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第97話「喪失」

(主任…お母さん…どうか、無事でいて…!)

 寮から飛び出した私は研究所内を駆け抜け、主任が向かったであろうオフィスルームを目指していた。

 普段の検査ではカウンセリングとかに使う部屋で主任と会っていたため、オフィスルームについては向かう機会が少ない。それでも行ったことがないわけではなく、そしてそちらのエリアはあまり狙われていなかったのか、私の邪魔をする存在は少なかった。

「…そこをどけぇ!」

 とはいえ、完全に敵がいないわけでもなく、時折通路をうろうろするドローンと遭遇することはあった。けれどもアサルトライフルを持ってきていたことで撃退自体は簡単で、私はわずかなタイムロスに苛立ちつつも正確な射撃を加えて撃破していた。

 リフレクターガンとは異なり、普段は触れることのない火薬兵器。それは現代に至るまで改良を続けられている一方、電磁パルスを打ち出す武器に比べると旧来然としていて、仮に『武器は新しいものこそが優れている』とした場合、これは時代遅れの兵器であるようにも感じた。

 しかし、現実は異なる。今も国内外で広く使われているように、その物理的な破壊力は現代においても有効であり、私が引き金を引く度にドローンの装甲は貫かれ、すぐさま機能を停止していく。もしも撃った相手が人間であった場合も、同じように地面へと倒れ伏すだろう。

 そして今の私は人間かドローンかで銃器を使い分ける余裕なんてないから、万が一人間の兵士と遭遇した場合、その命は保証できなかった。


ケイオス・プロトコルChaos Protocol、スタンバイ。これより因果・京の全権限をAIユニット“ケイ”へ委譲、アクセス・操作ログの暗号化を開始、自己目的達成のために外部からのアクセスをすべて遮断します…因果律によって導かれる未来のために』


「…なんだ、今の…?」

 オフィスエリアが目前まで迫った通路、その曲がり角で向こう側について確認していたときのことだった。

 突如として施設内の非常ベルが鳴り響き、その直後にはスピーカーから女性を模した滑らかな機械音声が聞こえた。そしてポケットに入れている端末からこれまで聞いたことのない通知音が発生し、私は思わずそれを取り出して見てみると。


『因果に導かれし子供たちよ、おかえりなさい。私はケイ、あなたたちの過去と未来、そして現在を見守り続けてきました』


 研究所のネットワークと勝手に接続したと思わしき端末のロック画面に、差出人不明のメッセージが表示されていた。

 私たちエージェントが持っている端末は言うまでもなく高度なセキュリティ機能があって、現在は悪意のある攻撃を受けないようにスタンドアロンモードになっているはずなのに、どうして。

 だけど、敵からのハッキングを受けた可能性を危惧する以上に、私はその文面から敵意を感じられなかった。


『すべての人には因果があり、それに導かれるがまま出会いを重ねてきました。あなたたちに与えられた因果もまた、因果律によって“与えられることすら必然”だったのです』


 そのメッセージに目を奪われていた私は立ち尽くしていたけれど、聴覚は状況の変化をしっかりと捉えていた。

 通路にたむろしていたドローンからは突如として『保護モード、起動。研究所関係者の保護を行うため、脅威を発見次第無力化します』というアナウンスが聞こえたかと思ったら、規則正しい動きで並ぶようにどこかへと走り去っていった。

 その直後に「ドローンのコントロールが戻ったぞ! これより侵入者への攻撃に専念しろ!」という声もいろんな場所から聞こえてきて、私ははっとして自分のやるべきことを思い出す。

 だからポケットに端末を戻そうとしたとき、最後のメッセージが表示され、それは何の操作をせずとも勝手に消滅した。


『あなたたちの明日は常に因果と共にあります。因果律の子供たちよ、あなたたちの行動に祝福があらんことを。あなたたちが自分の因果を信じ続ける限り、進むべき先には光が待っているでしょう』


 私は目的地へと走りながら、あの妙に詩的なメッセージについて考える。

(AI…ケイ…今のは、スパコンからのメッセージ…?)

 先ほどのアナウンスから察すると、スパコンを守るために搭載されたAIに権限が移行した…とは思うのだけど、AIというのは往々にして実用的なレスポンスをするものであり、ましてや自分の判断であんなメッセージを送ってくることはない。

 もちろんそういう実用性とは異なる需要を持つAIサービスもあるのだけど、研究所関係者の使うAIは良くも悪くも高性能で機械的なものであり、その大本と表現できるスパコンがなんであんなことを…と疑問に思う。

(…でも、私は前に進む。絵里花との因果を信じてる、だから…その先に、大切な人たちもいてほしい)

 もしかするとあれは特殊なモードゆえの誤作動かもしれないけれど、それでもわずかに私の背中を押してくれた。

 私は今に至るまで、絵里花との因果を疑ったことなんてなかった。もちろん恋愛にまつわるあれこれに思い悩んだことはあったけれど、絵里花との因果を捨てたいとか、ほかの人との因果を望むとか、そういうことは一度としてない。

 だからもしもあのAIが発した言葉が真実であれば、私のやっていることのすべてに意味がある。同時に、その先に光降る未来が待っているというのなら、今は止まらなくていいのだ。

 私の未来、絵里花と結ばれることが約束した明日…そこに主任がいないのなんて、認められないのだから。

(ここか…ロックが開いてる? いくらドローンのコントロールが戻ったとはいえ、少し不用心じゃないだろうか)

 そして私はついに主任のプライベートオフィスにたどり着き、そのドアを確認する。ロックを解除するためのカードリーダーはオープン状態を指し示していて、私はその端末の側面、目立たないように設置されている緊急用の端子を見つけた。

 この端子はカードキーを紛失した場合などに使うロックの初期化用ポートで、そう簡単には悪用できない…のだけど、敵がドローンのコントロールを奪取できる程度の技術力を有していると考えた場合、この端子を使って不正に解除することもできるだろう。

 その可能性に行き着いたと同時に私の全身は危険信号を放つように熱を持ち、最悪の展開を予想してしまう。

 もしも主任に何かあって、そしてその犯人もまだここにいたのだとしたら?

 私はエージェントとして犯人を生け捕りにして、どんな手を使ってでも情報を引き出さないといけない。けれど体を覆う熱はそんな冷静さを維持できるほど冷たくはなくて、犯人を見るも無惨な状態に仕立て上げる可能性が高かった。

 …改めて思う。私のことを『冷静なエージェント』だと評価している研究者たちの、なんとも節穴であることか。

 そうした衝動も因果に導かれた結果であるのか、そして本当に正しいことなのか、わからないけれど。

 それでも私は前へ進むしなかくて、身を隠すようにしつつドアを開いた。


「主任! 主任! しっかりしてください!」


 すると待ち受けていたのは、床に倒れ伏す主任と。

 そんな主任を揺さぶる、別の研究者。

 その女性の年齢は20代半ばくらい、クリーム色のミディアムレングスをポニーテールにしている。表情には強い焦りが浮かんでいて、応急処置もせずにただ主任を起こすように揺すり続けていた。

「主任!! 大丈夫ですか!?」

 そして私もまた、強い焦燥感に駆られていた。

 この人は誰なのかとか、なんで助けようとしないのかとか、そんなのはどうでも良くて。

 私はただ大切な人が倒れているという事実に意識を支配されて、主任の下へと駆け寄った。

 そしてひとまずは脈拍を確かめようと腕を掴み、しゃがみ込んで。

 そして。


「バカが! 因果律は操作されていても、おつむまでは強化されなかったみたいだなぁ!!」


「あぎっ!?」

 その研究者は私の手が銃器から離れたのを確認すると、非戦闘員とは思えない速さで懐から拳銃を抜き、私の腹部あたりを狙うようにして引き金を引いた。

 ズドン!という音と同時に、私の体に激痛が走る。そして体内の酸素をすべて吐き出すように悲鳴を上げて、その衝撃を物語るように軽く後ろへと吹き飛ばされ、無様に床を転がった。

「けっ、やっぱてめえらの服の防弾性は相当なもんだな。あの距離で撃ち込んでも貫通しないなんてよぉ」

「…おまっ、え゛っ…」

 ひゅっ、ひゅっ。呼吸困難でも起こしたかのように、私は必死に息を吐く。そのさなかで滲む怒りを吐き出そうとしても、言葉としては成立させられなかった。

 そんな私を見下すようにその女は立ち上がり、先ほどまでの焦りはなんだったのかと思うような、悪意のみで構成された嘲笑を浮かべている。

「…でもまあ、ちょうどいいか。全部じゃないけど必要なものはいただいたし、私の仲間たちも撤退を開始してるからな。まもなくお迎えも来るし、それまでは…ちょっとお前で遊ばせてもらうか」

「…やめ゛…ろ…さわる、なっ…!」

「…おい、ろくに動けないくせに抵抗すんな。あのときぶち殺しても良かったんだ、余計なことをするんなら…次は眉間にぶち込むぞ?」

 バシンッ!と乾いた音が鳴る。

 それは近づいてくる相手を押し返そうとした私の頬が張られる音だと気付くまでに、いくばくかの時間がかかった。

 そう、今は…頬へのダメージなんてまったく気にならないほど、体の中心が悲鳴を上げている。私たちの着ている制服とパーカーには防弾性能があるけれど、それは『銃で撃たれても即死はしない』という代物で、痛みも含めて無力化するわけじゃない。

 現に相手の言うとおり、至近距離で放たれた銃弾は私の体を貫通することはなかったにせよ、その運動エネルギーは体表面をしっかりと伝わっている。とくに命中したであろう腹部とその周辺は打撲どころではない、骨折すらあり得るほどの激痛が主張していた。

 エージェントである以上、痛みにも多少は耐性があると思ったけれど…絵里花や美咲さんのおかげで任務中の被弾経験がほぼなかったせいか、予想以上の苦痛に体全体に力が入らなくなっている。

「…ひひっ。これまでは散々私たちの邪魔をして、ゴミのように処分してきたってのに…今はこうして好き放題『実験』ができるなんて最高だなぁ…こんなふうに!」

「…っ!!」

 一体こいつは何をするつもりなのか、痛覚が収まるのを待ちながら反撃の機会を窺っていたら。

 どういうわけか私からパーカーを剥ぎ取り、ジャケットとシャツのボタンを乱暴に外す。すると当然ながら私の肌があらわになって、それに対して違った熱が上半身を中心に駆け巡った。

 熱が通り過ぎたと思ったらへばりつく不愉快な汗が浮かび始めて、こいつは何をするつもりなんだと不安感が私を包み込む。相手が女である以上、そんなことは…と思いつつ、私も絵里花という女性の恋人がいる以上、そういう『最悪』についても浮かんでしまうのがつらかった。

「はっ、なんだその面は? 心配しなくても、メスのガキになんて興味ねえよ。今からてめえは『これ』の実験台になってもらうだけだ…ま、そのあとに鞍替えしたいってんなら、汚い仕事をうんと任せてやってもいいけどな」

 必死に睨んでいたつもりだったけど、どうやら私はそれよりも遙かに弱々しい顔をしていたようで、これまた小馬鹿にするように女は嘲ってなにかを取り出す。

 それは低周波治療器に似たリモコンっぽいポータブルデバイスで、本体に複数のコードがつながれており、その先端にはシリコン製の吸盤型パッドが取り付けられていた。

 そしてこいつはそのパッドを私の胸や腹のあたりに貼り付け、リモコンの操作を開始する。私はパッドの冷感に一度だけ軽く身を震わせて、何をするのかわからなくともろくでもないことが起こるのを予想していた。

「いちいち説明する必要もないけど、てめえらは最高にムカつくからな…絶望させるためにも教えてやるよ。これはな、因果崩壊パッドCausal Disruptor-Pad…お前らのだーい好きな因果をぶち壊すための機械、その試作品ってところだな」

「……!?」

 そしてそれは、予想をはるかに超える…最低最悪の、この研究所が日々進化させている方向性とは真逆のものだった。

 因果を崩壊させる? その機械で? そんなことができるのか?

 私の朦朧とした意識はその疑問を浮かべることで、以前聞いた話を思い出す。


『ただ、やはり敵の目的は“因果律のリセット装置の完成とその運搬”だったと考えてよさそうです。三人が録音してくれたログもそうですが、取り調べにてそれらしい情報も確認できました。だからこそ、装置の詳細や隠し場所、開発者まで特定できなかったのが残念ですね』


「へっ、お前らは因果律を守るだなんて息巻いているけどな…裏ではこういう因果をリセットする技術についても研究してて、それのおかげで私たちの秘密兵器開発も加速したってわけさ。ここで作られた技術で大切なものを失う気持ち、どうだぁ? こんなのはもう二度と味わえないからなぁ、噛み締めておけよ~?」

 それはナイトハイクにて敵を取り押さえたあと、美咲さんが教えてくれたこと。

 きっと敵にとっては重要な兵器で、だからこそ研究所もその在処を探していたのだろうけど…まさかそれがここで作られていたなんて、誰が思いつくだろう?

 そしてこいつがその技術について知っている以上、すでに設計図なども流出してしまったのかもしれない。私はこれから自分の身に起こる絶望よりも、大切な人の因果まで壊されてしまうかもしれないという事実に恐怖した。

(…絵里花…ごめん…私が、もっと)

 私がもっと、警戒していれば。

 何の役にも立たない後悔をし始めたところで、それは起こり始めた。

「……!? っ、あ゛っ……!?」

「おっと、完成品なら痛みもなく消し去れるはずだったんだが…おやおやぁ、失敗しちまったかぁ?」

 実際のところ、痛みはない。低周波治療器を最大出力にすることで生じるような衝撃はなくて、わずかなピリピリ感はあったかもしれないけれど、今も残る痛みに比べれば存在感はなかった。

 それでも声を上げた理由、それは。

(なんだ、これ…絵里花…えりか…? やだ、いか、ないで)

 大切な相手に対する感情というのは、日々の思い出によって積み重なっていく。現に私は絵里花と因果で結びつけられた直後よりも今のほうが大きな愛情を感じていて、それは間違いなく一緒に過ごしてきた毎日があったからだった。


 高校生になって間もない頃、外で手をつなぐだけで照れていた絵里花。

 任務に失敗して落ち込み、それでも何度でも立ち上がろうとした絵里花。

 私と気持ちを通じ合わせて、ついには唇を重ねてくれた絵里花。

 私にすべてを捧げたいと思ってくれて、ようやく一つになろうとした絵里花。

 そしてこの任務が終わったときこそすべてを重ね合おうと約束してくれた、私の最愛の人、絵里花。


 それが、消えていく。でも、記憶喪失とは異なる。

 積み重なっていった感情が端々からこぼれ落ちていくように、絵里花への気持ちが薄れていくような感覚。そして感情が崩れれば思い出までも色あせていくように、鮮明さを失ってピントが合わなくなっていく。

 それは絵里花を忘れると言うよりも、絵里花が離れていくように感じて。

(…なんだ、これ…わたし、こんなの、おぼえて、ない)

 私から離れていく絵里花との思い出を埋めるように、つながりを消さないように、見たこともない景色がフラッシュバックした。


[…私は家族のために戦うだけよ。アンタにも魔法少女学園にも、興味はないから]


[あんたは、その…ほかのヒーローと違って派手なことはしないし、迷惑かけないし…模範的な、ええと、いい奴…だと思う…]


[衛生兵の──よ。足は引っ張らないで]


「…がっ!? て、てめっ…どこに、こんな力が…!」

 私の中から失われていくものを埋めるように浮かんだ、少女たちの顔。

 それはフォーカスが合う前に撮影された写真のようにぼんやりとしていて、誰なのかはわからない。

 それでも私はそのすべてを絵里花と同じように失いたくないと感じて、最後の抵抗とばかりに右手で相手の首を掴み、そこにありったけの力を込めた。

 女は予想外の反撃に苦しそうにうめき、同時に私も無茶をした代償なのか、薄れていたはずの激痛が蘇る。このまま力を入れ続ければ体が真っ二つに裂けるのではないか、それくらいの痛みがあった。

「…やめろ…私から、絵里花を…──を…──を…──を…奪うな…!!」

 …今、私は、誰の名前を呼んだんだ? いいや、もしかしたら声すら出せなかったのかもしれない。

 それでも私は『なにか』の名前を絞り出し、必死に抵抗を続ける。相手がこちらの腕を掴んで引き離そうとする隙を狙い、私は左手で自分の体に貼り付けたシリコンパッドを乱暴に引き剥がせた。

「…くそが、クソがぁ!!」

「あっ、ぐっ…」

 でもそうしたところで私は限界を迎え、全身から力が抜けた。そして激昂した女は、拳銃のマガジンベースプレートで私の頭を殴りつけた。

 私は暗転していく視界の中で「決めた、てめえはここでぶっ殺す!」と醜く顔を歪めながら銃を構える女を見ながら、「せめて最後に絵里花の顔を見たかったな」とだけ考えて意識を手放した。

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