「にしても、研究所も大げさね…私たちのために旧校舎を貸し切りにしてくれるだなんて」
「それだけ危険度が高いと判断したんだろうね…でもまあ、念を入れておくのに越したことはないから」
二日後、私たちは聖央高等学校の校舎…といっても、普段はほとんど使われていない旧校舎と呼ばれる場所に向かっていた。
先進的な聖央高等学校だけど、実はその歴史はかなり長い。以前見た資料だと少なくとも創立から100年ほどは経過しているようで、そこまで時間が経過していると旧校舎があってもおかしくはないだろう。
聖央の校風から考えると旧校舎はさっさと取り壊しそうに思えたけど、倉庫や合宿施設、災害時の避難場所や一時的に生徒が増加した場合の予備校舎など、その用途は案外幅広かった。そして今回は『演説に使いたがる生徒のための場所貸し出し』という名目で使われているらしい。
…そう、これは研究所が手を回した結果であり、学校側はあくまでも善意で貸し出すふりをして、ターゲットを人目のつかない場所へと閉じ込めてくれたわけだ。ちなみに美咲さんは新校舎の屋上に待機していて、万が一の場合の狙撃地点を確保している。
絵里花の言うとおり、『過激な政治集団にそそのかされた一般生徒』を捕らえるだけと考えた場合、この対応については大げさだろう。ただ、気になる点もあった。
(…新学期が始まると同時に転校してきた生徒、か。それ以前の経歴については怪しいところがない…逆に不審だな)
旧校舎に足を踏み入れ、私と絵里花はパーカーを着用して顔を隠す。まだまだ熱い日が続いているので快適とは言いにくいけれど、自身の警戒心に照らし合わせて考えた場合、顔全体を覆うことには安心感すら覚えた。
演説をしていた男子生徒について調べたところ、ほんの少し前に転校してきたこともあり、聖央高等学校内での活動履歴なんてものはない。一方で、あれほど世界自由連合に影響を受けていたのなら以前通っていた学校で何らかのマークをされていそうなものだけど、そうした経歴すらなかったのだ。
書道の展覧会において、一つだけ白紙のまま提出された作品があるような不自然さ。それはまるで、半紙の下にこそ見せたいものがあるような…怪しさだ。
もしもこの直感がエージェント特有の杞憂であれば、それはそれでいい。すぐさま任務が終わったのなら結衣さんのところへ寄り道するのもいいし、店長のお店で一杯──いうまでもなくコーヒーの話だ──飲んでから帰るのもいいだろう。
けれども、私の勘が的中するようなことがあれば。絵里花にまで危険が及ぶかもしれない。
それはエージェントである以上は当然のことなのに、私はそうした当たり前すら許したくないのだろう。その可能性がある限り、絵里花に…私の一番大切な人が傷つくかもしれないのだから。
「…ここか。突入と同時にリフレクターガンで撃つから、万が一外したらフロレンスは向こうの出口から追撃をお願い」
「了解…無理だけはしないで。これより作戦開始、アセロラ、バックアップをお願い」
ターゲットに割り当てられた場所、それは旧校舎三階、一番奥の空き教室だ。つまり逃げ場所はないということで、学校側も相当研究所に気を使っているように思えた…ここまですると敵も警戒しそうだけど、ドアの向こうには人の気配も感じられて、自ら檻の中に入られたような気分になる。
もちろん、同情はしない。私は絵里花が反対側の入り口についたのを確認すると同時にドアを開き、目標を確認して引き金を引いたら。
目が合ったそいつは驚きよりも敵意のこもった視線を私にぶつけてきて、そして。
「…その可能性も考慮していたけど、学校側もグルだったとは! 見せしめが必要なようだね!」
「…!? こちらベイグル、ターゲットは銃器を所持、攻撃を回避して反撃を開始した! 武器のタイプはサブマシンガンと推測、応戦開始!」
私はリフレクターガンの引き金を躊躇なく引いたけれど、敵はドアが開いた時点ですでに行動を開始していて、積み上げていた机と椅子を飛び込むように崩し、即興のバリケードを作っただけでなく、さらには反撃もしてきた。
敵が銃器をこちらに向けてきた直後には私も身を引いて射撃を回避したけれど、問題はその密度…ハンドガンでは不可能な、フルオートでの弾幕が展開されたことだった。
これまで捕縛したことのある敵は銃器を所持していたことも多かったけれど、それらはほとんどが一般的なハンドガンであり、火力や連射性に優れた武器はほとんど見たことがない。おそらくは入手性の問題で、密輸などに頼らないといけない以上、確保が難しかったのだろう。
だからこそ私は『敵が反撃してきたとしてもハンドガン程度だろう』なんて考えていて、それならこのパーカーでも十分防げる…そう考えていたのに、サブマシンガンと思わしき銃器で反撃されては強行突破もできなかった。
研究所での訓練でも使ったことがあると思わしき現代火器はテンポのいい発射音を繰り返し、私の反撃を許さない。もちろん絵里花もすぐさま援護すべく反対側のドアを開いてリフレクターガンを撃ち込んだけれど、敵は慣れた様子でバリケードに隠れ、すぐさま絵里花のほうにも射撃を行う。
絶え間ない弾幕は精度こそいまいちだけど、私たちを油断させないほどの制圧力があり、なかなか反撃の糸口が見えない。そして流れ弾はすでに何枚も窓ガラスを割っていて、万が一近くを通りかかる生徒がいたら何事かと見に来るかもしれなかった。
「…あいつの銃、サブマシンガンじゃないわ! バレルとマガジンが明らかに大きいけど、本体はハンドガンに近い…改造品だわ!」
「ご名答! 君たちみたいな『敵対勢力』がいるおかげで大きな武器は手に入らないから、現場で『工夫』しないとね!」
二人がかりで応戦を開始したこともあり、相手の武器を観察する余裕も出てくる。そして絵里花が教えてくれたとおり、それはサブマシンガンではなかった。
本体は敵から押収したハンドガンに似ているものの、バレルは反動制御と冷却性能向上のためなのか、明らかに補強されて大柄になっている。そして後付け感丸出しのマガジンは見たところ倍以上のサイズ感になっていて、これなら弾幕を張り続けることもできるだろう。
それは犯罪者が自衛のために使うというよりも、敵を制圧するために無理矢理違法な改造を施したとみるべきで、こちらにとっても使用者にとっても危険な代物だった。けれども相手はそんなことはお構いなしに射撃とリロードを続け、持ち込んだスクールバッグからマガジンを取り出していたけれど、その手つきは私たちエージェントのように手慣れていた。
(バッグに入るサイズと制圧力を実現するため、違法な改造をしたっていうのか…敵の勢力、もしかすると予想よりも大きくなっているのかもしれない…)
ハンドガンの密輸ができるだけでも敵のネットワークは無視できない危険性があるというのに、それを改造するためのキット、さらには改造を担当する人間もいると想定した場合、現場戦闘員だけでなく技術担当にも優秀な人間がいるのだろう。
そしてそうした技術が単なる武器に用いられているのならともかく、『因果律をリセットするための装置』にも使われているのだとしたら?
私たちに迫る危険性が、急速に膨らんでいるように感じられた。
「はははっ、どうしたんだい!? 我々の同胞を何人も仕留めている割には、随分と臆病なことで! 君たちも見たところ、僕と同じく『訓練』されているようじゃないか…忠誠を誓う相手、間違えたんじゃないかなぁ!?」
「…好き勝手ほざく奴ね…!」
絶え間ない銃声と散発的なリフレクターガンの発射音に混ざり、敵の高笑いが響く。そこには確実に狂気が含まれていて、戦闘に対する恐怖はなかった。
あいつは言った。私たちに対し、『敵対勢力』だと。
それは間違いではないし、絵里花の感じている苛立ちにも同意するけれど、同時に私は違和感を覚えていた。
(…私たちを敵、それも勢力規模だと認定している…私たちのことをどこまで知っているんだ…?)
私たちの勢力、その大本である研究所は一般には知られておらず、嗅ぎつけようとする人間にも適宜『対処』しているため、そうした裏側を知る存在はいないはずだった。現にこれまで戦ってきた相手も私たちの襲来を予期していたようなそぶりはなく、それはエージェントについて知られていないからこその不意打ちができていたとも言える。
だけどこいつは明らかに違う。私たちの初撃を躱したようにある程度は予測ができていて、戦闘開始直前から冷静さを失っておらず、かといって裏世界で長く生きてきたと言えるほどの年齢にも見えない…。
私たちは、何と戦っているんだ?
「……あっがっ!? く、くそ、クソが…!!」
「!? やっぱり暴発した…! バカ、そんなのを使っているからよ!」
私が見えない敵について考えながら応戦していたら、耳をつんざくような音が銃声を途切れさせる。
バァンッ!とでも表現すべき破裂音と同時に敵が撃ち続けていた銃のスライドが吹き飛び、その手から弾けるように血が噴き出す。欠損は確認できないものの指の一本が異様な方向へと折れ曲がっており、武器と戦闘能力の双方を喪失したように見えた。おそらくチャンバー内で弾が破裂して暴発、違法改造品になら起こりえるトラブルだろう。
そして絵里花は罵倒するような言葉を吐きつつも教室へ突入、敵を制圧すべく飛びかかろうとしていた…いや、違う。
この子は多分、応急処置をしようとしている。私たちの目的が捕縛であれば、無力化と同時に生命維持をするのは妥当な判断かもしれない。けれども手が使えなくなるくらいなら放置しても問題ないのも事実で、少なくとも私だけなら拘束以上のことはしないだろう。
パーカーから覗く絵里花の目は私が怪我をしたときと同じ、相手を気遣う柔らかな光が宿っていた。それを敵に向けるということはエージェント失格なのかどうか、研究所なら何らかの懸念くらいは持ちそうなものだけど。
私は敵が戦えなくなったこともあり少し油断していたのか、はたまた「万が一絵里花に反撃するようなら即刻息の根を止めてやる」とでも思っているのか、同じように突入しつつも絵里花の意思に任せようと考えていた。
「ま、まだだ…僕は誇り高き、革命の戦士…お前らに手をかけられる、くらい、ならっ」
ダメだ、やっぱりこいつは生かしてはおけない。瞬時にそう思い直す。
夏だというのに羽織っていたジャケットから片手で握れる程度のスイッチを取り出し、かろうじて無事なほうの手でそれを押そうとする。そしてそのスイッチが何を意味するのか、私たちであればいとも簡単に予測できた。
「絵里花っ!! そいつ、自爆する気だ!! ダメっ、それ以上近づいちゃダメ!!」
「そんなことわかってるわよ!!…この馬鹿がっ!!」
体に巻き付けているのか、それともスクールバッグに入れているのか、それはわからない。けれども遠隔で起爆できるスイッチだと断定し、私はコードネームで呼ぶことも忘れて絵里花を制止しようとする。
でも、私はもう一つ…いや、二つ重要なことを忘れていた。
一つは絵里花が優しすぎて、敵とはいえ目の前で死のうとする人間を見捨てられなかったこと。
そして。絵里花の足は、短距離であれば私よりも速かったのだ。
「何が戦士よ!! 何が誇りよ!! そんなもののために命を捨てるなんて…ダメに決まっているでしょうがっ!!」
満身創痍の敵がスイッチを押す直前、絵里花の放ったキックはその体を吹き飛ばして。
手から離れて宙を舞うスイッチを私は慌ててキャッチし、爆弾が炸裂することはなかった。
絵里花のキックはギリギリで残されていた敵の意識を奪うには十分すぎる威力があったようで、転がった体が壁に激突したと同時に、相手は完全に動かなくなった。
「……バカが……命を、なんだと思ってるのよ……」
「……絵里……フロレンス……」
彼女が口にした命というのは、爆発に巻き込まれる私たちのものも指していたのだろう。
けれども私には何よりもこの敵、同年代でありながらもエージェントと渡り合える相手の命をも彼女が思いやっていると感じて、また本当の名前を呼びかけてしまった。
すると絵里花はそれには怒らず、私のほうに歩み寄って軽く抱きしめてきて、小さく「あなたが無事でよかった」と言ってくれた。
私は「私も」という短い返事しかできず、それでも私たちだけでなく敵の命までも守ったパートナーを讃えるように、強く抱きしめてしまった。
*
「先日は危険度の高い任務でありながらも一般人には被害を出さずに達成した手腕、お見事としか言いようがありません…そして、何もできずに申し訳ありませんでした」
「いや、そんな…アセロラはバックアップだし、気にしないで」
「…ええ。あんたの手配が早かったおかげで周囲には発覚しなかったし、生きたまま敵を捕らえられた。それがわからないほど私たちは間抜けじゃないわよ」
任務達成の翌日、放課後に私たちは美咲さんに呼び出されてMooncordeへ訪れていた。
報告開始早々に美咲さんは深々と頭を下げてきて、想定以上に危険度の高かった現場への突入が遅れたことを詫びる。無論私たちは彼女がどれだけ裏側で手を尽くしてくれていたか理解していたので、むしろこっちが申し訳なくなった。
美咲さんもそんな気持ちを汲んでくれたのか、すぐに顔を上げてくれていつものやんわりとした微笑みを向けてくれる。それを見ていると今が平穏であると理解できて、同時に昨日の出来事が周囲に知られずに処理できたという事実が、改めて不思議としかいいようがなかった。
「…今回のターゲットについてですが。あまり気分のいい話ではありませんが、言わないといけません…その」
「彼は敵対勢力の『少年兵』とも言うべき、幼い頃から訓練を受けていた精鋭ですよ。それも鉄砲玉として使われている反社会勢力の手下ではなく、より中枢に近い…連合との関わりも深い存在でしょうね」
本当に言いにくいのか、仕事であればテキパキと話す美咲さんは何度か呼吸を繰り返し、どのように伝えるべきなのか迷っているように見えた。
けれどもそれは部屋に入ってきた人、店長が引き継ぐ。いつも温和な笑みを浮かべているこの人も、今回ばかりは刺々しくない程度の真顔になっている。
その手には三人分のコーヒーとお菓子が載ったトレーが握られていて、優雅さすら感じる手つきで私たちに差し出してくれた。
「私も一応は研究所の協力者ですからね、調査の過程でそういう情報を何度も聞いてきました。彼らは主に『反因果律思想に染まった両親から引き取った子供』をああやって訓練し、社会に紛れさせるようにして自分たちの主張の浸透、あるいは…私たちへのカウンターを狙っているのでしょう」
「…カウンター…まさか、あいつらも」
「おっと、それ以上はいけませんよ。あなたたちもアセロラさんも彼らとは違います、罪のない人を決して狙うことはない…どうかそのことは誇りに思ってください。少なくとも私は、この場にいる皆さんに協力できて光栄です」
美咲さんが口にできなかった要因、店長が私の言葉を制した理由…それは間違いなく、私たちへの気遣いだった。
幼い頃から訓練を受けさせられ、自分に与えられた使命を全うするように命じられる…それはもしかしなくても、私たち同じであるような気がした。
彼らはきっと、敵対勢力のエージェントとでも呼ぶべき存在…言うなれば『カウンターエージェント』とでも表現できるのかもしれない。
だけどそんな私の考えを見透かすように、店長は人数分の飲み物とお菓子を置いたらいつもの笑顔に戻り、「今日の夕飯はうちで食べていってくださいね。ごちそうしますよ」と伝え、いつものように音もなく出ていった。
…このお店、もっと任務以外でも利用しないとダメだな…。
「…うふふ、店長には敵いませんね。私が言わないといけないこと、全部言われちゃいました…でも、その通りです。敵がどんなことを言ってきたとしても、それに耳を傾ける必要なんてありません。あなたたちがしていることは多くの人の絆を守り、ひいてはこの国の未来をも守護しているんです…それを否定するような相手がいる限り、私は引き金を引き続けます」
「…ありがとう。そうだね、私はあいつらとは違う…壊すためじゃなくて、大切なものを守るために戦う。きっとそれは、別物だって信じているよ」
「…ええ、私も。人のことは言えないかもだけど、子供にまで命を捨てさせるような連中は…絶対に許さないわ」
美咲さんが照れくさそうに、それでも嘘偽りない言葉を向けてくれたことで、私たちもようやく苦々しくも微笑を浮かべられる。
それからはいつもの空気に戻りつつあったけど、私はあの敵が任務のために命を捨てようとしている姿が何度もちらつき、自分たちが似たような存在であった場合、同じことができるのだろうか?と考えたところで。
せめて絵里花にだけは絶対にさせないと考えたところで、店長の「ご飯ができましたよ」というお知らせに思考を中断できた。