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60.その猫耳、きみの名は

 こんな日に限って、店も開けられないほどの大荒れの天気だ。


 リーゼロッテは気が急くあまり、なにをしようにも集中できない。料理をしようとすれば焦がしてしまうし、片付けようとすれば食器を割ってしまう。視線は窓の外へと忙しなく向けられて、少しでも天候が良くならないかとそればかりを考えていた。


 昨夜はヴィヴィアンがすぐに出かけてしまったから、ゆっくり話ができたのは今朝のことだった。リーゼロッテの用意した朝食を摂りながら、ふと思い出したようにヴィヴィアンが口にしたのだ。


「ぬいぐるみ、好きな子って結構いるんだね」

「どうしたんですか、急に?」

「いや、昨日来てたルイって子……ああ、この前も来てたお客さんちの子なんだけど。あの子も好きみたいでさ、ぬいぐるみ」

「そうなんですか」

「うん。それでね、その子が持ってたぬいぐるみが……リズとよく似た服を着てたんだよ」

「え、そうなんだ。なんか嬉しい」


 最初はなにも思わなかった。


 ぬいぐるみが好きな子供は珍しくないし、単にリーゼロッテの服に似たものと言われると、普通にワンピースタイプの服だったり、うさぎの耳のついたパーカーだったり、いろいろと思い浮かぶものは多かったからだ。


「確かに子供には多いかもしれないですね。わたしはおおきくなってもずっと好きですけど……。あ、でも、ぬいぐるみがフードつきの服とか着ると本当にかわいいんですよ。それだけでかわいさ倍増っていうか。いや、ほんとはなに着てもかわいいんですけど! 着せ替えできる子はそういう楽しみ方もいろいろできて飽きないし……!」


 けれども、


「そうそう、そんな感じで、襟とか、裾とか、フードにも刺繍がされてて」


 頷くヴィヴィアンに着ている法衣を目線で示唆され、


「猫みたいな耳までついてて……ほら、リズのはうさぎ? みたいなデザインだけどさ。そういうの、なんていうんだっけ。魔法使いの子がよく着てる――」


 法衣、だっけ? と続けようとしたヴィヴィアンに、リーゼロッテは思わず目をみはった。


「え……え、ちょっと待ってください……っ」


 言うと同時に、腰を上げる。傾いた椅子は倒れるほどではなかったが、リーゼロッテが身を乗り出したことによりさらにがたんと音を立てた。


「ヴィヴィアン、それ、その子って男の子でした?」

「ん? ルイのこと? 男の子だよ。男の子だとやっぱ珍しいのかな、そこまでするのは――」

「あ、いえ、そこは別に珍しくはないです! かわいいは共通なので……! ……じゃなくて、その、そのぬいぐるみの方……!」

「あ、クリスの方か。男の子だったよ、黒髪の……」


 疑問符を浮かべつつも淡々と答えるビビアンに対して、リーゼロッテは見るからに動揺した様子で唇をはくはくと開閉させる。


「男の子……、……だ、だとしたら……それ……」

「……リズ?」

「それ、その服って、もしかしたら……」

「もしかしたら?」

「もしかしたら、シェリーの服かも……!」


 もしかしたら……もしかしたら。リーゼロッテは必死に考える。


 あの日、カラスにつつかれた結果――シリウスシェリーは服だけ脱がされてしまったのかも……! そしてそれがどこかに落ちていて、たまたまルイーズが拾ったとしたら……!!


 きっとそうだ。そうに違いない。ここにきてようやく手がかりが……!


「あ、あの、わたしが探してるぬいぐるみは紺色の髪をしてるんですけど、その子もこの法衣に似た服を着てるんです。端っこに銀色の刺繍が入った、わたしとおそろいの、猫耳フードの魔法の法衣を……っ」


 訥々とながらもそこまで言うと、ヴィヴィアンもさすがに察したらしい。長い睫毛を瞬かせ、驚いたようにリーゼロッテの顔を見返していた。さらにヴィヴィアンはなにかを思い出したように「あ」と声を漏らす。


「待って。もしかしたら、あのぬいぐるみ自体がその〝シェリー〟かも」

「え……?」


「あの子……あの子も昔、大事にしてたぬいぐるみをなくしててさ。それをしばらく引きずってたらしいんだ。新しいのを買ってもらってからは落ち着いたみたいだったけど……でも、それが少し前にまた違うぬいぐるみを持ってて。そのぬぐるみ――ルイは〝クリス〟って呼んでたけど、なんていうか、その子は〝特別〟だって言ってたんだよね」


「特別……」

「なんか裏がありそうな感じするだろ」

「で、でも……」


 そう言われるとそうかもしれない。でも、まったくの見当違いかもしれない。


 思えば思うほど呼気が震える。鼓動がどんどん速くなる。リーゼロッテは唇を引き結ぶ。


「もしかしたら、どこかでぬいぐるみそのものを拾ったのかもしれない。頭の色はほら、毎回フードかぶってたし、暗い色だったから黒に見えた気がしたけど、もしかしたら紺色だったのかもしれないし」

「……、そ……」


 ヴィヴィアンの言葉に、呼吸の仕方すら忘れたみたいに息が詰まる。じわじわと視界が滲んでいく。


「もし、そうだとしたら……」


 リーゼロッテはテーブルについていた指先をぎゅっと握った。まだそうだとはっきりしたわけでもないのに、意識はすでに店の入口に置いてある箒へと向いていた。


「すぐにでも、迎えに……」

「いや、ごめん。それはだめだ、リズ」


 なのに、それをヴィヴィアンが止める。


「え……?」


 リーゼロッテはヴィヴィアンの顔を見る。わずかに首を傾け、緩慢に瞬いた。


「けしかけるようなことを言っておいてなんだけど、よく考えてみて。仮にそうだとして、いまはあの子が大事にしてるんだ。しかもすでにあの子のなかで〝特別〟と言えるような存在になってる。服のことも、すごく色々考えてるみたいだった。それくらい大切にしてるっていうのはわたしでもわかる。それを……理由はどうあれ、その手の中から取り上げることになるんだから……」

「あ……」


 言われて気づく。それは当たり前のことだった。


 考えてみれば、リーゼロッテだって同じ立場なのだ。アリスハインに持ち主の気配はなさそうだと言ってもらって安心してはいたけれど、それだって絶対とは限らない。


 ぬいぐるみシェリーを拾った日のことを思い出す。どろどろだった本体も服もきれいに洗って、修復できるところはなんとかつくろって。別の服をいろいろ着せ替えるのも楽しくて、嬉しくて、そうして肌身離さず一緒に過ごした日々はまだまだ数えるほどだけれど、それでもリーゼロッテの中ではすでにかけがえのないものになっている。


「どのみちルイにはまた寂しい思いをさせてしまうことになるんだ。話をするにしても、よく考えないと。それができる子だろ、リズは」


 わかりやすく肩を落としたリーゼロッテに、ヴィヴィアンは優しく言った。


 リーゼロッテは頷き、再び椅子に腰を下ろす。


「……わかりました。考えてみます。ちゃんとわかってもらえるように」


 上向けた瞳は涙で潤んでいたけれど、それがこぼれることはなかった。

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