「この先ね」
妖魔が動き出したと同時、私たちも妖魔に向かって歩き出す。
血肉の臭いがきつい、密林だった場所を踏破してやってきたのは巨大な一枚岩だった。
岩は信じられないくらい大きい。
見上げても、太陽で目が眩んで天辺が見えない。
「小細工ね」
私はゆっくりと岩を右手で触る。
目を閉じると、この一枚岩に隠された呪力の道が見えた。
「一応封印のつもりみたいだけど、私たち相手にこんなの通用すると思わないでほしいわね」
私が呪力を静かに流し込み始める。
呪力の道に沿って、この封印が示す解呪へのルートを走らせる。
封印の解呪はおそらく爆弾処理に似ている。
慎重に決まった手順で解除していく作業だ。
きっと一条は苦手だろうな。
そう思い、私は一条を横目でチラッと見る。
「俺は苦手だ」
何も言っていないのに、一条は苦手だと悪びれることなく言い放った。
別に期待はしていないけれど、ここまではっきりと言われると腹が立つ。
少しは精密な呪力操作を覚えたらいいのに……。
「できた」
私は呪力の道をクリアする。
あとは強い衝撃を加えれば封印は解かれる。
「今度はよろしくね?」
「こっちは得意分野だ」
一条は私に代わって一枚岩に右手をかざす。
一瞬、呪力が右手に溜まったかと思うと、それを一気に岩に流し込む。
力強い呪力の移動。
この瞬発力こそ、一条のもっとも得意とするところだろう。
「崩れろ!」
一条が叫ぶと同時に、巨大な一枚岩に大きな亀裂が走りだす。
「二人とも危ないからこっちおいで~」
影薪がいつの間にか私たちの遥か後方で手を振っている。
そういえば静かだなと思っていたら、あんなところに。
普通、式神が主より安全な場所で待機する?
まああの子らしくて好きだけど。
「一条、下がりましょう」
「ああ」
私たちは影薪の下へ走る。
ふり返ると、巨大な一枚岩にみるみる亀裂が走り、上の方から崩れ落ち始めた。
かけらの一つ一つがレンガブロックよりも大きく、当たればただでは済まないだろう。
「葵、来たみたいだな」
「そのようね、影薪?」
「分かってるよ。どうする? 奇襲をかける?」
影薪は思った以上に好戦的な提案をしてきた。
そんなに積極的な性格だったっけ?
「いえ、ちょっと相手の動きをみましょう。もしかしたら情報を聞き出せるかもしれないし」
妖魔は崩れ落ちた岩の砂ぼこりの中に立っていた。
前に見た時と同じ格好だ。
グレーのセットアップに茶色のコートを着込み、頭にはコートと同色のハットをかぶっている。
まったく同じ姿。
まったく同じ呪力の特徴。
これが同一体ということだろうか?
「お前の能力が同一体を生み出せるというのは本当?」
私は砂ぼこりが風に攫われたタイミングで妖魔にたずねる。
ここまで何度も同じ姿をさらしていれば、今さら誤魔化さないだろう。
「……もう隠しようがないな」
その声は最初に会った時とは違っていた。
一番最初にビルの間の袋小路で出会ったコイツとは明らかに声が違う。
なんというかクリアに聞こえる。
「お前、本当に同じ妖魔? 声が違うようだけど?」
「ああ、それは周波数的な問題だ。ここは次元ポケットの中、人間界より妖界よりの周波数なのさ」
周波数。
ようするにチャンネル的なことだろうか?
ここは人間界から隔離された空間。
なるほどだから妖界の生物があんなに活き活きとしていたのか。
妙に納得した。
「それでお前はどうするの? 流石に私たちに敵わないのは分かっているのでしょう?」
これまで二度にわたり、私に敗れたのは知っているはずだ。
同一体に記憶の共有があるのかは定かではないが、ここまでのこいつの振る舞いからして私たちを知っているはずだ。
「それは人間界だったからだろう? ここは妖界と人間界の狭間のような場所。呪力もある程度戻っている。妖刻の前にここでお前たちを殺しておくのも悪くない」
妖魔は予想に反して強気に構える。
だがコイツの言う通り、一度目と二度目に比べて明らかに呪力量が多い。
あながちハッタリでもないかもしれない。
「一条?」
ふと一条を見ると、彼の全身から呪力があふれ出していた。
拳だけではなく、全身から……。
コントロールができていないと言ってしまうのは簡単だが、彼の放つ呪力からは強い怒りを感じる。
「俺を憶えているか?」
一条の声は今まで聞いたことがないほどにドス黒く重たい。
普段のお茶らけた雰囲気は消えてなくなり、燃え上がる怒りが殺意へと昇華されていた。
「もちろん知っておるぞ。一条勝則だろう? 二年前のお前の表情は素晴らしかったなぁ!! 目の前で愛する者を殺されるというのはどんな経験なんだ? 俺はあの時のお前の表情が忘れられなくて、あれから定期的にあの公園に通っているんだ」
妖魔は笑っていた。
本気で怒った一条を前にして馬鹿にするように、挑発するように。
ああ、やっぱり妖魔は妖魔なんだ。
私の中で何かが腑に落ちた気がした。
妖狐と話していると勘違いしそうになるが、やはり彼だけが特別であり、それ以外の妖魔に人の心などありはしないのだ。
一条から大事な人を奪っておいて、残された側の表情を見て嘲笑うゴミ野郎。
私の心の内に暗い感情が渦巻く。
お父さんを殺した妖魔もこんな奴だったのだろうか?
「一条、私が……」
「いや、葵は下がっていてくれ。これは俺の戦いだ」
一条は宣言して一歩前に出る。
全身から湯気のように、赤いオーラが迸る。
きっとこれが一条勝則の本気の呪力。
精密な呪力操作など必要ないほどの圧倒的な圧力。
「ほう。これはこれは。なるほど四大名家というのは伊達ではないのか」
「待て。お前、どこまで知っているの?」
四大名家というのはあっちではそれなりに有名なのだろうか?
しかも一条がその一つというのまでバレている。
「四大名家というのはこちらでは常識だ。滅ぼすべき敵としてな。一条家、薬師寺家、北小路家、西郷家。俺は長くこちらにいるが、人間界よりも妖界でのほうが有名だぞ? なにせ、お前らを絶滅させれば、人間はただの狩る対象になり下がる。それに、女。お前の家の地下に幽閉されている王を返してもらうぞ!」
妖魔は私を指さした。
嘲笑の中に少しばかりの怒りを滲ませながら。
妖魔たちの妖狐奪還の気持ちは相当強そうだ。
三〇〇年経っても衰えない、王奪還への熱意。
下手したら人間よりも義理堅い連中なのかもしれないが、それとこれとは関係ない。
コイツは一条を笑った。
人から奪っておいて、絶望した人間を見て笑っていた。
それだけで、殺すにはじゅうぶんな理由だ。
「奪い返す? やれるものならやってみるがいい。それに妖刻にお前はいないでしょう?」
「なんだと」
「なぜならここで一条がお前を殺すから!」
私が話し終える直前に、一条は右手を天高く掲げた。