「現在は実働部隊が出動中、人間の敵については制圧が進んでいます。そちらに気を取られているのか、オフィスエリアには人が少ないようですね」
「ええ、このエリアにある端末は多重認証を突破しない限りスパコンにアクセスできない…スパイもその辺はわかっているからこそ、無理に狙わないのでしょうね」
清水が暮らしていた研究者用の居住区画は厳重に守られていたこともあり、初期の襲撃には晒されることがなかった。その安全性の高さから真琴や千代のような護衛対象の保護にも使われており、清水も本来であれば有事が終わるまではここで過ごすべきだったのだろう。
『ドローンをすべて破壊するとなった場合、犠牲が増えすぎる可能性がある。再配置のための予算計上もやりすぎると役人どもに弱みを作ることになる、それは避けたい。よって、主任クラスの研究者をオフィスエリアに派遣し、コントロールの奪還を行うべきだ』
それは襲撃が発覚した直後、上位の研究者をはじめとした上層部の集まりでの提案だった。
主任研究者ともなればスパコンへのアクセス権限も多く、そこから操作すればドローンやセキュリティシステムの奪取は難しくない。
一方でアクセスするにはオフィスエリアに設置された専用の端末を使う必要があったことから、戦闘に巻き込まれる危険を承知で誰かが向かう必要があったのだ。
(私がやらないと、CMCに危険が及ぶ…とくにまだ戦闘訓練もろくに受けていない子供たちが狙われたら…そんなこと、させるものですか)
実働部隊の出動が決まったことで脅威の排除自体は問題なくなった一方、このまま状況を放置していれば研究所側に少なくない被害が発生し、政治的な立ち回りが面倒になってしまう。
こんな状況でもそんな思惑が錯綜する状況に清水は心底頭を痛めていたものの、それでも誰を派遣するかという話になったとき、立候補する手に躊躇はなかった。そしてほかの研究者たちは『またあの人が動いてくれるだろう』という意思を一切隠さないように、満場一致で警備員を割り当て、そして彼女は自ら危険へと飛び込んだ。
自分が実験優先派から疎まれていること、仮に失敗してしまってもそれはそれで上層部にとっても都合がいいとわかっていたとしても、清水は立ち止まらない。
(そう、周囲が私を信用していないというのなら…私だって、自分でやるほうが安心できる。私は私が信じる存在のために戦って、そして子供たちと因果の未来を守る)
かすかに震える足を叱咤し、清水は警備員と一緒に移動を続ける。そのうちの一人が無線から届いた現状を教えてくれて、清水はわずかな安堵とともにCMCたちの無事を祈っていた。
そして大きな戦闘にも巻き込まれず、無事にオフィスエリアまで到着する。相変わらず無機質な白い壁とドアが並ぶ区画はすっかり見飽きていて、それでも大きな被害が発生していないことに何度目かわからない安心感を覚え、自分に割り当てられた部屋まで足早に向かう。
「初等部の寮が狙われたものの、近くにあった高等部以上が暮らす寮から三名のエージェントがすぐに出撃、犠牲を出すことなくテロリストとドローンの撃退に成功したようです…すごいな、あとで実働部隊も合流したとはいえ、三人で守り切ったとは」
「三人…そっか、ふふふ」
高等部以上が暮らす寮には十分な戦闘能力を持つCMCも多く、一体誰が初等部を守るために出撃したのかはわからない。
それでも清水は「多分あの子たちだろう」なんて考えてしまい、こんな状況であるのに顔はほころぶ。同時に、胸の内にはこれまでにないほどの勇気が芽生えた。
(あの子たちはこんなにも強くて優しい、そしてその強さの根源にはきっと因果がある…それを守るために私は研究を続けてきた…)
自分のオフィスルームを目前にして届いた報告は、清水の中から完全に怯えを取り去った。
本当なら戦いとは無縁の、満ち足りた学生生活を送っていて当然の子供たち。そんな子たちが自分たちの与えた因果によって戦わされることになり、それでも今ある幸せを守りたいと自ら銃を取る…清水はただ単に責任感を刺激されただけでなく、「私もあのたちのために戦いたい」と心から思えたのだ。
「…! クソ、こっちにも敵が…! 主任、ここは我々に任せてオフィスルームへ! ドローンのコントロールが戻るくらいまでなら十分しのげます!」
「! ごめんなさい、お願い!」
清水がオフィスルームの扉を開こうとした刹那、警備員たちはそれを守るように通路の奥へとシールドを構え、向かってくるドローンの迎撃を開始した。
警備員が所持している武器は実働部隊とは異なり、あくまでも防衛が目的だ。使用している銃器はハンドガンをフルオートで連射できるようにした強化マシンピストルに加え、エージェントが使用するバリケードを持ち運べるようにしたシールドくらいのものだった。
そもそも普段はドローンが侵入者を戦闘不能にすることを想定しており、警備員はその穴埋め…かいくぐってきた人間を徒手空拳で取り押さえるか、今回のようにマシンピストルを使った威嚇と応戦を想定している。
ゆえにドローンと人間が同時に襲いかかってくるという現状はまさに想定外だったのだが、清水に随伴した警備員は実戦経験もあるのか、シールドでゴムボールランチャーの弾を受け止めつつマシンピストルで敵の侵攻を防いでいた。
清水は再び戦えないことの無力感に苛まれそうになりつつも、自分にとっての戦いを思い出してプライベートオフィスに飛び込み、すぐにデスクへと向かい合う。
端末のスイッチを押すとモニターが起動し、生体認証とパスフレーズの入力を終えてログインした。それと同時に廊下側から「オフィスへは近づけるな!」とか「ドローンはともかく人間はたいしたことない! 牽制を続けながら前進!」と勇ましい叫び声が聞こえてきて、どうやら一緒に来てくれた警備員は最小の武装でも押し込まれるどころか、そのまま相手を追い払ってしまいそうな実力だった。
「本当なら『あれ』を使えば早いけど…でもリスクを冒したらリカバリーが大変だものね。低権限モードのままアクセス、手動でコントロールを」
「主任、大丈夫ですか!?」
清水が操作を開始しようとした直後、オフィスのドアが開いて誰かが入ってくる。
彼女がチラリと首だけを動かして後ろを確認したところ、そこに立っていたのは大宮…新人の研究者だった。大急ぎでここへ来たのか顔は赤く染まり、そして肩で息をする様子が普段の必死さを今も物語っているように見える。
それは清水にとって若い頃を思い出せるような仕草そのもので、彼女はリラックスできた…わけではなく。
清水はキーボード上にある生体認証用のキーに指を置きながら、息を飲むように口にした。
「…大宮さん。ドアのロック、どうやって解除したの? 仕事中で私がここにいるとき以外は施錠するようにしていて、今も主任権限がないと開けられなかったはずだけど?」
「…ロックを忘れたんじゃないですか? 普通に開きましたよ?」
「それに…警備の人たちはどうしたの? いくら応戦中とはいえ、その目を盗んで入ってくるなんて…まるで私たちをつけていて、チャンスを窺っていたようにしか見えないのだけど?」
「…うるっさいんだよ!! もうわかってんだろ、私がお前らの言うところの『裏切り者』ってやつなのはよぉ!!」
ああ、やっぱりか…清水は自分のいやな予感が的中したことに、わずかに体をこわばらせる。それでもキーボード上に配置された指は固まっておらず、『いざという場合』への備えは怠っていなかった。
それこそ、表情どころか声まで乱雑に変化させた大宮を見ても過度の恐怖はなかった。その手には拳銃が握られていたものの、清水は手を上げることもなく姿勢を崩さない。
「ったくよぉ!『あの方』のために我慢してこんなところへ潜り込んでいて、へこへこ情けなく頭を下げ続けるなんて…選ばれた戦士である私にとっちゃあな、死ぬほどイラつく屈辱だったんだよ! なにが因果律だ、国全体で人間たちを縛り付けやがって! あの方はな、それに従う豚どもを養豚所から解放しようとしてくださってんだぞ!」
「…なるほどね。あなたの本当の上司は世界自由連合、あるいは関連団体のトップといったところかしら? それにしてもここにまで紛れ込めるなんて、そっちにも『因果律関係のエンジニア』がいても不思議じゃなさそうね」
「うっせえよババア! 今はどっちが上なのかわかってんだろ!」
因果律研究所はその規模もあり、人間の目ですべての職員を管理するのは難しくなっている。全国各地に支部もあることを考えたら、どこかのシステムを改ざん、そしてそこから異動といった形でここまで紛れ込むことも不可能ではないだろう。
一方で国の根幹をなす施設である都合上、講じられているセキュリティ対策は最高峰のものだ。それをかいくぐれるということは、向こうにもエンジニア…それも因果律周りについて詳しい人間がいる証拠だった。
それを冷静に分析する清水に苛立ちを刺激されたのか、大宮は銃を構えたまま一歩近づいてくる。清水はその足音にたらりと汗を流しつつ、自身の命よりも「早く研究所を元通りにしないと」という使命感を優先している自分がわずかに誇らしく感じた。
「私の要求は二つ、まずスパコンのアクセス権限の受け渡し。それと…お前らが『因果リセット技術』について研究を進めているのは知ってる、そいつの情報をよこせ」
「!…残念だけど、端末については完成してないわよ。私たちは因果を作るもの、そんなものを開発するなんて」
「あんま余計なことはしゃべるなよ?…まあいいや、こいつがなんだかわかるか?」
「!? そんな、まさか…」
ごめいとーう、という小馬鹿にしたような響きが部屋に広がる。外では今も銃声が響いており、それは入り口よりもやや遠い場所まで移動しているように聞こえた。あえてここから警備員を引き離すため、じっくりと後退して注意を引きつけているのだろうか?
しかし、そこまで意識を払えなくなるほど、主任は大宮が取り出した機器に目を奪われてしまった。
それは一見すると、低周波治療器のようであった。本体はリモコンを思わせるポータブルデバイス、そこに複数のコードがつながれており、先端にはシリコン製の吸盤型パッドが取り付けられている。
仮にマッサージ器具であればなにも恐れることはなかったのだろうが、清水の手は一瞬だけキーボードから離れそうになるほど狼狽していて、頭の中には揺れる不安定な天秤のイメージが浮かんだ。
「こっちでもリセット装置の研究はしてるけどなぁ、主要な技術はお前らが隠し続けているせいでなかなか完成品にならねえ。で、私らはここに紛れ込んでずっとその技術について調べていて、改良の度に実験させてもらっていたってわけさ…『矯正施設』の連中でなぁ?」
「…あの施設にはあなたたちの仲間も捕らえられているはずよ。それに使うだなんて」
「普段からガキどもの因果をいじってるやつがえらそうに言うんじゃねぇ! それにてめえらだってモルモット感覚でいろんな実験を加え、使えなくなったら『処分』してるだろうが!!」
「…」
清水は主任研究者である以上、矯正施設で行われている非合法な実験についてもある程度は知っていた。
軽度な違反者であれば社会復帰を目指したカリキュラムをこなすことになるものの、重度であると判断すれば偽装死に仕立て上げて未公開の医療実験や新技術のテストに対象者を利用、その際に起こった問題は『そもそも存在しない人間に行ったもの』として処理される。
そしてその実験の中には因果律の操作に関わること…それこそ『対象者の過去の記憶を上書きし、因果律に逆らう行動の原因となった記憶を抹消、因果律に対する忠誠心を新たに植え付ける』といったものすらあったのだ。
(…そうした実験を部分的に流用して、リセット装置の発展に悪用していた…か。皮肉なものね)
清水はそういった表にはできない実験も人類の幸福のためと思っていたが、こうして悪用される可能性も十分に想定できたと今になって後悔し、自分のやってきたことに意味があるのかと再び天秤は揺れた。
しかし、次の言葉で…清水の中の均衡は、揺るぎなきものとなった。
「お前が担当しているガキ…三浦に辺見だったか? あいつらの因果はとくに強いらしいからな、できれば捕らえて実験台にしてみたかったんだが…クソが、なにが実働部隊だ! あんなもんを隠し持ってやがって!」
「!!…あの子たちに手を出さないで!!」
円佳と絵里花、その二人だけを特別扱いすることなんて許されない。
それでも、初めてだった。
『お母さん』
子供を持たない、それが許されるかどうかもわからない自分に対して、本当の娘のように温かな言葉を贈ってくれた少女たち。
清水は決して感情だけで動くような人間ではなかったが、それでもギリギリまで『最終手段』を実行すべきか悩んでいた彼女にとって、その名前は背中を押すのに十分な力があったのだ。
ディスプレイに向き直り、ずっと手を置いていた生体認証キー…『緊急キー』も兼ねたボタンを素早く連打し、ただ状況の打破を願って清水は起動した。
起動してしまった。
『
「!? なっ、なんだ!?」
「…始まったわね。残念だけど、もう誰にも止められないわ…【AI自律モード】、頼んだわよ、ケイ…!」
清水が操作を終えた直後、施設内の非常ベルがけたたましく鳴り、モニターには『ケイオス・プロトコル発動中』と表示される。
そしてスピーカーから女性を思わせる滑らかな機械音声が聞こえたと同時に、端末は再びロックされた。
「てめえ、何をした!? なんだこれは、どうなってやがる!」
「…見ての通りよ。スパコンに搭載されたAIにすべての操作権限を譲渡、外部からのアクセスを遮断した状態でありとあらゆる処理を自分の判断でこなすわ。もうドローンも元通りになるでしょうね」
「正気か!? 人間の手から離れたAIは何をするかわからないくらい学校で習っただろ!?」
「そうね、AIの性能が良くなるにつれて…AIエージェントや超知能が台頭してからその危険性は周知された。だからこそ人間という枠内に収める必要があって、そこから人を超えた知能が出ていくと何をするかわからない…けどね」
ふ、と清水は笑った。それは勝利を確信しているというよりも、なにかを諦めてしまったような…どうにもならないことを受け入れた人間の、充足すら感じられる笑顔だった。
「“ケイ”は人間以上に因果律について理解し、それを守る意思が強い…だからきっと、因果が作る未来のために戦ってくれると信じているわ」
「…クソがぁぁぁ!!」
「うっ!!」
ダァン!と銃声が鳴り響いた。
それと同時に清水は椅子から弾き飛ばされたように倒れ込み、最後の力を振り絞るようにもがいた。それを大宮が蹴り飛ばすともう一度うめいて、今度こそピタリと動かなくなる。
「ああくそ、なんなんだこの研究所は…事前情報じゃわからない戦力、どれくらい隠し持ってやがるんだ! こうなったら…」
大宮は苛立ちを隠せずデスクに向かい、清水の端末にUSBサイズのハッキングツールを差し込んでアクセスを試みる。当然ながらスパコンへのアクセスは完全に遮断されていて、これ自体は織り込み済だった。
「…頼むぞ…手ぶらで戻ったら、あの方に見捨てられる…端末のローカルキャッシュや一時保存ファイルなら…!」
ハッキングツールはスパコンに見捨てられた端末のロックを解除し、大宮は素早くファイル管理機能を立ち上げ、そこに情報が残っていることを願って乱暴にキーを打ち続けた。
因果律研究所の端末はスパコンの力を借りて高度な処理を行う都合上、必要なデータを一時的にローカルへ展開して作業する設計となっている。そしてそれは、スパコンへのネットワークが遮断された状態であっても一定期間は残るはずだった。
大宮はここで働くことでローカル領域までは即時完全消去・監視できないという仕様を見抜いており、そこに一縷の希望を託す。そしてそれは、清水の最後の抵抗に一矢報いたのだ。
「…!! 見つけたぞ…ははは…これであの方に、認めてもらえる!!」
差し込まれたツールのランプが書き込みを知らせるように明滅し、数秒後にそれは通常状態に戻る。
そして大宮はそれをすぐに引き抜き自分の連絡用端末に挿入、『Causal Disruptor設計資料』といった名前のファイルを複数送信し、自身にとって最大の任務を終えたことに高笑いが抑えきれなかった。
それと同時にこのオフィスに向かってくる足音が聞こえ、彼女はそれへ備えるように清水の体へと手を伸ばした。