夜が明けて、軽く腹ごしらえをしてから箒の修理に取りかかった。
けれども、なかなか思うようには進まない。あいにくの天気――相変わらずの雨模様――ということもあり、空から落としてしまった穂先を回収することはもとより、代替品を探すのも難しい。そもそもあの風の中もとの材料を見つけるなんて不可能だろうし……と思えば、いつも前向きなリーゼロッテでも溜息が出てしまう。
「ねぇ、シェリー。これってもう、雨季に入っちゃったのかな」
洞窟の入口から見える空は真っ暗だった。雨季に入るとひと月ほどは雨が続き、日によっては豪雨や嵐になることもある。強風が吹き荒れる日も少なくはなく、昨日のようなことになる日も珍しくはない。中でも今日はそれなりの雨量がある。ばちばちと草の上や岩を叩く雨粒の音は途切れることなく、木々を揺らす風の音も時折ごうごうと洞内に響いていた。
「今日は動かない方がいいかなぁ……明日は少しはましになる……?」
隣に置かれたポーチの上に、シリウスはちょこんと座らせられていた。その手には少なくなった穂先が握られている。昨夜言われたとおり、一応箒を繕う手伝いだけはしている格好だった。
「……うーん、やっぱりこれじゃ空は飛べそうにないし……」
避けきれなかった看板のおかげで、ずいぶん穂先は少なくなっていた。それでも集められるだけの穂先を集めて、箒の形に整えてみた。細くなった先を束ねて、もと通りにリボンもかけてみた。だがやはりそれだけでは難なく空が飛べるほどの状態には戻らない。
リーゼロッテの箒の穂は、主にエニシダという植物の茎を束ねたものだ。成長に合わせて作り直している箒はすでに何本目かになっていて、現在の箒はアリスハインが懇意にしている職人に作ってもらったものだった。
エニシダはエニシダでも、リーゼロッテが使っている材料はアリスハインが育てているもので、少しばかり自生しているものとは質が違う。魔法道具や、そういった材料を扱っている店なら代替品にできるものがあるかもしれないが、少なくともこの天候の中、近いとも言えない街をこの箒に乗って目指すことが得策でないことは明らかだった。
「天気予報の魔法でも使えたらなぁ……」
分厚い雲に覆われている空を見上げながら、リーゼロッテは呟いた。そのかたわらには、ずいぶんみすぼらしくなった箒が横たえられていた。それを見るともなしに眺めていたシリウスは、ふいにリーゼロッテの両手にすくい上げられる。
敷布の上に座り、投げ出された膝の上に載せられると、ほどなくして温かな体温が伝わってくる。いまは服もしっかりきているし、ランタンの節約のためか法衣も羽織っている。それでも少しばかり落ち着かない心地になって、シリウスはリーゼロッテの手の中でいっそう身を固くする。
「箒のお手伝い、ありがとうね」
リーゼロッテはシリウスの顔に視線を移し、柔らかく微笑んだ。微笑みながら、指先でくりくりとシリウスの頭を撫でる。シリウスは僅かに身を固くする。すでに何度もそうされてきていたことではあったけれど、それでもやはり居た堪れなくなることもあった。
そんなふうに気安く触るな。嫌なわけではないものの、とっさにそう言いたくなるような、なんとも言い難い心地になるのだ。
「ねぇ、シェリー」
リーゼロッテは構わず続ける。膝の上で、向かい合うように座らされたシリウスにをじっと見つめながら、
「明日、雨が緩んだら……やっぱり街を目指そうと思うんだ。この調子だと、多分晴れることはないから……いまより大丈夫そうなら思い切って先に進む」
自分に言い聞かせるようにも頷いて、
「で、まずは箒を直してもらって……雨季の間、動けないかも知れない分のお買い物もして……。お金はほら、ミカエルに返せなかった分がまだあるから」
返すのはまた改めてということにして、と重ねてから、リーゼロッテはふと自分の腹部に視線を落とす。
「……あのときのランチおいしかったなぁ」
と、ふと思い出したそのときの光景に、つられたように腹の虫が訴えた。ぐううと間の抜けた音が洞内に響く。存外大きな音だった。
「……」
シリウスは閉口する。
「あ……あはは」
リーゼロッテもかあっと顔を赤くする。それでも一度意識してしまったら止まらなくなったようで、
「食べ物、まだあるけど……」
次にはぶつぶつとこぼしながら、そばに置いていたリュックに手を伸ばす。
「でも、いま食べたら食べた分減っちゃうし……」
そしてさも神妙そうにひとりごちるリーゼロッテに、「それは当たり前だろう」とシリウスは心の中でつっこんだ。
雨季のこと。箒のこと。食料のこと。そしてなによりシリウスにかけられた魔法のこと。座りの悪いこの状況。考えることは確かに山積みだったが、そんな中でものんきに繰り返される腹の音を聞いていたら、シリウスの方もなんだかばからしくなってくる。
「やっぱりちょっと食べよう……このままじゃお腹空いて倒れちゃう」
いや、まだそこまでではないだろう。思いながらも、シリウスもそれに反対はしない。食べられるときに食べるのは悪くない判断だ。
「シェリーも賛成してくれるよね」
リーゼロッテは眉を下げつつシリウスの顔に手のひらをあてる。シリウスは無意識にその温もりに顔を懐かせる。それはきわめて小さな動きだっただけにリーゼロッテは気づかなかったし、そんな自分の行動にシリウスも自分で気づいていなかった。
リーゼロッテはポーチの上にシリウスを戻すと、「よいしょ」と漏らしながら立ち上がった。
「ちょっと待っててね。先にお茶入れるから」