昨日のうちにメイサに手紙を飛ばしたはいいけれど、返信のことまで考えていなかった。ミカエルの羽根は一方通行だし、仮に返してくれたとしても、それをいつまでも待つことはできない。
そのことに気が付いたのは、翌日、ヴィヴィアンの店の電話が鳴ってからのことだった。朝になっても天候はあいかわらずだったため、その日も出発は見合わせていた。そこにメイサから電話がかかってきた。
「注文書見せてもらったんだけど……」
アリスハイン同様、自宅に電話は引いていないはずのメイサだったが、試しに納品先からかけてみてくれたらしい。念のためにと、ヴィヴィアンの店の詳細を添えておいて正解だった。
「スーツはまだしも、魔法の法衣はちょっと時間がかかるわね」
ヴィヴィアンに取り付いてもらった電話口で、メイサは考え込むようにして言った。
アンティークな受話器を耳に当てたまま、リーゼロッテは「そっか」と頷いた。さすがにすぐに用意できるとは思っていなかったけれど、この口振りでは思いのほか時間がかかりそうだ。
「材料が足りないのよ。魔法の法衣は布も糸も特殊だし……。前に作ったときは、リズの子供のころのを使わせてもらったからわりとすぐにできたんだけど」
「あ、そっか……布はまだしも、糸と、あと刺繍も手がかかるかな……?」
「そうね。実はあの刺繍も、やったのはわたしじゃなくてミカエルだったから」
「え、ええ? そうだったの?」
「うん。わたし、刺繍はちょっと苦手で……」
メイサはそう言うけれど、リーゼロッテからするとまったくそんなふうには思えないくらいの腕があった。だが本人にとってはそうでもないらしい。さすが向上心のある人は違う。いや、リーゼロッテにも向上心だけならあるのだけれど。
「じゃあ、えっと……とりあえずわたしが頼んでるものはあと回しにして、そっちを先に作ってもらうことはできる?」
「それはできるわよ。刺繍も今回はわたしがやってみようと思ってるし」
「わぁ、ありがとう! そしたら、それでお願い……! できれば少しでも早く渡してあげたいから……!」
「材料が足りない場合も、そっちを優先しちゃっていいのね?」
「もちろんだよ! もし足りないものがあったらわたしにも教えて。こっちで手配できそうなものは探してみるし!」
リーゼロッテは念を押すように語気を強め、受話器をぎゅっと握り締める。
「わかったわ。でもまだしばらくは雨も続くだろうし、リズも無理はしないのよ」
「うん! ありがとう、メイサ! 本当にありがとう!」
電話越しながらも頭を下げるリーゼロッテの声は、寝室として借りているヴィヴィアンの自室まで響いていた。シリウスはテーブルにちょこんと座らされたままだった。かたわらには、レインコートとレインブーツが並べられている。現在の服装はいつも通りの上下に魔法の法衣。猫耳フードは頭にかぶされることなく、背中へと落とされていた。
ルイーズに譲ってもらった雨具はもし外出するならと用意されたものだったが、残念ながらつい数分前から家が揺れそうなほどに大きな雷鳴がとどろいている。よってそれもなさそうだ。出立はできなくとも、せめてルイーズの屋敷に顔を出せたらと思っていたようだったが、さすがにこの雷雨の中訪問するのは非常識だ。
昨日の今日で、あんな別れ方をしたルイーズにすぐに会うのもどうかとは思うけれど、それでもリーゼロッテならその方が嬉しいと思ったのかもしれない。ルイーズとは貴重な趣味仲間であるからか、屋敷を出るころにはずいぶん仲良くなっていた。シリウスの知らないところでそういった会話がなされていた可能性もある。
(……ルイ)
ふと別れ際の表情を思い出し、シリウスは沈黙する。努めて笑顔を向けてはくれたものの、やはりどこか寂しそうには見えた。どうしようもなかったとは言え、可哀想なことをしたなとは思う。そのルイーズの腕には〝イデア〟なる新しいぬいぐるみが強く抱かれていたから、いずれ慣れてくれるとは思うのだけれど。
(……にしても……)
いったい、いつになったら出発できるのだろう。
ヴィヴィアン宅に世話になる日数もさることながら、今夜もサギリはここに泊まると言っていた。サギリとヴィヴィアンとの間には、そろそろ邪魔になっているのではないかと思えるような空気が流れている。日の浅いシリウスでも感じるのだ。それも少しばかり気になっていた。
リーゼロッテだってなにかしら気付いているはずなのだ。だがリーゼロッテもシリウスと同じで、これまで恋人と言える存在ができたことはないため、いささか気の回し方がずれているところがあった。
そして気になることはもうひとつ――。
(あまりもたもたしていると、次の満月が……)
ぬいぐるみのシリウスは、満月の光を浴びると人型に戻ってしまう。それは実証済みだから間違いない。
なにかに隠れるなどして、月明かりを浴びなければ戻らないのであればまだいい。だがそれについては確証がないし、うっかりリーゼロッテの前で人型に戻ってしまうことだけは避けなければならない。そうなると
前回の状況から、人型に戻る際も服はそのままだということはわかっている。だがそれ以外のことはほとんどわからない。他にわかることと言えば時間にして十分足らずということくらいで、いまだにあの魔法使いがなにがしたいのかはさっぱりわからなかった。
もしかしたら一生ぬいぐるみの姿というのも嘘かもしれない。思うものの、こればかりは気軽に試してみるというわけにもいかない。となると、結局回避しておくしか
(……クソ、とりあえずあの魔女を……)
やはりどうにかして捕まえなければ。捕まえて、聞き出すしかない。この呪い――魔法の解除方法を。
改めてそう決意するけれど、あいかわらず窓の外は豪雨だし、稲光が激しく瞬いている。耳を塞ぎたくなるような落雷の音が響くたび、窓ガラスがビリビリと震えていた。
本日の天候はまだまだここから悪化するらしいとのことだった。