「たしか今日だよね? 研究所が派遣してくれた学生CMCの援護が来てくれるのって」
「そのはずよ。それにしても、人員を増やしてくれるなんて…研究所も結構焦ってるのかしら」
およそ一週間前、旧校舎での戦いはもちろん周囲に知られていなかった。一方で破損した場所の修理には時間がかかることから『空き巣が入ったので当面は立ち入り禁止』という名目で閉鎖され、それについては学校内である程度噂になったものの、すぐに興味が失われて今では誰も話題には挙げなくなっている。
仮に銃撃戦があったと真実が伝わればより大きな話題にはなっていただろうけど、もちろんそんなことが言えるはずもなく。そもそも警察ではなく研究所の『事後処理チーム』が対応に当たっているから、ニュースにすらならないだろう。
(学生に紛れて活動できるCMCの増援か、どんな人たちなんだろう)
そして私と絵里花は朝のHR前の喧噪に紛れるように、今日起こるはずの出来事についてこっそり相談している。あの戦い以降は学生に紛れた敵兵が混ざっているのではないかという疑心もあったけれど、私たちだけでなく研究所のデータ解析班が全校生徒の情報を再度精査し、その結果として今のところは不意打ちの心配もなさそうだった。
けれどもAIや研究所の目すら欺く可能性を考慮してか、息のかかった学校を中心に学生エージェントを増員することにしたらしく、ここ聖央高等学校にも派遣してくれるらしい。
さらに『エージェントはなるべく一ヶ所に固まっているほうが好都合』という考えもあるらしく、私たちのクラスへ転校生という名目で編入されるとも聞いた。そしてCMCならすでにパートナーもいるはずだし、篠山くんと南さんのようなカップルだと密かに予想する。
…そういえばあの二人、もう大丈夫かな。そこまで関係が深いわけじゃないので普段は意識しないけど、彼らも敵によって大きな打撃を受けたと考えた場合、もっと早く増援なりなんなりの対策を取ってもらいたかった。
そんなことを考えていたら担任の先生がやってきてHRが開始され、予想通り「今日は転校生を紹介します」と事情を知っているのかどうか定かじゃない声音で告知する。
それでお祭り騒ぎが始まるほど聖央はうるさくないけれど、やっぱり毎日同じ面子と顔を合わせて過ごしている都合上、新しいクラスメイトが増えるというのは誰でも期待するらしい。
下品ではない程度の声量で「どんな人だろうね?」とか「可愛い子だといいなぁ」とか「因果律があるのに好みの相手が来ても意味なくない?」とか、ひそひそと噂話が沸き立つのはどこか微笑ましかった。ある程度事情を知っているからこそ、私も余裕を持った視点になるのかもしれない。
そして先生が「では入ってきてください」と声をかけると同時に、クラス中の視線が入り口に集まる。開放的な校舎であるがゆえに窓ガラスの透明度も高くて、入ってくる前にその顔が見えたわけだけど。
私はその子を知っていた。だからなのか、ガラス越しに視線が交差すると相手はにかっと笑って、私はぽかんとして。
けれども緊張する様子もなく、堂々と、楽しげに、踊るような足取りで入ってきた。
「今日からこのクラスのアイドルになる、『早乙女莉璃亜』ちゃんだよ~! 好きな食べ物はロブスター、苦手なのはキノコ類! みんな、仲良くしてね☆」
そんな足取りに相応しい軽やかなターンを決めて、転校生の少女は歌うように自己紹介をする。横向きのピースサインを作ってウインクをする様子はまさにアイドルのファンサービスで、教室は一瞬静寂に包まれたかと思ったら。
あっけにとられる私たちを除いて全員が拍手を始め、慌てて私も控えめに手を叩いていた。
*
「早乙女さん、私たちと同い年だったんだ! ねえねえ、私のこと覚えてる?」
「もっちろんだよ! ミーちゃんにえっちゃん、はなりんでしょー? プールもそうだけど、そのあともすっごく楽しかった!」
「うれしー、覚えててくれたんだぁ!」
「え、三人とも早乙女さんの知り合いだったの? いいなー、私たちも仲良くしたい!」
「んーふふ、喜んで! みんなとアドレスを交換しちゃうから、順番に並んでね! あ、クラス専用のルームはある? 全員と仲良くなりたいから、そっちにも招待してね!」
HR終了後、早乙女さんがクラスメイトたちに囲まれる…どころか、教室の外にも人だかりを作ってしまうのは当然すぎる結末だった。
自称アイドルなんて冷たい目で見られるのが関の山だけど、この子だけは例外であってもおかしくないほどのルックスを有しているのだから、早々に男女問わずアイドル扱いをしている。
さらにはその気さくな…一歩間違えば馴れ馴れしいとすら表現できる対人能力も打ち解けるのに一役買っていて、誰に話しかけられても満面の笑顔で、さらにギリギリでわざとらしさを感じない高い声で返事をするのだから、ほんの少し会話しただけで誰もが楽しそうにしていた。
(…すごいな。早乙女さん、もうクラスに馴染んでる…)
かつては若くして因果律カップルとなった私たちもそこそこちやほやされたものだけど、今となっては『二人の世界に踏み込んじゃダメ』みたいな認識になっているのか、すっかりクラス内の何気ない風景になっていた。その結果は決して悪いものじゃないけれど、早乙女さんを見ていると「私たちももっと目立つようにしたほうがいいのかな?」なんて、珍しくCMCらしいことを考えてしまう。
「…ふん。研究所もなかなか悪趣味な配置をしたものね」
「まあまあ…早乙女さんが頼りになるのは間違いないし、私たちもなんだかんだで助けてもらったわけだし…ほら、知らない人よりもやりやすいんじゃないかな…」
早乙女さんと人垣をぼんやり眺めていたら、すぐ隣から小さな舌打ちとぼやきが聞こえてくる。そちらに振り向くと露骨なまでに不機嫌になっている絵里花の顔──もちろんそんな顔も可愛い──があって、私は笑いかけるべきかどうか悩み、結局は苦笑を浮かべてなだめるのが精一杯だった。
一緒に星を見たことで絵里花も早乙女さんと少しは打ち解けた…というのは私の希望的観測でしかなかったようで、絵里花が早乙女さんに向ける視線には今も隠しきれない警戒心が宿っている。
絵里花は元々他人と打ち解けるのに時間がかかるタイプだけど、早乙女さんに関しては私との関係もあり、とくに難しそうに思えた。
「いやーあはは、人気者はつらいなぁ! 円佳ちゃんに絵里花ちゃん、お待たせ!」
「待ってないわよ。私たちのことなんて気にせず、アイドルらしく握手会でも開催したら?」
「おっ、それもイイネ☆ でもでもぉ、あたしとしては『仲間』の二人ともちゃんと仲良くしておきたいなぁ?」
「あ、あはは…うん、私たちも同じ気持ち。早乙女さんが来てくれて、安心した…かも…」
あの夜、リフレクターガンなしで敵を制圧したときのことを考えると、早乙女さんの戦闘能力は申し分ないどころじゃなかった。というよりも、私よりも強いんだと思う。
けれども一緒に戦う上での問題点がないわけじゃなくて、ぶっちゃけるとそれは絵里花との関係だった。戦いが始まれば絵里花も敵意に流されることはないにせよ、それでも普段から険悪だと連携にいい影響はないわけで…。
研究所が早乙女さんを私たちにあてがった理由というのが、どうしてもわからなかった。強いていえば最近はこの辺の任務をこなすことが多かったらしいし、私たちも面識があるわけだから、それらは理由として納得できる…この現状がベストかどうかは別だけど。
「さっすが円佳ちゃん、ちゃんとあたしの実力をわかってくれてるね! お近づきの印に、今日は特別に『お茶』に付き合ってあげてもいいよんっ」
「…そうだね、これから同じ学校に通うんだから、そういうのもいいよね。ね、絵里花?」
「…わかったわよ。念のために言っておくけど、二人きりには絶対させないんだから」
私たちに漂う雰囲気なんて気にもとめないのか、早乙女さんは意味深にウィンクををしてきて私たちを誘ってくる。そしてその内容がわからないほど私は寝ぼけていないし、絵里花もそこに私情を挟む様子はない。不服そうにはしているけれど。
それに、もしかすると…早乙女さんがここに来た理由、それもわかるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、この日の早乙女さんは私たち以外とも積極的に交流し、クラスのアイドルとしての立ち位置をすっかり固めていた。
*
「で、なんでこいつなのよ? 私たちへの当てつけ?」
「いきなり穿った見方はやめてくださいよフロレンスさん…私はお二人の監視役ですけど、スプリットさんに関してはあくまでも広域バックアップ担当なので、この配置に関しては私にも直前まで知らされていなくてですね…」
「フロレンスちゃん、アセロラちゃんにすごむのやめてあげなって。説明通り、あたしは元々この辺の助っ人みたい感じで転々としていたし、ちょーど今の状況に都合がいいから派遣されただけだよ! この四人で行動するときはアセロラちゃんの指示に従うけどさ、個別で任務に当たるときは別の指揮系統があるのくらいわかるでしょ?」
放課後、早乙女さんは殺到するお誘いをすべて角を立てないようにして断り、旧知の知り合いである私たちに近隣の案内をしてもらうことにした…という名目にてCafe Mooncordeへ訪れる。店長には訳知り顔で「今日はいつもより賑やかになりそうですね」なんて隠し部屋に案内され、美咲さんとも合流したのだけど。
私の淡い期待はあっさりと裏切られた反面、まあそうだよなとも諦めがついていた。美咲さんは監視役として優秀だけど、多くの権限を与えられている様子もなくて、そもそもそれくらいの裁量があるのならきっと私と絵里花に配慮してくれただろう。
けれども研究所の指揮系統というのは私が把握している以上に複雑なのか、早乙女さんがここに来たのも美咲さんよりさらに上の意図があったと理解するしかなかった。絵里花は納得できていないのか、部屋に入って早々に美咲さんに文句を言っていたけど。
「フロレンス、スプリットの言うとおりだよ。アセロラが面白半分でこんなことをするはずないし、スプリットがお願いしただけで配置が決まるとも思えないし、私たちは余計なことは考えずに目の前の任務に集中しよう」
「…何よ、あなたもこいつの味方をするの?」
「はいはい、そこまでですよフロレンスさん。今日集まってもらったのはお仕事の話もありますし、今後の連携についても打ち合わせないとですから、ケンカ腰だとベイグルさんに嫌われてしまいますよ?」
「け、ケンカじゃないわよ! それに、これくらいのことでベイグルが私を…ご、ごめんなさい、言い方が悪かったわ…」
「ううん、大丈夫。心配しなくても、私はフロレンスの…一緒に戦うみんなの仲間だからね」
「んふっ、ベイグルちゃんらしい回答だね! そーいう仲間全員を大事にするところ、あたし的には相当ポイント高いよ!」
言うまでもないけれど、私にとって一番大事なのは絵里花だ。だから何かあれば絶対に絵里花の味方をするし、それこそ絵里花のためなら法律どころか研究所に刃向かう覚悟もあるのだけど。
それでも今さっきの美咲さんへの態度、そして早乙女さんへの徹底した敵対姿勢は褒められたものじゃない。あえてうぬぼれさせてもらうなら私が好きだからそうなってしまうのだろうけど、その私が絵里花のことを一番に考えているのだから、多少の譲歩はしてもらいたかった。
ましてや、絵里花が私のせいで嫌われ者になってしまうなんて、絶対にあってはいけないことだろうから。絵里花もそんな意図をくみ取ってくれたのか、すべてを言い切る前にみんなへ向き直り、小さく頭を下げてくれた。
「では、まずは近況報告から…先日捕らえた少年兵についてですが、有用な情報は吐いていません。それどころか…何度か自害を試みようとしてまして、その凶行を押さえるのに手一杯だそうです」
「自害って…あいつ、どこまでバカなのよ…」
「うーん、お馬鹿さんなのは間違いないけど…そんなふうに教えられて育ったんだから、ほかのことなんて考えられないんだよ。小さな頃に芽生えた考え方ってね、その人の一生を左右しちゃうから」
あの様子だと素直には話さないだろう、そうは思っていたけれど…『自害』という実に生々しい言葉が出たことで、あの日の暗澹とした気持ちが私と絵里花の中に蘇った。
引き金を引いて敵を殺そうとすること、負けそうになったら躊躇なく自爆しようとする様子…そのどちらもが狂信的で、世界自由連合は政党というよりもカルト宗教に近い気がしてきた。
いつの世も『宗教の自由は文化水準の高さを示す』なんて喧伝する連中がいるけれど、その宗教が大きな争いを生むことが多いと考えた場合、人間の定めた文化水準なんてあてにならない。
そんな禍々しい考えを埋め込まれた相手に対しても絵里花はやっぱり思うところがあるのか、その報告を聞いた直後はあの日と同じように苦々しく吐き捨てて、同年代の子供が洗脳されて戦わされていること、そして命すら捨てようとする様子に心を痛めていた。
絵里花の茜空を思わせる瞳はいつ見てもきれいだけど、それは黄昏時のセンチメンタルをしばしば想起させるように、こうした悲しいことがあればとくに私の胸中は切なくなった。
そしてこういう状況でもいつもの調子を崩さないのが早乙女さんらしい…と思ったけど、珍しくその声のトーンは落ちていて、絵里花とは対照的な色の瞳は深海を見つめるように感情を沈めていた。
早乙女さんのアクアマリンの瞳は普段こそラムネのような爽快感のあるきらめきが宿っていて、見ているとこちらも夏のような躍動感に背中を押されるようだった。けれど、先ほどの色合いは水底に落とした宝物を探しているように深く、その箱の中身を知っているような…絵里花とは異なるセンチメンタルを感じさせた。
…私みたいな人間でもこんな感傷に浸ってしまうあたり、美少女に囲まれていると心が感情の迷路に閉じ込められてしまうのかもしれない。
「スプリットさんの言うとおり、幼い頃から洗脳に近い教育をされたのでしょう…もしも何もしゃべってくれない場合、残念ながら矯正施設に入ってもらうかもしれません。そうならないように配慮しますし、何よりお二人が捕らえなければ一般人に死傷者が出ていたかもしれませんから、気に病むことは一つもありません…では、次の話ですが」
美咲さんの言うとおり、私たちは間違いなく正しいことをした。同時に、あの敵の結末なんて私たちに何ら影響のない話であって、気にするというほどじゃないのだけど。
以前定期検診で研究所に向かった際、矯正施設について話している研究者たちの会話を立ち聞きしたことがある。
その際に「どうせ犯罪者だ、どんな結果になっても揉み消しはたやすい」とか「せっかくだし、『例の装置』の実験に使ったらどうだ? 下手に使ってしまえば人格や記憶に影響が出る都合上、あれは犯罪者以外に使って試すこともできん」なんて言っていた気がする。
…この話を聞いていたとき、絵里花がいなくて心底よかったと思った。もしもいた場合、彼女はより一層苦しんでいたと思うから。私ですら「私たちも逆らったら『そういうの』の実験台にされるのだろうか」と少し肝が冷えたのだから。
「普段の任務についてですが、学校にいるときは三人で行動、それ以外については事前の情報によって人員を割り振ることになるでしょう…ベイグルさんとフロレンスさんはこれまで通り私がバックアップしながら、スプリットさんについては周辺の状況に応じて行動していただきますので、それぞれの端末に入る連絡はすぐにチェックしてくださいね」
「了解…あの、スプリットのことだけど、本当に大丈夫? 私たちも手が空いているときはついていったほうが」
「おっ? ベイグルちゃん、あたしのこと心配してくれるの?」
「それは、まあね。せっかく同じ場所に配置されたんだし、協力できることなら協力したほうが楽だろうし」
「…まあ、ベイグルがそういうなら、私もかまわないけど」
「うふふ、お二人とも優しいのですから…ですが、先ほどもお伝えしたようにスプリットさんは特別なポジションですから、これまで通り別の指揮系統で動いてもらいます。お二人とはあくまでも『学校内などの警戒が必要な場所での協力』を想定していますので、任務以外でしっかり親交を深めてくださいね」
「あいあーい! アセロラちゃんのお墨付きももらったし、これが終わったらどっか行こうよ~。あたし、甘ーいものが食べたいな~」
「調子に乗らないの! 心配しなくてもこのお店にもそういうのはたくさんあるから、それで我慢しなさい!」
「あはは…うん、今日はちょっと遅くなったし、また任務がないときにみんなで遊びに行こうか」
この状況にも、研究所にも、早乙女さんにも。思うところはたくさんある。
それでも私たちは同じ目的のために戦っていて、それぞれが協力している。だからこそ、新しく仲間になったこの子の力にもなってあげたい。
それを素直に口にすると全員が賛同してくれて、やっぱり私は『こっち側』でよかったと痛感した。