目の前のローテーブルには、温かな紅茶の湯気がたつカップが置かれていた。すぐには手にすることができなかったそれを、リーゼロッテはそっと持ち上げる。部屋を満たす上品な香りはリーゼロッテの複雑な胸中も慰めてくれた。
「……クリスの名前、ほんとはなんていうんだ?」
ルイーズの小さな手がその頭を撫でる。先刻
リーゼロッテはこくんと紅茶をひとくち嚥下し、小さく
「その子はシェリーっていうの。でも、クリスも素敵な名前だね」
実際はどっちも違うがな。シリウスはされるままになりながらも心の中で独りごちる。
というか、そもそもシェリーという名はかなり適当につけられたのではなかったか? リーゼロッテが勝手にシリウスと言いかけて、それをそのまま無理矢理もじっただけだったような記憶がある。そう考えると、クリスの方がよほどしっかり考えて名付けてくれたようにも思える。
「シェリー……。……悪くないけど、なんかやっぱかわいすぎる気がする」
ルイーズは反芻するように呟いてから、「まぁ猫耳には似合ってるけど」と一旦脱がされ、いまはテーブルへと置かれている小さな法衣に目を遣った。
そうだな。クリスの方が俺もいい。言ってやりたくなったものの、シリウスもリーゼロッテに「シェリー」と呼ばれるのにいささか慣れてしまっていた。
「かわいいとだめかな?」
「……別にだめじゃない。俺がかっこいいのが好きなだけ」
「かっこいいのも素敵だよね」
リーゼロッテは再度紅茶を口に運んでから「すごくわかる!」と頷いた。
「でも、この
かっこいいかはともかく、と続けながら、ルイーズは法衣を指差した。
「あ、そうなんだよ、すごいよね!」
「これ、誰が作ったんだ?」
「これはね、わたしのおさなな……お友達が作ってくれたんだけど、その子はこういうのがとっても得意で……いまもまた次のお洋服お願いしてるところなんだ」
「ふーん……」
ルイーズは小さく瞬き、そこで束の間黙り込む。
「えと……ルイは、どうしてたの……? その、シェ……クリスに着せてた服とか」
「……」
ルイーズは答えることなくただ手元に視線を戻し、シリウスを見つめる。
「ルイ……?」
リーゼロッテはカップをソーサーに置いて、テーブルに戻した。
なにか気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。リーゼロッテも小柄だが、さすがにルイの方が小さいため、俯かれると表情がほとんど見えない。心配になったリーゼロッテは、わずかに上体を傾け、その顔を覗き込もうとした。
「ルイ、リズ。朝食の用意ができたから、ダイニングにいらっしゃい」
そこにリオナの優しい声が響く。ルイーズが泣き止んだあと、席を外していたリオナは中断していた朝食作りを再開するためキッチンにこもっていた。
「せっかくだから、リズも一緒に食べましょう」
顔を覗かせたリオナは、躊躇うリズににこりと微笑み、扉を大きく開けてダイニングへと促した。
ルイーズの家族と一緒に食べさせてもらった朝食は、さながらカフェやレストランを思わせるような豪華なものだった。父親は仕事があるからと早々に姿を消してしまったが、去り際に「ごゆっくり」と向けられた笑顔はとても明るく朗らかで、見るからにいい人そうだった。
ヴィヴィアンには電話を借りて連絡を入れた。簡単にではあったものの、大丈夫だったと説明すれば、「ゆっくりしておいで」と優しい声が返ってきた。ずっと気にしてくれていたのだろう、ヴィヴィアンの声にも安堵の色が滲んでいた。
「ルイ、渡したいものがあるの」
食後の紅茶を飲んでいると、一度ダイニングから姿を消していたリオナが、真っ白い布のかかったかごを手に戻ってきた。
「お母さん、お裁縫はあんまり得意じゃないし……でも、どうしてもこれだけは作ってみたくて」
同じく真っ白いクロスのかかったテーブルに置かれたそれは、リーゼロッテが自宅のダイニングに置いているかごと同じくらいの大きさだった。ルイーズとリーゼロッテは、ともにその手元に目を向ける。ちなみにシリウスも同じテーブルの上に寝かせられており、その身はあいかわらず柔らかなタオルに包まれていた。
「これなんだけど――」
「……!」
視線の先で、リオナが布をめくる。そこには男の子のぬいぐるみがちょこんと入れられていた。
ルイーズは瞠目し、弾かれたように身を乗り出した。
「イ……イリア?」
「イリア?」
リオナが黙って見守る中、リーゼロッテが問い返す。同時にシリウスも心の中で呟いていた。
(――イリアって誰だ?)