あいかわらずの雨の中、ルイーズの家をあとにしたリーゼロッテはまっすぐヴィヴィアンの店へと向かう。肩へと傾けた傘の下で、シリウスを胸に抱く手には無意識に力が入っていた。
だってようやく再会できたのだ。どうなることかと思っていた交渉はそれほど難航することもなく、けれども
だからこそ、もう二度と離さないと抱き締めたくもなってしまう。そして実際、二人きり(?)になった瞬間にはぎゅっとしてしまっていた。そのささやかな胸に抱かれた
「本当にごめんね。わたしがもっとしっかりしていれば……」
もういい、もう聞き飽きたとシリウスはひそやかに溜息をつく。その一方で、そろそろ場所を変えてほしいとも思っていた。リーゼロッテの胸は豊満というにはほど遠いけれど、それでも女性のそこにいつまでも顔を埋めておくのはどうかと思ってしまう。それもリーゼロッテはもうぬいぐるみが動けることを知っているのだ。警戒心がないにもほどがある。
まがりなりにも
「あ、そうだ」
そこでふとリーゼロッテがひとりごちる。思い出したように腕の力を緩めて、その顔を覗き込んだ。わずかとは言え胸元から離され、シリウスは内心ほっとした。
「動けるってこと……黙っていてよかったよね?」
リーゼロッテは続けて口にする。
ルイーズは
なかなか鋭い……。リーゼロッテは思ったけれど、少なくともリーゼロッテの指示がなければ動かないと信じ切っていることもあって肯定はできなかった。それならと真実を告げようにも、知ってしまうとますます離れがたくなるだろうかと心配になった。だからリーゼロッテは結局なにも言わなかった。リオナがどう思っていたかはわからないが、やはり下手に期待は持たさない方がいいと判断したのかもしれない。リオナ自身もそれについてはほとんど触れることなく、それでいて肯定も否定もしなかった。
「ルイのお母さん、優しい人だったねぇ」
そのときのことを思い出し、リーゼロッテは柔らかく微笑った。極力ルイーズを傷付けないように対応していたように見えた。そしてそれはリーゼロッテに対しても同じで、リーゼロッテはいまは遠い街に住む自身の母親のことが少しだけ懐かしくなった。
リーゼロッテの母親は、現在は船乗りである父親とともに世界旅行に出ている。旅に出たのは三年前で、それ以降は顔を合わせていない。もともと自由な人だったから、リーゼロッテも特に気にしていなかった。なんならリーゼロッテの性格はそんな母親譲りだとよく言われるくらいだ。そんな母親がリーゼロッテは大好きだし、どこかでずっと憧れている。それでも誕生日には欠かさず絵はがきが届くから、変わらない愛情は感じていたし、両親ともに元気にしているならそれでいいと思っていた。
実家は現在空き家になっている。リーゼロッテの住む家からは少し離れており、管理は母親のかけた魔法が効いているため普段は様子を見に行くこともない。それでもすべてが済んで街に戻ったら、久々に覗きに行こうかなと思うくらいには擽ったいような気分になっていた。
「あ、ついたよ。そこがわたしがいまお世話になっているヴィヴィアンのお店」
リーゼロッテは少しずつ雨脚の強まる空をちらりと見遣り、視線を前方へと向けた。今日は店は開けているらしい。もっとも、雨季の間はほとんどお客さんも来ないのだけれど。
「そうだ……ねぇ、シェリー。一つお願いがあるんだけど」
言うなり、リーゼロッテは歩調を緩める。まもなく足を止め、片手でそっと掴んでいた
「ちょっとこう……ほっぺすりすりしてくれないかな?」
(なんだと?)
黙ってリーゼロッテのひとりごとを聞いていたシリウスは、思わず耳を疑った。
「動け……るよね? ミカエルの魔法、まだちゃんと効いてるよね?」
(……)
そう言われると動かざるをえない。
ミカエルはなんだって〝リーゼロッテの指示〟という縛りをつけたのか。好き勝手に動くなという制約のつもりだろうか。べつに自由に動けたところで、もともとそれをリーゼロッテに知らせる予定はなかったのに。
〝リーゼロッテになにかしたら、ただじゃおかない〟
そんなことを言われても、そもそもぬいぐるみである身でなにができるというのか。
「はわ、本当にやってくれるの?!」
心の中でぶつぶつとぼやきながらも、シリウスは言われるまま自ら顔を寄せる。
いや、お前がやれって言ったんだろう。すかさず心の中でつっこむかたわら、両手を緩く持ち上げ、間近のリーゼロッテの顔に触れる。
「あ、あ、ありがとう~~~~!」
なかば自棄になったように――それでもそつなく頬を擦り寄せると、リーゼロッテは感激のあまり声を震わせた。慣れないからと言ってぎこちなくなったりはしない。やるなら完璧にやってやる。
「かわいい、どうしよう、やっぱりかわいい!」
危うく片手の傘を落としそうになりながら、それでもリーゼロッテは自分からもすりすり――を通り越してぐりぐりと頬をくっつけてくる。
(……)
いや、わかっているのか。俺はもうすっかり乾いているし、防水魔法のおかげで外に出てからも濡れていない。でもお前はそうじゃないからな。服には魔法がかかっていても、あいかわらず本体には上手くかからないらしく、顔も髪も湿っているし、いくつか水滴もついている。
冷たいんだよ、このぽんこつが……。
「もう、絶対離さないからね。わたしがちゃんと守るから……!」
そんなシリウスをよそに、リーゼロッテは涙まで浮かべて喜んでいた。
(ああ、クソ……)
シリウスは仕方なくその茶番を続けてやった。リーゼロッテの気が済むまで、ミカエルの魔法を言いわけに。