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第89話「護送任務開始」

「美咲さん!? 美咲さん!!」

 鼓膜を刺激する破裂音に不安感も爆発させて、私は必死にその人の名前を呼ぶ。

 エージェント向けの緊急通信が入ったのでそれに応答したところ、美咲さんの報告の途中でなにかが破裂…おそらくは爆発物が爆ぜたのだろうけど、それの意味するところ、最悪の結末を想像した私は何度も美咲さんの名前を呼んでいた。

 現在は任務中、コードネームで呼ばないといけないのだけど、そんなものはどうでもいいとばかりに私は連呼する。

 もしも美咲さんに何かがあれば、この人を待っている相手…結衣さんは、どうなる?

 いつも私たちのことを見守ってくれていて、優しく支えてくれて、真相を知らずとも恋人を待ち続ける女性…結衣さんは、きっと。

 私のあまりの豹変ぶりに真琴さんもパーテーションから飛び出してきてこちらを気遣わしげに見ていたけれど、対する私は護衛対象が誰なのかを忘れたように美咲さんの名前を叫び続けていた。


『落ち着いてください、二人とも。今は任務中です、そちらは無事ですか?』


「っ…ごめん、アセロラ…こっちは現在異常なし、護衛対象も無事です。安全確保のため、二人にはパーカーを着用してもらいます…」

 私の冷静さを欠いた声音とはどこまでも真逆に、美咲さんのいつもの穏やかな…それでもこちらを叱責するような硬質さを含んだ声を聴覚が受け取ったとき、私は安堵の息を堪えつつ、こうした場合に備えたシナリオ通りに動く。

 絵里花も無線を受け取ったのか、千代さんを連れてきて私たちと同じパーカーを装備させ、襲撃に備えて部屋の隅に移動してもらう。二人は不安を押し殺すように寄り添っていて、それを見た私は絶対にこの二人を守るんだと目が覚めたように、念のために持ち込んでおいた折りたたみ式のバリケードも展開した。

 二重のスライドレールで横に展開するこれは持ち運べる床置きシールドとも呼べるもので、広げると幅180cm、高さ70cmのサイズになる。本体の超高強度アルミ合金スライドパネルをナノセラミックコーティングによって補強されたこのバリケードは、世界で広く使われている5.56mm小銃弾の至近距離射撃でも2発は確実に耐えられるため、万が一撃ち合いが発生したとしても短時間なら問題ないだろう。

 二人を守るようにバリケードを設置し、私は入口側を、絵里花は窓側を警戒する。一連の動きに無駄はなく、次の美咲さんからの連絡が入る前に済ませられた。


『先ほどの報告通り、不審者がお二人を狙って配送業者になりすまし、爆発物を届けようとしていました。管理人の方が不審に思って止めてくれたのですが、この一件で敵対勢力にもご夫婦の居場所がバレたと考えたほうがいいでしょう。よって、これから私たちは“護送任務”を開始します』


「護送任務…ですか?」

 美咲さんのよどみない報告にひとまず私はリビングに戻り、通信を続けながら絵里花にアイコンタクトを送る。

 すると絵里花は小さく頷いて「すみません、移動の準備をお願いします」と二人に告げ、任務の詳細を把握する前から適切な準備をしようとしていた。

 私はそんなパートナーを頼りに思いつつ、警戒は続けながら続きを促す。


『この一件を報告したところ、ようやくご夫婦を研究所へ護送することにしました。あそこはおそらく日本で一番安全です、少し判断が遅かったと言ってもいいでしょう…もしくは我々の仲間が先に敵勢力の特定を済ませられると思っていたのでしょうが、相手も想定以上に諜報員が揃っているのかもしれません…では、ひとまずエントランスまで来てください』


「了解です、すぐに向かいます…すみません、こんなことになって。でも、お二人のことは必ず守りますので」

「い、いえ、大丈夫です…千代さん、いきましょう。あの、私だって昔は訓練も受けてましたから、いざというときは弾よけに…」

「…真琴、それ以上言ったら怒るよ。それで言えば私だって同じ、落ちこぼれだけど訓練は受けていた…戦えなくなって、あなたのこと、守るから…」

 美咲からの無線を伝えると真琴さんと千代さんもすぐに状況を理解してくれて、バリケードの裏から出てきて私たちの後ろにつく。

 その動きはまるで過去の記憶が身体に染み込んでいるかのように、無駄がなく確かなものだった。一般人の慌ただしさや戸惑いとは一線を画し、研ぎ澄まされた所作が自然と滲み出ている。

 それらはきっと、かつて積み重ねた訓練の痕跡が今も二人の中で息づいているからなのだろう。

(いや、違う…この二人は、こんなときでも支え合っているから…だから、前に進めるんだろうな)

 真琴さんは初対面の時に見せていた臆病さを完全に拭い去ることはできなくても、その手で千代さんを導く姿には一片の迷いもない。ぎゅっと手を握り返す千代さんの指先からは、静かだけれど確かな共鳴が伝わり、二人の心がひとつであることを優しく語っている。

 この二人は守るべき対象である一方、私と絵里花にも勇気をくれている。ふと絵里花を見てみると橘夫婦に向ける目は優しくも気丈なものになっていて、私と同じ気持ちなのだと思ったらますます恐怖は消えていった。


 *


「アセロラ! 怪我はないわよね?」

「ええ、もちろん…それよりも皆さんが無事で何よりです。管理人の方がいなければ、今頃は危ないところでした」

 エントランスまで移動すると、そこに立っていたのはパーカーを完全に着用した美咲さんの姿だった。それを認めると絵里花は駆け寄って無事を確認し、美咲さんは唯一露出した目元を緩めて外へ向かうように促してくる。その小さな仕草からも『お互い無事なのは嬉しいけど、再会を喜ぶはあとで』といった意思が見え隠れしていて、私もそれに従うべく、後ろにいる真琴さんと千代さんへ着いてくるようにお願いした。

 ちなみにこの二人もパーカーを着用していて、全員背丈こそ違いがあるものの、ぱっと見は誰が誰なのか判別が難しくなっている。それはカモフラージュの面では優れている一方、目元しか露出していない人間が五人も集まっていると『先ほどの爆発はこの人たちの仕業では?』なんて疑いも持たれそうだ。

 一方、管理人はまるでこの異様な状況を予期していたかのように、微塵の動揺も見せなかった。その怜悧な目が私たちを一瞥しただけで、淡々と「不審者の処理は任せてください」と、氷のように冷ややかな声で告げる。焦りの色はどこにもなく、その落ち着きは不自然なほどだった。この人のおかげで危機を脱したと考えた場合、相当な手練れなのかもしれない。

「そうそう、今回の護送に際してもう一人ほど援軍が来てくれます。その人は」


「あっ、こっちこっち! 近くに怪しい人が二人いたから、その人たちには眠ってもらったよん!」


「…え? 早乙…スプリット?」

「さすがですね、助かります…今回の一件ではなにが起こるかわかりませんから、近場にいる腕利きのエージェントに来てもらったんですよ。フロレンスさん、この場は一時休戦でお願いします」

「な、なんで私に言うのよ…これは任務、こんなときにまで私情を挟むつもりなんてないわよ」

「にゃはは、フロレンスちゃんも大人になったね~。あたしが来たからには千人力だから、みんな安心してね☆」

 美咲さんに促されて駐車場に向かうと、そこにいたのは…いつものSUVのそばに立っていた、早乙女さんだった。

 もちろん彼女もパーカーで顔を覆っているけれど、その脳天気な声音は聞き間違えるはずもなく、絵里花は援軍の正体に気付くと同時に目元の鋭さを若干増していた。そして美咲さんは運転席へと入りながらも絵里花の変化に気付いていたのか、折りたたまれた安全ピンのような声で釘を刺す。

 私は大丈夫だと信じていたので余計なことは言わず、このSUVの隠しオプション…後部に追加の座席を展開し、さらに2名ほど乗れるように拡張作業を行った。

 リアバンパー下のレバーを引くと、ガチャリと金属音が鳴る。すると床に仕舞われていた小さな座面が勢いよく跳ね上がり、座席がカチリとロックされた。

 展開されたサードシートはセカンドシートより背もたれが薄く座面も少し硬めだけど、小型のヘッドレストモニターが隠されていて、護衛対象のバイタル情報をリアルタイム表示できる仕様だ。

 この車…研究用特装モデルこと『セキュリティクルーザーS』には様々な機能があるけれど、今日みたいに本来であれば定員オーバーになりそうなときも対応できるのは心強い。私が展開後に「どうぞ」と伝えると二人は無言で頷いて搭乗し、その動きにはやっぱり震えなどはなかった。

 ちなみに助手席には早乙女さんが、セカンドシートには私と絵里花が収まる。失礼ながらも「早乙女さん、私と座りたいってごねたりしないかな…」なんて思うあたり、中途半端にモテ期が訪れた私は驕り高ぶっているのかもしれない。

「え~、これより当機は因果律研究所へと向かいまぁ~す。快適な旅になるよう、アテンダントはみんなのアイドルことスプリットちゃんが担当いたしますのでぇ、皆様どうぞゆるりとおくつろぎください~」

「しょうもないアナウンスをしてんじゃないわよ! 助手席に座ったんだから、きちんと助手役を務めなさい!」

「ま、まあまあ、スプリットも和ませるためにやってくれたから…」

「…ふふ…ごめん、ちょっと笑っちゃった…」

「え、えへへ、実は私も…ご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いします…!」

 そして美咲さんがエンジンをかけると同時に、早乙女さんの妙にねっとりとした…緊張感を手荷物検査場においてきたような、がくりと力が抜けそうなアナウンスが車内に響く。

 それに対してもちろん真面目な絵里花は怒ったけれど、なんだかんだであのデートにて打ち解けてしまった私は怒鳴る気にはなれず、何より…後部座席から真琴さんと千代さんのかすかな笑い声が漏れ聞こえてきたことで、「援軍に来てくれたのが早乙女さんでよかったな」なんて思ってしまう。

 美咲さんも「では、機長は僭越ながらアセロラが務めさせていただきます」なんて乗ってきて、車は俊敏に、そして静かに動き始めた。


 *


「にしても、どうやってあいつらは嗅ぎつけてきたのかしら…研究所だって情報隠蔽は得意なはずでしょ?」

「おっしゃるとおりです。ですが、CMCやエージェントの情報は秘匿したとしても、その多くは表の顔を持っていますからね…桐生先生のように有名な方であれば、どうしても個人情報の流出経路も増えてしまうんですよ」

「うう、私のせいで申し訳ないです…SNSは担当の方に任せているし、通販も信頼できるサイトだけ使うようにしているから、漏らしたような記憶が本当にないんです…」

「…私は真琴と違って、目立った成果とかないから…多分、漏れるようなことはないはず…」

 車での移動開始からおよそ20分、今のところは順調だった。徐々に交通量の少ない道へと入ってきているけれど、周囲に怪しい車両などはなく、追跡してくるドローンも見当たらない。

 そうしたわずかな安心は私たちに会話を復活させて、ぽつりと疑問を口にしたのは絵里花だ。もちろん彼女に責めるような意図はなかったけれど、真琴さんはもはやお約束となったネガティブさで謝罪してきて、もちろん絵里花は「ベ、別に責めているわけじゃないんです…」と謝っていた。

「…あんまり考えたくはないんですけど、先生の本の出版をしている会社から…とか」

「あー、それは結構有力だね。昔に比べてマシになったけど、出版社って全体的に『そっち』の思想が強めだからねぇ…堂々と因果律に批判的な雑誌とか出してるところも生き残っているし、もうちょい強めにガサ入れしちゃう?」

「そうですね、すでに調査チームは手を回していそうですが…研究所に戻ったら、その点も具申しておきましょう…あら?」

 絵里花への批判を逸らす──そもそも批判されていないだけど──意図も兼ねて、私は自分の予想を口にする。

 真琴さんの情報を多く持っているところとなれば今は出版社が真っ先に思い浮かぶし、あれくらいの規模で宣伝と出版ができるなら多くの社員もいるだろうから、そこに反因果律的な思想の人間がいたとしても不思議ではない。

 また、早乙女さんも補足してくれたように、出版社には言論の自由を重んじるところが今もなお多い。ただ、かつての日本では『特定の主義主張に偏っている思想のみ自由を認める』といった風潮が強く、それによってテロや暗殺といった犯罪行為ですら美談に仕立て上げるようなことも行われていたわけで…その時代を知らない私であっても、出版社にはあまり良いイメージがなかった。

 もちろん私程度が思いつくような線を研究所の調査チームが把握していないとは考えづらくて、こんなこともあれば具申する前にガサ入れが入るかもな…なんて思っていたら。

「…検問所があります。おかしいですね、ここら辺はもう交通量も少なくて、そういう事前情報も入ってきていない…」

 前方には検問所が設置され、そこに立っている警官が停止を命じるように身振り手振りをしていた。

 けれど、あまりにも妙だ。バリケードはトラックの木箱やパレットが設置されていて、標識は本来であれば故障車用の三角停止表示板が置かれている。

 そして立っている警官は上着だけそれらしいジャケットだけど、ズボンはどう見ても民生品、美咲さんが近くまでたどり着いたことで速度を落としてみると、その手に持っていたのは…ショットガンにハンドグレネードという、明らかにこの国の検問所としては過剰な武装。

 私はそれを認めると同時に、すでにリフレクターガンを抜いていた。

「研究所にも確認してみたけど、把握してないみたいだね~…やっちゃう?」

「…ですね。皆さん、ちょっと乱暴な運転になりますが…ご容赦を!」

 早乙女さんも普段より低い声で確認し、美咲さんは張り詰めたように小さく頷く。そのやりとりに後ろの二人も「私たちなら大丈夫ですから」と返事をしてくれて、私も覚悟は決まった。

 念のためにシートベルトを確かめる。隣に座る絵里花もリフレクターガンを抜いていて、準備は完了。


「止まれ!」


 これまた警察車両とはほど遠い軽トラの荷台に三人ほど載っていて、それはほとんど車道に張り出している。そして私たちの車が加速を始めたのを認めたら拳銃を抜いて制止するように怒鳴ってきたけれど、敵には容赦のない美咲さんが命令を聞くわけもなかった。

 SUVに搭載されたハイパフォーマンスエンジンは一般車両では不可能な急加速を見せ、進路上のすべてを跳ね飛ばして目的地に向かうべく、イノシシのような勢いで前へ進む。

 敵の拳銃の弾が車体に当たったけれど、防弾加工されているこの車がそれでダメージを受けるはずもなく、相手もそれを認めて慌てて進路を避けるように逃げ出した。

 バリィ!! フロントバンパーが木箱を一気に押し潰し、バリケードが砕け散る。飛び散った破片がフロントガラスに当たって、ビリビリと振動が伝わった。

 急な重力の変動は私にわずかな姿勢の乱れを生んだけれど、これくらいなら問題ない。仮に窓を開けて射撃をしろと言われたら、十分対応可能な範囲だった。

「!! アセロラちゃん!! 敵がロケットランチャーでこっちを狙ってる!!」

「っ!! すみません皆さん、衝撃に備えて!!」

 そして偽りの検問所を突破し、あとはいつもの研究所への道のりを進むだけ…そう思っていたら。

「千代さん!!」

「真琴…!!」

 敵は背後から私たちに向かって、想定をはるかに超えていた火力を持つ兵器…ロケットランチャーを放ってきたのだ。

 それを認めた早乙女さんが報告すると同時に、美咲さんが思いきりのいいハンドルさばきで車は急カーブを行い。

 甲高い発射音と閃光。即座に車体が右にブレ、ガードレールまでの距離が一瞬で詰まる。タイヤがバーストし、車がスリップダウンしていく感触を五感で感じ取りながら、私たちは──。

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