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第90話「アンダー・トレッキング」

「…自動水平維持機能は有効…皆さん、ご無事ですか?」

「スプリットちゃんは無事だよ~…デュアルエアバッグとサイドカーテンバッグに感謝ってところかな?」

「こちらベイグル、問題なし…」

「同じくフロレンス、大丈夫よ…」

「う、うう…真琴、無事です…千代さんは…」

「…大丈夫、生きてる…」

 美咲さんの運転技術のおかげでロケットランチャーはギリギリで回避、それでも爆発の余波によって押し出されるようにガードレールに衝突、そのまま私たちはSUVごと山中へと投げ出された。

 まるでアクション映画のように山へと飛び込んだ私たちだけど、幸いなことに全員が無事だった。この車両はボディパネル内部に薄層のケブラー繊維をサンドイッチし、高張力スチールと組み合わせた複合装甲によって局所的な衝撃を面全体に分散して受け止め、損傷は最小限に収まっている。

 さらに電子制御アダプティブサスペンションが衝突の直前に急激なG変化を検知してダンパーを瞬時に切り替え、山道への滑り込み後も横転一歩手前で車体を立て直せたのだ。

 それを確認すると美咲さんは車を飛び出し、シークレットキャリーからスナイパーライフルを取り出す。私と絵里花、早乙女さんもそれに続くように車を降りて、私は双眼鏡を構えて追撃の有無を確認した。

「…道路からこっちに向かってくる敵はとりあえず四人、ロケットランチャーは携帯していないよ」

「なるほど、ロケットランチャーで仕留められなかった場合は追撃による人的コストが大きすぎると判断したのでしょう。それにあんなお粗末な検問所しか用意できなかったところを見ると、ロケット砲の弾薬数にも余裕がないのかもしれません」

 車を盾に破損したガードレールの方角を見ると、ロープを使ってこちら側に降りてくる敵の姿が確認できる。最悪の場合はロケットランチャーでの追撃もあり得ると思ったのだけど、美咲さんの読み通りであれば連発できるほどの余裕はないのかもしれない。

 所持している武器は先ほども確認できたショットガンにハンドグレネード、それ以外にも拳銃くらいは隠し持っていそうだけど、ロケットランチャーほど厄介ではなさそうだ。

 …なんて思っていたら、ロープを握っていた敵の一人が急に落下していった。

「まずは一人…やっぱりここからだと狙いにくいですね」

「こっちに狙撃手がいると気付いたのか、敵が戻っていく…っ! あっちにもスナイパーがいるのか…!」

 私が観測手を開始してまもなく、美咲さんは早速狙撃を開始して敵の一人を仕留める。そして相手は無理な追撃をするほどの余裕がないのか、こちらの反撃が化け物じみた精度であることを理解すると慌てて逃げていく。

 けれどもそれで完全に諦めるわけでもなくて、敵にもスナイパーライフルが支給されていたのか、バリケード代わりをしているSUVに弾丸がヒットする。その硬質な音は私たちに緊張感を与え、安易に動けなくなってしまった。

「研究所への報告は完了したわ…で、返事が『ドローンと応援を派遣したから護送を再開せよ』…相変わらず対応が遅いわね…!」

「大丈夫です、ここからなら研究所もそう遠くはない…車に積んでいた簡易ジャミング装置を起動しますので、これで敵の無線とGPS追跡も妨害できます。付近では研究所のセキュリティチームが根回ししていますので、正規道路を使った追撃も難しいでしょう…ですから」

 美咲さんは牽制するように狙撃を行い、そしてチラリと私たちを見る。その目元には相変わらず焦りや苛立ちとは無縁の穏やかさが漂っていて、何のこともなく口を開いた。

「私がここに残って敵狙撃手を牽制しますから、皆さんは護衛対象と一緒に研究所へと退避してください」

「…は? あんた、なにを言って…」

「大丈夫です、弾薬には余裕があります。私がここで撃ち続ける限りは敵もそう簡単に前へ進めませんし、応援が来てくれたら逃げますから…安心してください」

 カチリ、もう一度引き金が引かれる。命中こそしなかったものの、銃弾は敵の狙撃手を捉えつつあるのか、相手からの射撃はその頻度を大きく減らしていた。

 けれど、狙撃手が一人で残り続けること、その危険性は…戦闘訓練を受けた私たちならすぐにわかる。

 スナイパーライフルの射角は言うまでもなく狭く、スコープを覗いている最中は実質的に無防備だ。よってもしも敵の追撃部隊が別に存在していた場合、美咲さんはその接近に気づけず命を落とすかもしれない。

 そして誰よりも人が傷つくことを嫌う絵里花は美咲さんに詰め寄り、フードで顔を覆っていたとしても隠しきれない怒気を向けていた。

「なに一人で格好つけてんのよ!? あんたに何かあれば悲しむ人がいるのなんてわかりきっているでしょ!? さっさと一緒に逃げるわよ!!」

「フロレンスさん、大きな声を出すと敵に見つかるかもしれません。それに状況は切迫しています、今は私情に流されず最善の判断を」

「う~ん? アセロラちゃん、それって本当に最善なのかな?」

「え?」

 美咲さんの言っていること、それが間違っているとは思えなかった。

 けれど、正しいとは絶対に信じたくなかった。

 その理由なんて、決まっている…絵里花が言ったとおりだ。

 美咲さんに何かあれば、悲しむ人はたくさんいる。絵里花や私はもちろんのこと、結衣さんは…もしかすると立ち直れないほどのダメージを負うかもしれなかった。

 美咲さんを見る結衣さんの顔はいつも呆れているようで、でもそこには常に優しさと愛おしさであふれている。だからこそ美咲さんが何か隠していることに傷ついてもいて、でもそれを絶対に口することはなくて、いつか言ってくれると信じている…そんな女性だった。

 だから美咲さんが命を落として、それを伝えられなくなったら? 結衣さんはきっと、自分自身を責める。

 どうして私はもっと早く聞いてあげられなかったのか、信頼できる人になれなかったのか…そんなふうに考えて、私と絵里花の言葉じゃきっと届かなくなる。

 だから、そうだ。たとえ任務の成功率が下がったとしても、私は美咲さんを連れて行かないといけない。そう思って彼女を気絶させるべく動こうとしたら、周囲を警戒しつつもやっぱり軽やかな声で、私の進路を遮るように早乙女さんが美咲さんと向かい合った。

「あたしさぁ、嘘をついているかどうかってすぐにわかっちゃうんだよねぇ…で、アセロラちゃんもわかっているでしょ? スナイパーが一人で足止めすることの危険性、生存確率…アセロラちゃん、『死にたい』んだよね?」

「っ…こう見えて私はそれなりに長く銃を撃ってきたんです。少なくとも、あなたよりも長く…なのに、わかったようなことを」

「…わかるよ。生きていること自体が罪深いなら、死んだほうがきっと救われる…だけどあたしたちは、生きていていい理由も欲しがっている…」

「…スプリットさん?」

 それは血の流れを感じさせない、この場にいる誰よりも感情を殺した声音だった。もっとも感情へ素直に見えた女の子の、命が通っているとは思えない冷たさの調べ。

 そしてその言葉は音楽家である美咲さんに突き刺さったのか、この人に存在しているのかどうか疑わしかった苛立ちを一瞬だけ見せる。けれども早乙女さんがスナイパーライフルを握る手に自分の手のひらを重ねたら、美咲さんの音色に穏やかさが戻ってきた。

「アセロラちゃん、あたしたちと一緒に探しに行こう? ううん、キミはもう見つけているんだよね? だったらさ、その生きていていい理由のために…こんなところで一人諦めないで、自分勝手に、わがままに、あたしたちに言ってよ…『私も生きたいから、一緒に戦ってください』って」

「…でも、それは…」

「…あ、あのっ!!」

 早乙女さんもまた、死を望むことがあった。それでも、生きる理由を探していた。

 それをこの場にいる全員に伝えるような、力強い響きがその言葉に秘められていた。なぜ彼女がそう思ったのか、なにを探しているのか、そして…なぜ私たちにその理由を見いだそうとしたのか、わからないことはいくらでもあったけれど。

 けれど彼女の言葉は合理性を覆すほどの力を持っていて、それを最初に引き継いでくれたのは真琴さんだった。

「あっ、大きな声を出してごめんなさい…でも、あの…私は守られる側で、えらそうなことなんて言えないってわかってるんです…だけど、私、この場にいる誰かを見捨てて生き延びるなんて…いやです…」

「…真琴…」

 真琴さんは千代さんに手を握られながら、それでも自分の足で立ち上がり、私たちに聞こえるような強さを含む声で意思を表明する。

 人気作家とは思えないほどネガティブで、いつも伝える言葉に迷っていて、時にはそれを飲み込んでいたようなこの人は…誰よりも、その瞳に炎を宿していた。

「…でも、これは自己犠牲とか、そんな立派なものじゃないんです…もしもそんなふうにしてまで生き残ったら、もう千代さんに顔向けできないとか…千代さんも悲しむとか…わ、私の自己満足なんです、結局…だっ、だからっ」

「…大丈夫だよ、真琴。聞かせて…」

 その炎が消えないように、真琴さんは深呼吸を繰り返す。

 この場にいる誰よりも強い意志を持った人は、誰よりもわがままに見えて…誰よりも覚悟の決まっている、決して折れないペンでもって、物語を紡いできた人だったのだ。

「…私のためにも! 皆さんで生き残れるような、そんな戦いをしてください! ごめんなさいごめんなさい、千代さんを、皆さんを巻き込んでごめんなさい! でも…でもっ! 全員で生き残って、それを見届けて…いつかその物語だって、本にしたいんです!」

「…皆さん…」

「…アセロラ、私も同じ気持ち。もしもあなたが残ろうとしたら、私はぶん殴ってでも連れて行くつもりだった。でも、それはもう…不要だよね?」

「…ふふっ、そうですね…」

 今も敵の狙撃はこちらを狙っていて、時折金属の跳ねる音が聞こえるけれど。

 そんな雑音にも決してかき消されないような声で、美咲さんは笑ってくれた。

 そしてもう一度私たちを眺める瞳には、蒼く輝く炎が燃えさかっていた。

「作戦変更です、研究所からの応援が来るまではこのまま迎撃、私は狙撃を続けるのでベイグルさんは観測手を。フロレンスさんとスプリットさんは護衛対象を守りつつ近くに来た敵を撃退してください…もっとも、私は近づけさせるつもりもありませんが」

「「「了解!」」」

 そしてまた始まる。守るための戦いが。

 けれどそれは護衛対象だけでなく、この場にいるすべての人間…仲間たちを守るための、帰るための戦いだった。

 私はすぐさま観測手を再開し、敵狙撃兵の位置を特定、それを伝えたら。

 程なくして美咲さんの「敵狙撃手が負傷、警戒を続けます」という冷然とした報告が聞こえ、私は改めてこの人が一緒にいてくれてよかったと、口には出せない油断をしてしまいそうだった。


 *


「敵の撤収を確認、これより研究所へ向けての移動を開始します…皆さん、お待たせしました」

「アセロラこそお疲れ様…それと、スプリット。ありがとう、私たちの背中を押してくれて」

「んーふふ、その言葉が聞きたかったっ! でもでも、せっかくのお礼ならまたデートしてもらえると嬉しいんだけどな~?」

「調子に乗るんじゃないわよ泥棒猫! もしもベイグルとまた出かけたいのなら、絶対に私も付き添わせなさい! こっそり連れ出そうとしたらただじゃ済まさないわよ!」

「百合三角関係…うう、今はノートパソコンが打てないのが悔やまれます…すっごいのが書けそうなのに…!」

「…研究所に着くまでは我慢して…真琴が元気になってくれたのは嬉しいけれど…」

 敵の狙撃手が負傷して以降、相手からの攻撃は驚くほどトーンダウンした。その一方で完全には諦めていなかったのか、別の人間がスナイパーライフルを引き継いで追撃を再開したものの、その腕前の違いは歴然としていた。

 敵の狙撃はもはや牽制以外の何物でもなく、それでいて前に出てくる相手がいれば即座に美咲さんが狙い撃ちするため、しばらくは散発的な狙撃の応酬が続く。そして状況が打開したきっかけ、それは研究所からのドローン…という名目の自爆兵器だった。

 監視用のクアッドコプターとは異なり、それはステルス機を小さくしたような形状をしていて、ボディの中には爆薬が積まれている。日本では今も自称平和主義者がこうした兵器の廃止を訴えていて、表向きは使われることがないのだけど…研究所のような日本の裏側にいる組織であれば、万が一に備えて保有しているのは想像に難くない。

 そしてそのうちの一機が敵を発見してAIが攻撃を判断、そのまま突っ込んで爆発を起こす。命を持たないがゆえに死を恐れず自爆を実行する兵器の介入は敵に恐怖を与えたのか、美咲さんの狙撃には粘っていた相手も尻尾を巻いて逃走していった。

「ったく、あんな組織があそこまで武装できるなんて…この国の警察、昔よりもさらに無能になったんじゃないの?」

「最新の情報によると、今回の襲撃部隊を保有する敵組織の一つは警察の天下り先であるカジノ施設を運営しているらしいですからね…研究所側も警察とのコネクションはあるのですが、どちらに対しても不干渉を決め込むのが関の山だと思います」

「だからロケットランチャーも多用はできないけど、かといって大騒ぎにならない限りは現場に介入もしない…ってところか」

 美咲さんが先頭に立って移動を開始したと同時に、その後ろについた絵里花が吐き捨てるように不満を口にする。そのさらに後ろにいる私が現状…『公権力は頼れないから自分たちでどうにかするしかない』というのを確認するようにつぶやくと、「天下りは悪い文化ですねぇ…」と美咲さんが非難しているかどうか微妙な声音で賛同した。

「警察が非合法組織とつながっていて、それが運営する違法なカジノへ天下りしている…これも小説のネタに使えそうです…あっあっ、すみませんこんなときに!」

「あはは、気にしなくていいって! たしかにか、今は大変な状態だけど…これが終わったらみんなで笑い話にしてさ、その小説が完成したらあたしたちにも読ませてね! タイトルは…『美少女たちの因果』なんてどうかな?」

「…たしかに今は女の子しかいないけど…私、美人じゃないから…」

「なにを言うんですか! 可愛らしい背丈、きれいなジト目、ちっちゃくて柔らかい手、いつも頑張って私を支えてくれるあんよ…千代さんには可愛いところしかありませんから!」

「…真琴、今はみんながいるから…ほどほどにね…」

「…あはは」

 私のすぐ後ろでは真琴さんがブツブツと小説のネタについて整理していて、やっぱり作家っていうのはどんなことでも作品の糧にするんだなぁと感心してしまう。

 もちろん怒るつもりなんてないし、最後尾について背後を警戒している早乙女さんもすっかり緊張感を投げ捨てた様子で、ちょっとダサいタイトルを提案していた。

 さらには千代さんの自虐に対して早口で真琴さんが否定し、今も敵に襲われる可能性はあるというのに空気はどこまでも柔らかだ。

 だから、笑ってしまった。不謹慎だとは思うけれど、ここには夫婦の愛情、仲間との信頼、何より全員で生き残るという鋼鉄のような意思があって、それが険しい道を進む私たちを支えてくれる。

「…皆さん、本当にありがとうございました。今だから言えますけど、さっきは本当に『ここで死んでも仕方ない』なんて思っていました。同時に、『全員を守れたのなら後悔はない』とも」

「…なによ、そんなに話を蒸し返して。引っぱたかれたいわけ?」

「もう、フロレンスさんは手が早いんですから…心構えの話ですよ。私はこんな仕事をしてそこそこ経っていますからね、罪を背負っていると自覚しているつもりです。でも…死んだら罪を償えるんじゃなくて、罪から逃げることになっちゃうのかもしれません」

 整備されていない、獣道すらない山林地帯は訓練された私たちでもきつい。だから真琴さんと千代さんはもっとつらいだろうけど、それでも二人は手をつなぎ、決してペースを落としてはいなかった。

 だから私たちは…自然と、口を開くのかもしれない。

 固い絆で結ばれている仲間がいる、それを確かめて支えとするため、いろんなことを伝えたいのかもしれなかった。

「…私、アセロラについて知らないことがたくさんあるんだと思う。だから、私がなにか言っても説得力はないかもだけど…アセロラがいなくなるの、いやだよ。アセロラに罪があるかどうかもわからないけど、私はあなたのことをもっと知りたいから…だから、そのためにも一緒に生きてほしい」

「…もう、ベイグルさんは…普段は余計なことは言わないのに、こういうことはちゃんと伝えてくれて…フロレンスさん、いい恋人に恵まれましたね」

「ふ、ふん…当たり前よ、ベイグルは世界一のパートナーなんだから」

「はいはい、ラブコメ禁止! 研究所に着いたら好きなだけいちゃつけるんだから、今は見せつけないでほしいな~?」

 私の言葉はきっと、わがままな子供の意見だ。

 だけど素直な気持ちでもあって、美咲さんならくみ取ってくれると思ったら…彼女は前だけを見ながら、それでも命の息吹を感じさせる旋律で返事をしてくれた。

 その直後にはまた絵里花と早乙女さんが言い合いを始めて、急に騒がしくなったけど。私はこの時間が任務ではなくトレッキングにでもなってしまったように、どこか弾む足取りで歩みを進めていた。

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