「早乙女!?…うわああああああ!!」
その光景に真っ先に反応したのは、絵里花だった。
彼女は人間離れした反応速度でサブマシンガンを構え、早乙女さんを撃ったドローンへと射撃をする。パラパラと吐き出された銃弾は今度こそドローンを物言わぬ鉄くずに変えて、私もまだ機能停止していたドローンたちにとどめを刺すべく、遅すぎた射撃を行った。
「早乙女っ!! あんた、なんで!!」
「…こ、これくらいなら…銃弾より、マシ、だし…それに…顔は、無事だから…あたし、可愛いまま、でしょ…?」
「うるさいっ!! あんたはいつも、いつも、いっつも!! 余計なことばかりして!! 気に食わないのよ、あんただけはっ!!」
「…! 絵里花、階段から足音! 多分敵の増援、壊したドローンをバリケードにして応戦する!」
絵里花は倒れた早乙女さんに近づき、しゃがみ込んでその体を抱き上げようとする。ゴムボールなので命までは奪われないだろうけど、それでも敵を行動不能にするために作られた武器である以上、すぐには動けないだろう。現に彼女は腹部のあたりを押さえつつ、余裕のない声で余裕を見せようとして、でもその体は立ち上がることなく横たわったままだった。
挙げ句の果てに、先ほど私たちが通ってきた階段からはなにかが向かってくる足音と駆動音が聞こえ、私は咄嗟に弾よけがないか探し、自分たちが壊したドローンを再利用することに決めた。
「…早乙女さん、ごめん…でも大丈夫、絶対に私が…私たちが、あなたを守るから」
「…そうね。円佳、私も戦うわ…こいつのためだなんてごめんだけど、それでも。借りは返すって約束したものね…」
「…えへへ…あたし、やっぱりモテるんだなぁ…」
二人で談話室のドアを守るようにドローンを寄せ集め、急遽作られたスクラップのバリケードを壁にして身を隠す。そして持っている銃器を構えたら、階段のほうを狙うように絵里花と並んだ。
早乙女さんはもちろん倒れたままで、すぐには動けそうもない。でも、絶対に大丈夫。
(…私は守る、この二人を。そのためなら…機械だけじゃない、人間だって…『破壊』してみせる…!)
階段のスロープを上ってきたと思わしきドローンが見えたところで、私は迷わずアサルトライフルの引き金を引く。
その破壊された敵の後ろからは人間の声も聞こえてきたけれど、そんな敵の言葉をかき消すそうに射撃を続けた。
「…いつもいつも! 自分勝手な都合で、私たちの因果を奪おうとして! 誰が解放してくれと頼んだ? 誰が運命に逆らいたいと願った? あんたらの身勝手な反抗心で…私たちの絆を、奪うなぁぁぁ!!」
最初は無言で射撃を続けていた絵里花だったけれど、マガジンを交換して弾幕を再形成し始めたとき、フロア全体どころか建物を震わせるような咆哮を上げた。
私は今も黙ってアサルトライフルを撃ち続けていたけれど、まったく同じ気持ちだった。
(そうだ、絵里花の言うとおり…こいつらはいつも周囲を解放すると言いながら、多くの人たちを自己満足に巻き込んでいる。こいつらがいなければ、戦いは起こらなかった。こいつらが戦わなければ、傷つく人たちだって増えなかった…私はこいつらを認めない、こいつらのために…大切な人たちが死ぬだなんて、許せるものか!!)
私は因果律に対して肯定的になるような教育こそ受けたけれど、それでもこのシステムが完璧ではないと理解していた。
因果律に従って理想の相手と巡り会ったはずなのに、何らかの形で破局を迎える人もごく少数存在している。あるいは結衣さんのようにシステムから見放されたような格好になる人たちもいて、私はエージェントという立場でありながらも因果律システムに思うところはあった。
だけどこいつらのやっていることは、絶対に間違っている。因果律で不幸になる人がいる一方で、因果のおかげで幸せになれた人たちも数え切れないほどいた。民主主義が多数決の結果だというのなら、『因果律で幸福に導かれた人のほうが多いからこそ今の仕組みが定着した』とも表現できた。
そんな人たちの幸せを奪ってまで実現する自由、そんなのは無秩序でしかない。ましてやこいつらはシステムを破壊するために海外勢力とも結託していて、人身売買と言った唾棄すべき行為にまで加担している。革命をしようとする側はいつもそうで、そうした負の側面ですら『気高い戦い』だと正当化するのだ。
だから私は迷わない、因果律によって最愛の人と出会えた立場として、因果律を破壊しようとする人間を駆逐する。これまでは直接的に殺傷することはなかったけれど、絵里花と早乙女さんを守れるのなら。
私は殺す。大切な人を奪おうとする人間たちを、すべて殺す。もしも因果律によって不幸になった人たちが私たちの敵になるのなら、そんな存在だって…殺してやる!!
撃ち切ったマガジンを外してリロードする私の手つきには、ほんのわずかな躊躇すらなかった。
「おい、今すぐ抵抗をやめろ! 我々は子供を攻撃する意思はない、投降すれば丁重に扱う! もしもまだ抵抗を続ける場合、施設の爆破も含めた大規模攻撃を行うぞ!」
「っ…! あいつら、どこまで頭と心が腐ってるのよ…!」
「…ブラフの可能性もある…だけど、実際に爆発があった…くそっ!」
時折私たちを狙ってドローンのゴムボールが飛んでくるけれど、それらは即席のバリケードを破るほどの火力はない。そして未だに制御が奪われているドローンたちの装甲は私たちの武器ならば簡単に突破できるため、今のところは押し切られることもなかった。
けれど、テロリスト側も痺れを切らしたのか、階段の向こう、こちらからは狙えない場所からそんな脅迫が飛んでくる。それに対して絵里花は射撃を続けつつも、どこまでも悔しそうに顔を歪めつつ吐き捨てていた。
対する私は若干の冷静さを保ったまま、相手の言葉の真偽について考える。大規模な爆破が行えるような武装があればとっくに使っていてもおかしくないと考える一方、寮にいたときに聞こえた爆発音は紛れもなく『敵は爆発物も所有している』と考えられて、今それを談話室へと使われたら…私たちだけでなく、この扉の向こうにいる子供たちまで犠牲になるだろう。
絵里花の言うとおりだ。こいつらは自分たちの理想のためであればあらゆる行為を正当化できて、自分たちが被害を受ければ相手を烈火の如く非難する。それは一昔前、腐敗しきったマスメディアに守られ続けていた活動家の気質そのもので、まだこんな思想が生き残っていたことに疲労感すら覚えた。
それでも私と絵里花の引き金を引く手は弱まりつつあって、判断に迷っていることがお互い見て取れる。投降したら地獄が待っているとわかっていても、それでも私たちは早乙女さんと子供たち、どちらも守らないといけなかった──。
「…!? なっ、なんだお前…ぎゃっ!?」
こうなったら私だけ投降するふりをして、一か八か相手の寝首をかいてやる…なんて思っていたら。
先ほどまで威勢良く吠えていた敵の悲鳴、同時にそれを抑え込むような銃声が何度か聞こえ、ついで「助けてくれ!」といった嘆願もいくつか聞こえたけれど、それらを無視するような冷たい会話も私たちの耳に届いた。
「副隊長、初等部寮を攻撃していた敵兵を制圧しました。まだ息はありますが」
「こいつらはテロリストの兵士だ、自爆する可能性もある。事情聴取は捕らえた技術者からすればいい、『処分』しろ」
了解、という言葉と同時に再び銃声が鳴り、今度こそ敵と思わしき人間の声はなくなった。
私と絵里花は突然のことに呆然としていたら…これまで見たこともない、あまりにも異質な兵士が現れた。
「我々は『実働部隊』、到着が遅れて申し訳なかった。君たちが寮と生徒を守ってくれたことは把握しているが、まだ動けるのなら残りの敵の討伐に協力願いたい」
それはバラクラバで顔を覆い、目元も暗視機能を備えているゴーグルを装備した、軍隊を思わせるボディアーマー付きの戦闘服を着用した男性だった。
手にはアサルトライフル──ただし私たちが使っている訓練用のものとは異なる電子制御機能付きの実戦用だ──を持っているけれど、もちろん私たちに向けることはなくて、一切表情のわからない頭を下げて謝罪してきた。
一方で私たちがエージェントであることも把握していたのか、気遣いは早々に引っ込めて当然のように戦闘継続を要請してくる。それに対してどう返事をすべきか固まる前に、兵士の後ろから聞き慣れた声が響き渡った。
「その二人は私が担当です、意思疎通は私が承ります…周辺の敵はすべて沈黙しました、『フォックス』さんは引き続き指揮をお願いいたします」
「…美咲、さん…」
「美咲?…そうか、それが本当の名前だったな。アセロラ、お前は『ここ』にいた頃から優秀だが少し情に厚すぎる…無理をさせたくないのはわかるが、今は少しでも戦力が必要なのを理解してほしい」
「わかってますよ、だからこそ私が適任なんです…いや、その責任がありますから」
ゆったりと寝起きの猫のように歩いてきた人、それはパーカーを着た美咲さんだった。いつもの格好であるはずなのに纏っている雰囲気が別物のように感じるのは、携行している銃器のせいだろうか。
今の美咲さんはこれまで使っていたSNR-M700Cとは異なる、いかにも特別な仕様に見えるスナイパーライフルを背負っていた。マットブラックにダークネイビーの迷彩塗装はビルに溶け込むような色合いで、ストックやバイポッド、グリップ類はチタンフレームにカーボン外装を使っており、明らかにコストがかかっている。
サイドには部隊のエンブレムが刻印されていて、それはフォックスと呼ばれた人…実働部隊の服に縫い付けられたものと一致していた。
そしてフォックスは冷徹そうな話し方とは裏腹に美咲さんを気遣うような言葉を残し、まるで新たな敵を仕留めに行くかのように音もなく歩いて行った。
「遅れてしまい、本当にごめんなさい。でも大丈夫です、さすがに研究所も施設を攻撃されたら実働部隊を動かすしかなかったようで…ドローンのコントロールもまもなく取り戻せるでしょうし、仮に奪われたままでもすべての敵を消せるでしょう…あの部隊はそのためにありますから」
「…消すって…いえ、ごめんなさい、美咲…助かったわ。それで、あの…」
「…私もいたんですよ、昔は実働部隊に」
美咲さんは今もドローンの残骸に身を隠す私たちに歩み寄り、パーカーのジッパーを開いて顔を見せてくれる。そこには憂いを帯びつつもいつもの微笑みを浮かべたこの人がいて、ようやく再会できたように感じた。
そして今はそれどころじゃないというのに、私も絵里花も聞かずにはいられない。あの隊員との会話からすでにある程度は察するしかなかったけれど、絵里花が浮かべた疑問を引き継ぐように、美咲さんは自分から教えてくれた。
「実働部隊は研究所が擁する戦力でも最精鋭、本来なら凶悪テロ組織の完全な抹消などがお仕事でして、活動の痕跡自体を残さないために極力出動は避け、存在自体が疑問視される程度には秘匿されているんですよ。装備や訓練、維持管理に必要なコストも莫大だから、頻繁に出撃することすらない…私みたいな怠け者にぴったりな場所だったのですが」
くすり、美咲さんは笑った。でもそれはいつものフルートのように情感あふれる調べではなくて、命からはほど遠いような硬質さを持っていた。
けれども応急処置キットを取り出して倒れている早乙女さんの手当てを開始したことが、間違いなく美咲さんであることを私たちに理解させる。こうした手当てが得意な絵里花も慌ててそれを手伝い始め、美咲さんは小さくお礼を伝えていた。
「…だけど私は落ちこぼれですからね、任務に失敗して追い出されちゃったんですよ。だからこそ、お二人みたいな手のかからない子の監視役に回された…まあ、よくある話ですね。今だってこんな危険な目に遭うまで助けられず、それどころかお二人がいなかったら子供たちも守れなかった…」
「あの、それは違います」
美咲さんは元々謎が多い人で、本人も自分の過去をべらべらと語るようなタイプじゃない。だから親しくしている私であってもわからないことだらけで、そんな立場からこんなふうに断言するのは、もしかしなくても失望を招くかもしれない。
それでも私は、口を開いていた。普段はもう少しだけ小賢しく合理的な言葉を探すのだろうけど、それでも…黙っていられない。
美咲さんは大人で、私はまだ子供。だったら、子供らしく…向こう見ずに叫んだって、いいじゃないか。
「美咲さんはいつだって私たちを見守ってくれていました。それはただ単に狙撃支援をしてくれていたとかじゃなくて、私がうじうじ悩んでいるときは話を聞いてくれて、背中を押してくれて、この前だって素敵なところへ連れて行ってくれて…」
私は美咲さんの過去について、ほとんど知らない。そして、それは一生触れることがないものかもしれない。
だったら、私は『私が見てきた美咲さん』で語ればいい。そうすることしかできないのなら、それをするのが最善なのだろうから。
絵里花から逃げてしまって公園で出会った際、この人に支えてもらったように。それこそが美咲さんの美点であることを伝えなきゃダメなんだ。
「美咲さんはいつでも私たちを助けてくれます。些細なことでも、今みたいに追い詰められているときでも…きっと来てくれるって信じていますから。美咲さん、あまり…自分を責めないで。あなたはとても優しい人なんです、だから…自分にも、優しくしてあげて」
「…円佳さん」
「…円佳の言う通りね。美咲、あんたは責任感が強いから自分を責めたくなるようなことがあるのかもしれないけれど…だったら! 私たちにも背負わせなさいよ! 私たち、仲間でしょう!? これまでだって、ずっと3人でやってきたじゃない!」
「…絵里花さん」
「…ちょっと…なんであたしを差し置いて、いい感じになっちゃってるの…あたしだって、美咲ちゃんのこと、もっと知りたいし…これからは、4人で、やっていこうよぉ~…」
「…早乙女さん」
先ほどの行動…敵を『処理』したことからもわかるように、実働部隊は過酷な任務ばかり請け負っているのだろう。そしてその内容は、優しすぎる美咲さんにはきっとつらいものだったんだろう。
美咲さんはきっとそれらを『罪』だと捉えていて、だからこそ私たちに対しても自分を顧みずに守ろうとしてくれているのかもしれない。
それは嬉しいことである以上に、つらかった。いつも苦しみながらもそれをおくびにも出さず、ただ微笑み続けていたこの人が、その裏側でずっと泣いていたと思ったら…胸が引き裂かれそうだった。
何よりも。それを最愛の人…結衣さんに打ち明けられないというのは、とってもつらいことだろうから。だからより多くのことを知った私たちは、もっと美咲さんを支えていかないとダメなんだ。
「…うふふ、美少女3人にここまで言われたら…いつまでも自分の過去のことでぐじぐじ言ってられませんね。美咲お姉さん、完全復活ですよっ。本当なら、ここで過去の私についての懺悔も済ませたいところですが…それには時間がかかるので、早速任務に戻りましょうか」
美咲さんは一度だけ下を向いたら両手で自分の頬をぽむっと張って、次に顔を上げたときは…憂いの消えた、すっきりとした微笑みになっていた。
それを見た私たちは満足すると同時に、今がまだ戦いのさなかであることを思い出す。すると次に浮かんだのは、もう一人の大切な人…主任についてだった。
「あの、美咲さん…主任はどこに? 多分ですが、ドローンのコントロールを取り戻そうとしているはずなんですが…どこにいるかまではわからなくて」
「清水主任ですが、おそらくはご自身の専用端末があるプライベートオフィスに向かっているでしょう…主任研究者ならスパコンへのフルアクセス権限がありますが、それを用いてコントロールの奪還をしていると思います」
「そうなのね…でも主任研究者ならほかにもいるだろうから、清水主任ばかり危険な目に遭う必要なんて…」
「あいにく、あの人は主任クラスの中だと一番CMCに優しいですからね…そのせいで実験を優先する一派から疎まれていて、貧乏くじを引かされたのでしょう。もっとも、それを貧乏くじと思わないのが主任という人でしょうが」
「…っ! 私、主任のところへ行きます! 絵里花、早乙女さんのことをお願い!」
「円佳!?」
そんなにも大事な役目を負うのだから、きっと護衛だっているはずだ。
だけど…美咲さんの言葉により、私は我を忘れて立ち上がる。
あんなにもいい人だからこそ、ろくでもない役割を押しつけられる。そしてこんな状況であっても自分たちの都合を押しつける人間たちが、主任の安全性を考慮するだろうか?
そう思ったらいても立ってもいられず、私は走り出す。後ろから絵里花の声が聞こえてきたけれど、美咲さんはおそらくまた施設奪還のために戦うだろうから、早乙女さんのことを任せるのなら彼女しかいない。
だから私は私たちの『お母さん』になってくれる人を助けるために、ほかのことは一切考えずに駆け抜けた。