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第71話「混沌を望む」

 先ほどの演説、およびその反応を確認した天海拓真は歪んだ笑みを小さく浮かべていた。

 彼がいる場所は世界自由連合の本部、その最奥の執務室だ。本部建物は都市の目立つ場所にあり、当然ながら日々警察によるマークがされていたものの、それは政党としてはむしろ安全の確保につながっていた。

 警察が身近であることは、民主主義に則っている限りは安全性が高くなる。仮に警察が世界自由連合に攻撃する存在を見逃した場合、それは連合にとって政権の攻撃材料となるのだ。

(…計画は順調、まだ『奴ら』にも気付かれてない。表にいる公的機関なぞ敵にもならない、そのために立ち上げた政党なのだからな)

 天海が操作する端末、それは一見すると市販品のラップトップPCに見えるが、実際は『Oblivion Terminal』と呼ばれる独自構築のOSが内蔵された秘密通信専用機であった。

 現在の日本で市販されているデジタルデバイスの大半にはコンパクトかつ高性能なAIが搭載されているが、このセキュアOSはそれらをバックドアと見なして一切の通信を遮断し、ネットワークへの接続も特定の暗号化通信経路のみを利用するという徹底ぶりだった。

 内部ストレージも物理的に分離された独自設計のSSDを搭載していることから、通常のハッキングツールでは解析が不可能だ。よって第三者に押収されたとしても、情報の漏洩は一切起こらない。

 この端末は因果律研究所がひそかに広げた監視網の完全な外に存在している、オブリビオン忘却の名にふさわしい、存在していることすら把握されない孤高のデジタルデバイスとなっていた。

 それはまるで、天海本人のように。

(…しかし、末端の人員は消耗が激しいな。国内だけでは賄えないと想定し、早期の段階で海外勢力との協力関係を結んだのは正解だったか)

 画面に表示される情報を素早く分析し、次々に届く報告から今後の方針を策定していく。そうした情報の中には海外から届くものも多く、それは天海が海外勢力…日本の崩壊を望む海の向こうの国々とつながっていることを意味していた。

 無論通常の通信方法であれば研究所が把握することは難しくないが、このラップトップが使用する通信の暗号化はポスト量子暗号が用いられており、量子コンピューターを用いても解読は不可能だ。

 そしてこれらの技術開発の多くに天海本人が携わっているように、彼が因果律システムにも関わるエンジニアであったのは事実だった。

(特定のシステムに依存しつつも、その仕組みを理解できていない無能が舵取りをする…この国は昔から変わらんな)

 かつての日本では『パソコンを使えない大臣がIT担当に就任する』というエンジニアからすると絶望的な状況が続いていたが、現在はAIによる補佐が当たり前になったことでそれも是正されつつあった。しかし、裏を返せば『AI以上の能力を有さない限り、AIの能力がその人間の上限である』とも言えて、今も時代遅れの政治家が多く残っていた。

 故に因果律システムという優れた仕組みがあったとしても、為政者がそれを完全に理解しているケースは希少だ。天海は誰よりも因果律システムを憎む一方、誰よりも因果律について理解しているという自負があり、党首討論などが開催されれば与党側を論破することもしばしばあった。

 もちろんそうした都合の悪いシーンではAIによる注釈が発生し、天海の全面勝利となる機会はほぼなかった。そもそも因果という多くの国民が受け入れているシステムを破壊しようとしているだけで、多くの支持を得ることは難しい。

「…もう少しだよ、真璃亜。私たちを歪めた運命に復讐する日は、そう遠くない…」

 天海は万が一にも盗聴されないため、一人のときはほとんど口を開かなかった。しかしラップトップに表示される進捗を見ていると、どうしてもその名前を呼ばずにはいられない。

 真璃亜は、かつて天海と付き合っていた女性の名前だ。当時はお互いが自由恋愛を謳歌しており、どちらもこのまま結ばれることを信じていたが、因果律が下した運命は二人にとって残酷だった。

 真璃亜の因果の相手、それは天海ではなかったのだ。そして真璃亜の両親は当然ながら因果律の相手と結ばれることを望み、当時は今以上に因果律を強制する動きも強かったことから、真璃亜は望まぬ交際を始め…。

 程なくして、真璃亜は自ら命を絶った。この出来事については『天海が納得できず真璃亜を洗脳して追い詰めた』という風説が流布されており、現に天海は彼女へ強く執着していたこともあり、世界自由連合に反感を持つ人間を中心に広く信じられていた。

(…愚民どもめ。与えられた平穏なぞ、自由なぞ、個人の意志を奪う鎖に過ぎない。私と真璃亜はそれを証明して見せる…そのためであれば)

 ラップトップに新しいメッセージが表示される。そこに書かれていた内容を見た天海の口元に、再び歪な笑みが宿った。


『|Causal Disruptor-Headgear《因果崩壊ヘッドギア》の試作型を捕らえた敵エージェントに使用した結果、操作された因果の破壊を確認。同時に、記憶や感情についても障害が発生している模様。今後【広範囲の脳波に直接干渉するタイプ】の開発に成功した場合、大規模な因果律崩壊も可能であると考えられる』


 そのメッセージが受信すると同時に、データ削除までのカウントダウンが開始される。これより送信者と受信者の双方からログが消えるため、まもなくこの情報は天海と一握りの開発者以外からは完全に消え去るだろう。

 研究所すら尻尾を掴めない情報は末端まで届くことはなく、今日も多くの同胞がエージェントによって刈り取られているのを天海は知っていた。

 それでも彼は笑っていた。くくくっ、と因果が滅びゆく様子を想像し、笑いの衝動が簡単には消えない。冷静で整った顔立ちがおもちゃを前にした子供のように笑っている様子は、それこそ行方知れずとなった『娘』に似ていた──。

(システムによって操作された哀れな子供たちよ、喜ぶがいい…私がお前たちに『自由』を与えてやる。因果律から解放されたそのときこそ、お前たちの人生が始まるのだ…)

 天海は知っていた。復讐のためにエンジニアという立場を利用し、因果律システムの中枢に近い位置まで潜り込み、非倫理的な実験…CMCと呼ばれる『因果を操作された子供たち』が生まれていたことを。

 そしてその子供たちは操作されるだけにとどまらず、優秀な個体は訓練を受けさせられ、そして『因果律を守らせるためのエージェント』になっていたことを。

 だからこそ世界自由連合と関連勢力は彼ら彼女らを捕らえ、政府の欺瞞を暴くための『実験台』にしていた。いいや、これは実験ですらない…天海にとっては、たしかに『救済』だったのだ。

(与えられた因果を破壊し、その実態を白日の下に晒す…その暁には、我々はようやく楔から解放されるだろう)

 天海は信じている。真実を知り、その上で反逆を選んだ自分こそが正しく、そしてこの国を変えていけるのだと。

 そのためにできることはすべてしてきたし、同時に、海外勢力にとって都合のいい結末…日本の国力低下につながることすら辞さないと決意していた。

 その原動力は使命感からなのか、最愛の人を奪われた復讐心からなのか、彼の心は誰にもわからない。

 そして新しく届いたメッセージの送信者もまた、彼の心には触れられないだろう。


『研究所内での活動は順調、気取られた様子はありません。ただ、現在の私の立場では【因果・京】にはアクセスができないため、システムへの干渉が不可能でした。お役に立てず、申し訳ありません』


 予想はしていた。しかし、かつて自分がエンジニアをしていた頃に比べてさらに研究所のスパコンが堅牢になっているのを把握すると、天海から笑顔が消えた。

(…まあ、一介の研究者だとこんなものだろう。それに研究所内にいるのであれば、使い道はまだまだある…そこにはCMCどもがいるのだからな)

 自分を納得させるように考えた天海は再び微笑みを取り戻し、返信内容には不機嫌を出さないようにしつつ、エンジニア時代からまったく衰えていない速度でタイピングを行い、送信ボタンを押す。それからまもなくメッセージのログは自動で消去され、ラップトップ内から有力な情報は失われた。

(我々の作戦は幾重にも用意されている…だからこそ、次が失敗しようとも大きな支障はない。しかし、何事も早いに越したことはないからな…『運び入れ』と『運び出し』、どちらも成功させられるようにせねば)

 そして天海はラップトップを閉じ、腕を組んで目を閉じる。そのまぶたの裏では先ほど自分が送った作戦内容が広がっていて、彼はまた声を出しながら笑っていた。


『次の作戦は三段構え、まもなく第一段が開始される。君の出番は二段目以降、研究所内でのものだ。その際の活躍に期待している』

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