デート…いや、遊園地への『お出かけ』が終わった後、莉璃亜は一人フードコートのボックス席にいた。
そこはかつて円佳や絵里花と一緒に訪れた場所であり、騒がしくも遊園地ほどの出入りがあるわけではなく、本日の余韻を噛み締めるにはちょうどよいスポットでもあった。
(…今日は、とっても楽しかったなぁ)
莉璃亜は携帯端末をいじりながら、今日の思い出を振り返る。自分の美しさに自信を持つ彼女は自撮り写真も多く撮影していたが、それよりも多いのは円佳の、そして自分とのツーショット画像であった。
普段はほとんど感情の起伏を見せず、どんな任務に際しても冷静さを失わない少女。一方で年相応の好奇心を捨てたわけではなく、遊園地という初めて訪れる場所に置いては弾む気持ちを抑えきれないようで、莉璃亜の端末に写る円佳の姿はどれも情緒豊かであった。
絶叫マシンにより放心状態となった様子。
メリーゴーランドの巡りゆく景色に目を輝かせる様子。
チュロスの甘さに顔をほころばせる様子。
ミラー迷路内にて最短ルートについて真剣に考える様子。
マスコットキャラに絡まれて苦笑する様子。
どれもこれもが莉璃亜にとってのきらめく思い出となっていて、ここまで楽しいと思えた日は何年ぶりなのか、常に人生を面白おかしくしようとしている彼女ですら思い出せなかった。
(…でもあたし、フラれちゃった…んだよね?)
今日の思い出は莉璃亜にとってかけがえのない瞬間となったが、それでもよいものばかりではない。
そのルックスと性格から、男女問わずに好かれやすい莉璃亜は恋愛において間違いなく強者であった。現にかつて付き合っていた恋人も最初は莉璃亜に夢中で、自分はやっぱり愛されているのだと自覚できたし、同時にたくさんの人に愛を伝えなければいけないと信じていた。
いいや、それは今も信じている。だからこそ因果律研究所の『実験』に付き合い、同時に禊ともいえる危険な役割をこなしながら、いつか訪れるであろう新たな因果の形へと突き進んでいたのだ。
そしてそのための相手として認めた少女は、こんな自分を振ってしまったのだ…それに対し、莉璃亜はいくつもの感情が刺激されていた。
その遊園地にあった迷路よりも複雑なものをあえて一つの言葉にまとめると、『悔しさ』なのだろう。
自分が受け入れられなかったことに対してだけでなく、過去と変わらない結果に対しての、悔恨。
(…ほんと、今も昔もままならないね…るーちゃん…)
携帯端末をロックしてテーブルに投げ出し、そのまま突っ伏した莉璃亜はかつての恋人を思う。
エージェントになる前、ようやく『自由』になれた莉璃亜は早々に自身の恋愛対象…同性の恋人を作り、その少女と仲良く過ごしていたのだ。
以前から恋愛…否、たくさんの『愛』を求めていた彼女は人一倍そういった関係に興味を持っており、気になる相手へ声をかけ、そして『好きな相手がいること』の素晴らしさを理解し…父親にすら否定されていた自分の考えは間違っていないのだと、再確認できたのだ。
(好きな人がたくさんいて、その人たち全員と仲良くする…これがダメだなんて、やっぱり間違ってるよね)
とんとん、とロックされた端末のディスプレイを叩く様子は、今はどこにいるのかもわからない元恋人に質問しているようにも見える。もちろんそれで返事が返ってくることはなく、ただフードコート内の喧噪が聞こえてくるだけだった。
莉璃亜は一人だった。父親には捨てられ、そんな自分を守ってくれた母親は行方不明、そして『本当の名前』すら失ってしまった彼女には身寄りが一切存在しない。
だから彼女の疑問に答えてくれる人間はこの瞬間も存在せず、それこそ今日告白した相手である円佳ですら、きっと莉璃亜が望む言葉は吐き出せないだろう。それに気づいた莉璃亜は泣くのではなく笑い、突っ伏していた顔を起こす。
口元は緩んでいたというのに、瞳のアクアマリンは今にも雨を降らせそうだった。それは皮肉にも、莉璃亜の美しさをさらに際立たせてしまった。
(…あたしは諦めないよ、円佳ちゃん。たとえ今のキミが望んでいなかったとしても、ずっと絵里花ちゃんと一緒にいるとしても、あたしもその中に居続けるんだから…もうるーちゃんのときみたいに、手放すのはごめんだから)
通り雨に見舞われそうな中、莉璃亜は不敵に笑顔を作って自分の意思を再確認する。それはいつも通り、大好きな自分らしい大胆不敵さを備えていた。
莉璃亜の恋人もまた因果の相手が見つかり、その際には別れ話を切り出された。しかし彼女はそれにショックを受けたとしても、口は自然と食い下がる。
『その因果の相手のこと、好きなの? じゃあさ、あたしのことは“二番目に好きな人”でよくない? 好きな人がたくさんいるのって…素敵でしょ!』
それは負け惜しみでもなんでもなく、莉璃亜の本音であった。
たとえ相手に好きな人間がいたとしても、自分もそのうちの一人であればいい。そして自分もたくさんの好きな人を見つけて、みんなで幸せになっていく。
二番目という表現は便宜上のものであり、莉璃亜にとっては『お互いが好きであるかどうか』が重要なのだ。
(…なのに、ね)
そんな自分であっても、円佳という少女は容易に狂わせていた。
円佳と一緒にいられるのであれば、絵里花の次に好きな相手になれたらいい。
だというのに、『円佳の一番になりたい』と思っている自分もいたのだ。
だからこそ絵里花と競い合ってしまい、今後の関係に支障が出ることを予想しつつも円佳とのデートを楽しみ、あわよくばもっと自分のことを好きになってもらおうと考えていた…。
「…ずっとままならないのは、自分のせいじゃん…」
認めてはいけなかった、実行してはならなかった自分の本音。
莉璃亜はずっと迷子でもあった。当然だ、本来であれば今も両親に導かれているさなかであって、そもそもその両親が普通とは大きく異なる世界で生きていたのだから。
それに巻き込まれた彼女は被害者であったが、悲劇のヒロインにはなりたくないと抗い続け、自らが望む楽しい人生を歩んでいたとき、莉璃亜はまたしても自由を奪われたのだ。
(…あたしにくれた因果なら、誰とでもつながりを持てるんじゃなかったの…?)
因果で決まったパートナーがいる相手に対し、自分とも付き合い続けるようにそそのかした人間。
それは研究所のエージェントに目をつけられるには十分な理由で、ついに莉璃亜は捕まってしまったのだ。そして矯正施設に入れられて、因果律に従順な模範的国民になるはずだった。
しかし、かつて自分に施された『訓練』のおかげで一般的なエージェントをはるかに超える実力を有していた彼女には取引が持ちかけられ、莉璃亜もまたそれを快諾したのだ。
第一に、研究所のエージェント…それも難易度の高い任務に割り当てられる、広域バックアップ担当という危険な役目を負うこと。
第二に、『新しい形の因果』の実験台になること…そのどちらもが莉璃亜の安全性を考慮しているとは言いがたかったものの、彼女はこのスリルに満ちた日々を楽しんですらいたのだ。
そしてそんな日々の中、与えられた因果に導かれるように円佳と出会い、彼女もまたすでに愛し合っている相手がいて…莉璃亜は出るはずのない涙を堪えるように、フードコートの天井を見上げた。
(…あたしの好きになった人には、いつもとなりに誰かがいる…だからあたしは、二番目でもよかった…二番目にしか、なれない…)
あの日、『早乙女莉璃亜』になったときから…自分の人生は嘘にまみれていた。
本当の名前も、本当の気持ちも、本当の願いも…決して表には出せない。
それも含めて楽しんでいるという嘘をつき続けることで、莉璃亜は心の均衡を保っているのかもしれなかった。
「…で、こんなときでもお仕事は舞い込んでくる…と。やだなー、こうゆうときくらい空気を読んでくれてもいいじゃん!」
ぐらつく心の中で自分を見つめていたら、携帯端末がけたたましく任務の到来を告げる。ロック画面の壁紙には円佳とのツーショットが表示され、メッセージ内容よりもそちらへ目が釘付けになった。
満面の笑みを浮かべて肩を抱く莉璃亜に対し、明らかに『困っています』という感情を隠さずに苦笑している円佳。
きっとこの子はあたしに引っ付かれても喜んではいなくて、家に戻ったら絵里花ちゃんといちゃついて、もう二度と…二人では出かけてくれないんだろうな。
「…あーあ、円佳ちゃんのせいだよ…なんであたし、キミのことがこんなに好きなんだろうね?」
ロック画面上の円佳へちょんと指を置き、届くはずのない二度目の告白をする。
正直に言えば、最初は好奇心からだった。自分に並ぶほど優秀な存在、それもこれまで見たことがないほどの美少女であれば、女性が好きな莉璃亜が興味を持つのは当然だ。
そして話しかけてみるとそつなく応じるものの、こちらへの無関心を隠そうとはしなくて、だけど邪険にすることもなく付き合ってくれて。
「…そっか。キミのそーいうところ、あたしに刺さっちゃったんだねぇ…」
あたしに興味なんてないのに、ちゃんとあたしのことも気遣ってくれる。
それは『優しさ』と『無関心』が交差するという、奇跡というにはあまりにも矛盾した属性だったのだ。
莉璃亜に対して関心を持たない円佳は、一生その過去について詮索することはない。けれども今そこにいる莉璃亜と向き合い、関心がなくとも真剣に向き合ってくれる。
知れば知るほど莉璃亜にとって都合が良く、甘やかで、愛おしい。だからこそ救われない、それを再確認した莉璃亜は…やっぱり、笑っていた。
「…あたしともつながってもらうよ、円佳ちゃん。キミの因果は絵里花ちゃんとだけつながっていたとしても、あたしのは…きっと、キミへとつながっているだろうから」
莉璃亜は端末を握る前に右手を挙げ、その小指をじっと見つめる。そこから伸びているであろう見えない赤い糸は、きっとあの子へ結ばれていると確信した。
でなければ。莉璃亜にとって『好きな人の一人』になるはずの円佳に対して、ここまで心惹かれないだろうから。
初めて作った恋人のことも好きだった。今だって好きだと言えるけれど、その形も大きさもあまりに違いすぎる。
それをたとえるのなら、真っ赤な宝石だった。自分の大好きな色、赤色。その透き通ったきらめきの中心でたゆたう円佳の姿は、あまりにも美しくて。
そんな円佳につながっているであろう小指に対し、莉璃亜はそっと口づけた。それは円佳と一緒に食べたチュロスよりも甘い、中毒へといざなう麻薬のようですらあった。
「…さて、今日はちょーっと機嫌が悪いし、八つ当たりさせてもらおうかな?」
甘さの余韻に浸っていると、端末がもう一度着信を知らせるために音を鳴らす。それは莉璃亜にとって刺激的な非日常にいざなう音色であったが、今日ばかりはどうしても邪魔に感じられて。
彼女は小指から唇を離し、無造作にそれを手に取って歩き出す。メッセージ内容を確認するためロック画面を解除しようとしたら壁紙の円佳と目が合い、莉璃亜は一度だけ無邪気に笑った。