏す。そして両手首を踏みつけてにんまりと笑い、アンタレスを指さすように上空へと手を掲げた。
「こーいうのは素早く、そしてカワイク決めないとね!」
彼女の指先を見上げると、その勝利をたたえるようにサソリの心臓が赤くきらめいていた。
*
「もう、無茶をして…ですが、お手柄です。なので今日はお説教はやめておきますね」
私たちが拘束を終えてそれを報告すると、程なくして美咲さんも駆けつけてくれた。
私たちエージェントは素手でも戦えるようになっているし、それは美咲さんだって同じだ。だからもしもここにいたのが美咲さんだったとしても同じように体術で制していただろうけど、私たちにはなるべくリスクを取ってもらいたくないのか、到着早々に咎めるように口を尖らせつつ…無事を喜ぶように、すぐに表情を緩めた。
「助かります…それで、こいつらの目的なんですが。なんでも重要なものを運ぼうとしていたみたいで、そのための護衛とか報酬とか、そういう密談をしていたみたいです」
「ええ、すでにメッセージで報告してもらいました。それで…関連した情報も入ってきています」
美咲さんは倒れ伏す男たちを見るときは無感情だったけれど、私たちに向き直ると同時に神妙な顔つきになり、意を決したように口にする。
そしてそれは、私…私たちにとって、根幹を揺るがしかねないほど危険なものだった。
「…おそらく敵が運ぼうとしていたのは『因果律のリセット装置』でしょう。ここ最近の動きから察するに、そう考えるのが自然です」
「…因果律の」
「リセット…?」
私の言葉を引き継ぐように、絵里花もぶるりとしながら吐き捨てる。
因果律。それは日本を支えている、絆の力。
そして、何より…私と絵里花をつなぐきっかけ。
それをリセットするなんて、そんなの。
…絶対に、認められるか!
「…あーらら…そんなの、本当に作ってたんだ…」
私がこの国に潜む『敵』に密かな怒りを燃やしていたら、後ろから早乙女さんの物憂げな声が聞こえた気がした。