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第81話「あたしも好きになってよ」

 後ろ髪を引かれる、というのはこういう気持ちを表現するのだろう。

 本日は晴天、一方で夏が過ぎ去ったことを表すように暑すぎるわけでもなく、まとわりつくような湿気も感じられなくて、それこそ『デート日和』とでも表現できるのに。

 いっそのこと、無駄に長いこの髪をカットしておけば、ここまで足取りは重くなかったのかもしれない。

「やっほー、円佳ちゃん! おおっ、今日はとくに格好いい系な感じ? んーふふ、イケメンな男の子とデートしてるみたい!」

「…あはは、うん…喜んでもらえてよかった…」

 本日のデート…いや、お出かけの目的地である遊園地前に到着するとすでに早乙女さんがいて、私を発見すると同時にぶんぶんと手を振りながら駆け寄ってくる。そしてすかさず服装を褒められて、私は少し微妙な心模様となってしまった。

 今日は黒の無地ポロシャツにベージュのチノパン、ネイビーのキャップを被っておき、髪は無造作に一つ結びにしていた。足下も動きやすさを優先したスニーカーで、フェミニンな印象はできるだけ抑えている。

 …つまり、私は『デートを心待ちにしている女の子っぽさ』をできる限り抑え込んでいて、自分で言うのもなんだけど、普段以上に中性的というか、実用的でシックな方向性のファッションになっていた。もっというのなら、普段着のコンセプト──シンプルで動きやすく無駄がない──から一切の冒険をしていない。

 それはともすれば『あなたとのデートは楽しみにしていません』という当てつけになりそうなものだけど、早乙女さんはそれに気づいていないのか、あるいは無視してくれたのか、まったく残念そうでないのがまた私の罪悪感を刺激したのだ。

 対する早乙女さんはオフショルダーのブラウスにチェック柄のフレアスカート、そこに編み上げサンダルという組み合わせで、ピンクベージュを基調とした色合いも相まって非常に女の子らしい…デートへの備えを感じられる、ファッションに疎い私でも気合いが入っているとわかるくらいのおしゃれっぷりだった。

 髪も普段以上の丁寧さで巻いていて、手首にはリボンをモチーフとしたリストバンドも巻いていることから、その対極に位置する服装の私は本当に男に見えていたのかもしれない。

「にしても、ここが遊園地か…賑やかだね」

「あれ? 円佳ちゃん、ここに来るのは初めて?」

「うん。私も絵里花もそんなに騒がしいところは好きじゃないし、普段のお出かけは近場で済ますことが多かったから…」

 今日は休日ということもあって、遊園地の入り口は小さな行列ができる程度に人が多かった。全体として子連れの家族が目立つけれど、カップルと思わしき組み合わせもちらほらと存在していて、これまで抱いていたイメージである『遊園地の遊具はどれも子供向け』というのを改めないといけないのかもしれない。

 ただ、興味がなかったわけじゃない。遊園地というのはデートスポットの定番であるように、時にはその子供向けに見える施設を利用して童心に返り、恋人と無邪気に向き合う時間にもきっと価値があるのだろう。ましてや絵里花は可愛いものが好きだし、遊園地の雰囲気は全体的に気に入ってくれるかもしれない。

 …だからこそ。

(…初めて遊園地へ行くにしても、絵里花と来たかったな…)

 私が初めて付き合った相手も、キスをした相手も、全部絵里花だった。それはCMCとして当然のことである一方、私はその事実に強い満足感を覚えていて、同時に絵里花も私以外を知らないということがたまらなかったのだ。

 絵里花はあんなにも可愛くて優しいのに、私以外を知ることを求めていない。これから先の人生においても私たちはお互い以外との恋愛を知覚することはなく、人生の大切なことすべてが自分たちだけで完結させられるのだ。

 だからどんなに些細なことであっても、私の『はじめて』は絵里花に捧げたい。早乙女さんのことは嫌いじゃないけれど、それでも今隣にいるのが絵里花ではないという事実は、私が童心へと戻れない原因になっていたのだろう。

(…なんで絵里花は、私を送り出したの)

 あの日、勝負に負けて絵里花が私と早乙女さんのお出かけを受け入れた日。

 そして今日、出かける前だって絵里花は私を引き留めることはなくて──でも顔に生気はなかった──、彼女の言葉でもって後ろ髪を引かれなかったことに…私は、小さくない憤りを感じていた。

 自慢じゃないけれど、私は絵里花に対して怒ることがほぼない。そもそも絵里花は私を怒らせるようなことなんてしないし、むしろ私が彼女を呆れさせることが多かったのだろうけど、今日に限ってはどうしても考えてしまうのだ。

 もしも絵里花が泣きわめくくらい取り乱して、私にすがってくれたのであれば。

 多分私は、約束を守れない女という烙印を押されてでも…このお出かけをすっぽかせただろうから。

「ほらほら、円佳ちゃん! いつまでも寂しそうにしてないで、今日くらいはあたしのことを見てよ! こんなにもおしゃれな美少女を連れ歩けるんだから、もっと喜んで欲しいな☆」

「…あ、うん…その服、よく似合ってるよ」

「んふっ、ありがと!」

 相当面倒くさくなっていた私の手を握り、早乙女さんはやっぱりどこまでも楽しそうだ。それこそ、本当に私とデートをしたがっていたように。

 なんで私なんだ? 今でもそう思う。

 早乙女さんがすべての元凶では? そんなことすら考える。

 だというのに私は、握られた手を振りほどけない。それどころか「そういえば、早乙女さんの服についてコメントしていなかったかもしれない」なんて思い出したかのように、ようやく褒めることができて。

 まるで梅雨真っ最中のように、私の心はコロコロと模様を変えていた。絵里花を思えば嵐が駆け抜け、早乙女さんに目を向ければ一時的に雨が止む。それでも雲は消えなくて、曇天のままだけど。

 だけど私はその手をふりほどくことはなく、一緒に入場パスを購入しにいった。列に並んだ際、周囲にちらちらと見られていたので何事かと思ったら、ようやくつながれた手がそのままだったからだと気付いた。


 *


「いやー、遊園地って楽しいねぇ! 円佳ちゃんがあんな顔をするんだもん、これだけで来た甲斐はあったかな~」

「ちょ、やめてよ…私だって、その、こんなにいろんなものがあるとは思ってなくて…」

 早乙女さんはいつの間にか私の写真を撮っていたようで、携帯端末を見せびらかすようにその画像を示してくる。そこには『フリーフォールが終わった直後、髪が乱れて放心状態だった私』の写真が表示されていた。

 放心している割には不快感に包まれているわけでもなく、むしろ瞳の光は入園直後に比べるといきいきしていて、それは子供のように遊園地を楽しんでいる少女の姿に見えた。

 …いや、認めなくちゃいけないんだろう。

「…でも、遊園地がそこそこ楽しいっていうのは認めるよ。最初は子供だましじゃないかって思ってた」

「んふっ、だろうねぇ。円佳ちゃん、入り口にいたときは任務のときみたいに冷め切っていたんだもん…クールなキミも格好いいけどさ、あたしは今の円佳ちゃんのほうが好きだよ!」

「あはは…」

 そう、私は…遊園地という娯楽を楽しんでいたのだ。

 たしかにアトラクションの多くは子供向け…明らかに私よりも下の年齢層を意識しているのだろうけど、ここにあるものはすべて私が知らなかったこと、そして見たことがなかったものであって、自分が研究所から遙か遠く…それこそ異世界と表現してもいいような場所にまで来れた、そんな充実感すら覚えていた。

 そんな自分の高揚は今も少しだけ早く鳴り続ける心臓の鼓動が物語っていて、それは戦いのときとは打って変わって心地よい。この気持ちに近いのは、おそらく『絵里花と一緒に知らない道を散歩しているとき』なのだろう。

 …やっぱり、絵里花も連れてきてあげたかったな。

「あたしはねぇ、今のところはメリーゴーランドがお気に入りかな? 一緒に馬車へ乗ったとき、円佳ちゃんがお姫様のあたしを守るナイトみたいで…最高に格好良かったよ♪」

「私は、そうだな…VRアトラクションとか結構楽しかったかも。『魔法少女になってモンスターを倒す』なんて、仮想世界でもないと経験できないし」

 それから少しのあいだ、ベンチに座って早乙女さんが撮影した写真を一緒に振り返りつつ、お気に入りのアトラクションについて談義する。

 こうして話しているとその瞬間が鮮明に蘇ってくるようで、めまぐるしく変わる脳内の光景はまだメリーゴーランドに乗っているかのようだった。

 そんなせわしなく楽しい時間は、どうしても『今も絵里花は家で一人待っている』という事実を瞬間的に忘れさせる。普段から別行動することもあるとはいえ、こういう楽しい時間を私だけ体感しているというのは罪悪感があって、私は自分を戒めるためにも絵里花を思い出そうとするのだけど。

 油断すると彼女のことが薄れていくのが、遊園地というスポットの最大の問題点かもしれなかった。

「そろそろ夕方か~…ねえねえ、最後に観覧車に乗らない? やっぱデートの締めといえばあそこでしょ!」

「ああ、うん…そうだね、遅くなるとよくないし、それで最後にしようか」

 早乙女さんは時間を確認し、立ち上がってひときわ目立つ場所…観覧車を指さす。遊園地には背の高い乗り物が多いけれど、やはり観覧車はその中でも別格で、都市部にある電波塔のように存在を主張していた。

 私も立ち上がるとすぐさま手を握られ、ふと「今日は手を握られてもあんまり抵抗してなかったな」なんて気付く。けれども以前のようないやらしさは感じなかったため、結局最後まで私はされるがままだった。


 *


「すごい、きれいだね…」

「うん…」

 それは遊園地とは思えないほど静かな空間だからなのか、あるいは差し込む夕日の魔力ゆえなのか。

 早乙女さんは向かい側の席に座りながら、窓の向こう、ゆっくりと都市の隙間に消えていく夕日を眺めつつ、普段とは異なり物静かな感想を述べた。

 対する私はこの子と二人きりになるというリスクを忘れ、同じ感想を最小限の言葉で表現する。これまで二人になる度に何らかのトラブルに巻き込まれていた気がするけれど、一緒に遊園地を満喫したことで友情が深まったのか、少なくとも今日は大丈夫だろうと何の根拠もなく信じられた。

 …今日だけは、裏切らないで欲しいな…。

「…ね、円佳ちゃん」

「ん?」

「…えっと、ね。あたしのこと、そんなに嫌い?」

 観覧車はまだ頂上には至っておらず、ゆっくりと私たちの景色を高みに導いている。仮に一緒に座っている相手が絵里花であれば、頂上を迎えると同時にキスでもしたんだろうな…なんて思って空返事をしていたら。

 これまた早乙女さんらしくないような、控えめな声音での質問。しかもその内容もまたらしくなくて…なんて考えてしまうあたり、私は彼女に対して偏見を持ちすぎていたのだろうか?

 窓から早乙女さんへと視線を移すと、ついそう反省してしまうくらい、物憂げで真剣な少女の顔が視界に飛び込んできた。

「…嫌いとかじゃなくて、私は絵里花の恋人だから。研究所だって、そうあるべきだと昔から言っていた…」

「そうじゃなくて、キミの気持ちを聞かせてほしいな」

 そう、私の答えは変わらない。

 私は絵里花の恋人で、絵里花もまた私を恋人として愛してくれている。

 それは私にとって素敵なことであると同時に、研究所という私たちの未来を左右する上位存在が決めたことでもあって、その事実に逆らうということは自殺行為に等しかったのだ。

 だから早乙女さんの抽象的な質問に対して、私はもっともらしい回答をしたら。

 彼女は再び手を伸ばしてきて、私の手を上から包むように握ってきた。同時に、重ねられた質問にはっとする。

「あたしの気持ちはね、ずっと変わってないよ。円佳ちゃん、あたしのことも…好きになって」

 私は多分、ずっと逃げていた。

 なぜか私に好意を寄せてくる女の子、早乙女さん。いつも明るく積極的で、それでいて今は一緒に戦うようにもなって、だからこそ仲良くしたいとは思っていたけれど。

 私はきっと、その気持ちには応えられない。そして「早乙女さんもきっとわかってくれている」と思って、明確な返事をしてこなかったのだろう。

 そして返事をするのであれば、今しかない。

 これまでにないほどまっすぐ私に気持ちをぶつけてくれる、この子から逃げてちゃダメなんだ。

「できれば一番好きになってもらいたいけど、絵里花ちゃんの次でもいい。あたしのことも好きになってくれるのなら、みんなで幸せになるためになんでもするよ?」

 私は早乙女さんのことがわからない。彼女が背負っているであろう因果も、時に私だけでなく絵里花とも親しくなろうとする理由も、そのくせ絵里花と張り合おうとする動機も、わからないことだらけだ。

 けれどはっきりしていること、それは…早乙女さんは、私を恋愛的な意味で好きでいてくれる。

 言い換えれば絵里花と同じような感情を私へ向けてくれているのだろうけど、それでも決定的な違いがあった。

「…ごめんね、少し言い方が悪いかもしれないけれど。早乙女さんの『好き』と絵里花の『好き』ってね、やっぱり違うんだと思うよ」

「…え?」

 今の早乙女さんがいい加減ではないこと、そんなのはわかっている。私の手を握っている彼女の手のひらはじわじわと汗をかき続け、それが祈るようによい返事を求めていることが伝わってきた。

 でも、違う。早乙女さんが私を見つめるまなざしは、絵里花が私に向けるものと決定的に違っていた。

「私も最近知ったんだけど、好きの形にもいろいろあるんだと思う。それでね、絵里花は…私にだけしか向けられない好きが、この世界で『唯一の好き』があるんだよ…私はね、それがたまらなくて、どうしようもなく、本当に…大好き」

 絵里花は自分のことを弱いといつも自虐するけれど、彼女の気持ちはいつどんなときでも、誰よりも…私に向けてくれる『好き』という気持ちは、とても強かった。


『…だから私は、あなたが好きよ。恋人として、あなたが好き。あなたという人間そのものが好き。あなたじゃなければ好きになれない。私の好きは、そういう…ただ一人の相手に向けられる、『唯一の好き』なんだって思ってるわ』


 …今でも思い出すとにやけてしまいそうな、絵里花の気持ち。

 それは誇張でもなんでもなく、本当に『私以外を好きにならない、私しか好きになれない、私しか受け取れない愛』だったのだ。

 早乙女さんだって誰にでも好きって言ってるわけじゃないんだろうけど、強いて言えば…重み、が違うのだろう。

 そうした重さを苦手とする人がいるのも知ってはいるのだけど、私はそれが…とても幸せだ。

 自分の体全体を包み込み、今後の人生すら決めてしまうような重い愛情。それもそのはずで、絵里花は私に人生を捧げてくれているのだから、重くないはずがない。

 だったら…私だって、重くなっちゃえばいいんだ。いや、すでに重いのだろう。

 だって、私は。

「だから私は、絵里花と同じ気持ちを持っていたい。私の好きは絵里花にしか渡せない、特別でただ一つの、人生で一度きりのものだって信じているよ。だから、ごめんなさい」

 人生は長いのだから、これから先何があるかなんてわからない。

 わからないけど、私は『そう』したい。私は絵里花にだけ好きだと伝えて、抱きしめて、キスをして…そしていつかは、全部を捧げ終えたい。

 それをすればきっと、私たちはこれまで以上に重くなる。でもそれは足かせじゃなくて、押しつぶされそうなほどの幸せが舞い降りてくると信じていた。

 そんな気持ちにしてくれるのは、きっと絵里花だけ。絵里花以外じゃ、いやだ。

 だから早乙女さんへの返事なんて、彼女と出会った直後から決まっていたんだ──。

「…あはは、あたし、初めて振られちゃった! そっか、これが失恋…なんだね」

「…早乙女さん」

「…でもね!」

 私の返事を受け取った早乙女さんは一瞬だけ上を見て、そしてすぐに向き直り…とても楽しそうに、笑ってくれた。

 それは多分、私への気遣いだった。だって私は、すぐには笑い返せなかったのだから。

 …そうか。私、こういう気持ちになるのが怖くて…ずっと言えなかったのかもしれない。

 そんな臆病な私へお仕置きするように、早乙女さんは握った手を持ち上げて、私の手の甲へそっとキスをした。

 リップが塗られているであろう彼女の唇は、そう簡単には忘れられないほどしっとりと張り付くように感じた。

「あたし、諦めないからね! 前も言ったけど、絵里花ちゃんのことも好きだし…三人同時に愛し合うって選択肢、絶対に忘れないでね?」

「ええー…それ、一番ダメなやつじゃないの…?」

「ダメじゃない! あたしがいいと言ったからには、絶対OKなの!」

「…はぁ。やるかどうかは別として、覚えてはおくよ…」

 キスを終えた早乙女さんは逃げるどころか宣戦布告をしてきて、私の返事に意味があるのかどうか頭が痛くなったけど。

 それでも臆病な私は彼女の勇気に敬意を払い、これまでのように曖昧な返事を切り返した。早乙女さんはやっぱり笑い、「約束だからね!」と一方的な指切りをしてきて。

 その些細なつながりから私たちの友情が消えなかったことが伝わってきて、バレないように安堵しておいた。

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