降りしきる雨の中、ずいぶんみすぼらしくなった箒を引き摺りながら森を歩く。しばらくして道に出ると、一台の馬車が通りかかった。さまざまな品物を扱う卸売業者の荷車だった。
魔法をかける余裕もなく、かけ直す気力もなく、洞窟から辛うじて持ち出せたのは白いリュックとポーチだけだった。袋の外に出していたものはそのまま置いてきてしまい、けれどもすぐにそれを回収することもできない。あの場所には箒がなければ辿り着けない。正確には辿り着けないわけではないけれど、ただ歩いて目指すには少々やっかいな高台に位置していた。
なのにいまは空すら飛べない。雨と涙で濡れた顔で、見るからに沈んでいたリーゼロッテに、その御者は見かねて声をかけた。襟足を刈り上げた明るい茶髪がよく似合う、ガタイのいい精悍な顔つきの青年だった。
リーゼロッテは荷台を覆っていた布の中に入れてもらった。街には今日中には着けるとのことだった。防水の掛布のかけられていた荷台は温かく、ほのかにいい香りが漂っていた。
「全部わたしのせいだ……元はといえば、わたしが雨の中急いだりしたから」
がたごとと響く振動の中、リーゼロッテは膝をかかえてうずくまる。急いでつっこんだせいか、リュックの口からポーチの組み紐が覗いていた。
「っていうか、なんで気付かなかったんだろう……」
絶対にカラスたちだって音を立てていたはずなのに。シェリーにもきっと怖い思いをさせてしまった。しまったというより、それはいまも継続中だ。
「もう……ほんとわたしって……」
考えれば考えるほど、込み上げる涙に視界が滲む。泣いている場合じゃないことはわかっている。わかっているけれど、どうしても止められなかった。
悔しい。せっかく魔法使いに生まれたのに、あんなことにも対処できないなんて。わたしがもっと上手に、もっと器用に魔法を使えたら、あれくらいのトラブル、簡単に対処できていたはずなのに。
例えばアリスハイン先生なら、指先ひとつ動かすだけでちょちょいだっただろうし、ミカエルなんて箒がなくても翼で空を飛べるから、まずわたしのような
でも、だけど。どれだけ悔やんでもリーゼロッテはリーゼロッテだ。
やはり髪の毛を安易に短くしてしまったのがいけなかったのだろうか。いや、そんなのは言いわけだ。考えても仕方のないことばかりが頭を巡って、いっそう涙があふれてしまう。
「……大丈夫。ちゃんと無事でいてってお願いしたし、きっと大丈夫」
リーゼロッテはひとしきり泣いたあと、努めて切り換えるようそう声に出した。目元を拭い、いまの自分にできることはなにか考える。
リーゼロッテはかたわらに置いていた箒に目を遣ると、ますますぼろぼろになっていた箒の手入れを始めた。幸いにもリボンはしっかりと結び付けられたままで無事だった。シリウスが必死に繋ぎ止めてくれた大事なリボンだ。あのときは
「この匂い……なんか懐かしい」
そこでようやく、リーゼロッテは荷台を漂う香りに気が付いた。たしかに嗅いだことのある匂いだった。けれども、それがなにに起因するものであるかまで考える余裕はまだ戻っていなかった。
街に着き、ついでだから馬車代はいらないと言われた言葉には素直に甘えることにした。それでも連絡先を聞いておいたのは、のちのち自分にできることがあればと思ってのことだった。
「いらっしゃぁい」
店のドアを開けると、すぐさま長身の女性が声をかけてきた。頭頂に近い高さでポニーテールにされた長めの黒髪はまとめられてなお腰下まであり、ぴっちりとしたシャツは腰の細さを強調するように結び目が作られていた。臍が見え隠れする腰ばきのパンツは足首が絞られていて、そのくせ下肢を包む布地はたっぷりとして余裕がある。さながら踊り子の衣装のようなそのよそおいは華やかで、そこに立っているだけで妙に目を引く存在感があった。
「見ない顔だね――……って、いや、ちょっと待ってて」
勝気な印象を与える瞳を細め、女性はそこで踵を返す。まもなく戻ってきたその手には柔らかなタオルが一枚。「とりあえずこれで拭きな」と押し付けるように差し出され、リーゼロッテはとっさにそれを受けとった。
「雨の中、なにも持たず、なにもせず歩いてきたの?」
女性は目をみはり、僅かに首を傾げる。たおやかな指先がリーゼロッテの額に貼り付く髪をさりげなく払ってくれた。ひとつひとつの仕草が凜として美しく、佇まいはどこかメイサの印象にも似ていた。
「あ……す、すみません」
「いいからいいから」
リーゼロッテはろくに受け答えもできないまま、ひとまず頬を伝う雫を拭う。そうしながらも、気持ちは焦るばかりで、
「あ、あの……っ」
「なにか急ぎの用かな? 店は小さいけど、一通りのものは揃ってると思うよ」
「こ、これ……!」
改めて声をかけられ、リーゼロッテははっとしたように持っていた箒を差し出した。
「これ、直りますか……?!」
「……箒?」
「は、はい。魔法使いの箒なんですけど……!」
急くように告げると、女性は目の前の箒に視線を落とし、
「あ――これはなかなか……」
軽く口許に指を当てながら、独り言のように呟いた。