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55.ぬいぐるみは夜動く?

 ルイーズの家に戻ったシリウスは思い返していた。


「ヴィヴィアン、ごめんなさい、バゲットが見当たらないんだけど――」


 聞き間違えるはずがない。あれはリーゼロッテの声だった。


 ここはおそらく次に目指していた街だ。シリウスを探しているだろうリーゼロッテが滞在していたとして不思議はなかった。


 シリウスがカラスにさらわれてから、すでに数日が経過している。その間ずっとリーゼロッテはあの店にいたということだろうか。ああ、ルイーズいわく〝面白いものを置いている店〟と言うくらいだから、もしかしたら箒の修理の相談ができたのかもしれない。


(だとしたら……箒はもう直ったのか?)


 走り出したルイーズの動きに、かばんにつけられたシリウスは跳ねるように揺れていた。そのとき、ちらりと店の方を見ることができた。ルイーズを見送ったのち、いままさに閉められようとしていた窓の奥に、先に姿を見せた女性――ヴィヴィアンとはまた別の影があった。一瞬しか見えなかったけれど、いまにして思えばあれは小柄なボブ頭だったのではないだろうか。


 やはり、あれはリーゼロッテだったに違いない。


(……レインコートだったからか)


 こちらから窺えたくらいだから、リーゼロッテ向こうからもこっちが見えていた可能性はある。それでもリーゼロッテはなんの反応もしていなかった。それはひとえに、ルイーズの持つぬいぐるみがシリウスだと気づかなかったからだ。


 それは多分、うまく顔が見えなかったと言うだけでなく、シリウスが普段と違う格好をしていたから。例えばいつも着せられている猫耳の法衣を着たままだったなら、リーゼロッテだってさすがに気づいたはずだ。


(クソ……)


 シリウスは歯噛みする。羽織らされるたび理解不能だと反感しか抱かなかったそれを、一刻も早く身に着ける必要があった。少なくとも次にリーゼロッテと再会したときには着ていなければと思った。おそらくは世界にひとつしかない魔法の法衣だ。それに気づけないほどリーゼロッテもまぬけではないだろう。


(にしても……すぐそこにいたのに――)


 手を伸ばせば、すぐにでも届きそうな場所に。


 なかなか上手くいかないものだなと嘆息する。もろもろあと回しにして動いて見せたなら良かったのかもしれないが、そうかといって現状のルイーズを見ているとそれが得策だとも思えなかった。


「クリス、そろそろ寝るぞ」


 早寝早起きが得意なルイーズは、いつも二十時には布団に入る。ルイーズの頭の横に、シリウスも横たえられる。けれどもその腰にはあいかわらず水色のリボンが固く結ばれており、もう一方の端はベッドヘッドの格子へと繋がれていた。


 部屋の明かりが落とされる。ベッドサイドランプだけの淡い光が、二人を照らし、ほどなくしてルイーズの寝息が聞こえてくる。


 そうしてルイーズが完全に寝入ったころ、シリウスはそろりと起き上がった。手近なはさみの位置は把握していた。窓際に置かれた、勉強デスクの上にある。さまざまな用途のペンとともに、文具用のはさみも一緒に立てられている。

 けれども、シリウスに結びつけられているリボンの長さではそこまでは届かない。よって、格子の結び目の方をほどくことにした。こちらは毎朝毎晩結んだりほどいたりしているだけあって、そこまでのだんご結びにはなっていない。ちなみにシリウス側の結び目は背中に位置しており、そもそも手が届かなかった。


(悪いが、せめて服だけでも……)


 仮にリボンをなんとかできたところで、そう簡単に部屋から出られるとは思っていない。だが、初日に脱がされて以降一度も着せられていないあの法衣を返してもらう必要はあったため、シリウスは一種の賭けに出ることにした。


 思った以上に時間はかかったものの、なんとか格子に括られていたリボンを解くことはできた。そこから次はデスク――ではなく、その隣に置かれているチェストを目指す。ぽてんとベッドから落ち――降りると、遅れてひらひらとリボンが舞い降りてきた。それをたぐり寄せ、引き摺るようにしながらラグの上をとてとてと走った。何度も転びそうになりながら。


(……これだ)


 専用のクローゼットはチェストの上に置いてあった。両開きの戸を開けると、そこにはぬいぐるみの服がたくさんしまわれていた。全てシリウスと似た背格好の、男の子のものだった。ルイーズにはもともと大事にしていたぬいぐるみがあったのだ。それはこれまでの様子からしても、ぬいぐるみシリウスの扱いからしても想像に難くなかった。


(どこかでなくしたのか……)


 経緯まではわからないけれど、ヴィヴィアンとの会話を思い返すだけでもそんなところだろうとの察しはついた。シリウスは束の間沈黙し(もともとしゃべれはしないが)、それでも当初の目的通りにその片隅から濃紺の法衣を取り出した。

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