「呪法、崩神!」
一条が天高く掲げた拳を振り下ろす。
一瞬呪力が乱れたが、それを補って余りある圧倒的な呪力量がそれを感じさせない。
妖魔の頭上から白銀に輝く拳が降り注ぐ。
その一撃は地面を抉り、空気を裂いた。
しかし肝心の妖魔は、一条の一撃を躱す。
「あれを躱せるの?」
並の反射神経では躱せないはずだ。
攻撃範囲はほとんど車一台ほど。
速度は風そのもの。
「だから言っただろう? ここは人間界ではない。多少は呪力を使えるんだぜ?」
妖魔の表情はハットのせいで窺いしれないが、得意げに笑みを浮かべているように感じた。
きっと呪力で移動速度を上げたのだろうが、それにしたって崩神を躱せる妖魔などそうそういやしない。
いくら人間界ではないとしても、まだまだ万全ではなないだろうにこの強さ。
妖狐が言っていた通り、本当に妖界の貴族階級なのかもしれない。
「だからどうした。俺の一撃を躱しただけで勝った気分か?」
一条の冷たい声がした。
まただ、あの時と同じ獣のような目。
呪力はまだまだ安定して供給され、一切衰える気配がない。
「まさか、四大名家の一つである一条家。それも当代の当主の実力がこの程度だとは思っていないぞ? だからその力、もっと見せてみろ!」
妖魔は挑発して姿を消した。
前と同じだ。
透明化能力。
「同じ小細工しかできないくせに調子に乗るなよ!」
「呪法、崩神」
一条が拳に呪力を集め天に振り上げる。
「十六連打!」
振り上げられた拳が白銀に輝いたかと思うと、天から先ほどと同じ白銀の拳が合計十六発叩きこまれる。
恐ろしい光景だった。
目にもとまらぬ速さで大地が砕かれ、視界全てが砂ぼこりで覆われた。
十六発の崩神。
天からの拳。
「流石ね一条。ちょっとやり過ぎだけど」
私はちょっと引きつつ、一条の健闘を讃えた。
見ている限り、妖魔は最初の三発は躱せていたが、流石にあれだけの数は捌き切れなかったようだ。
四発目で打たれ、そこからは見えなかった。
崩神を受けた大地に血痕がこびりついていることから、無事ではないと思うが。
「うっそ~まだ生きてる!?」
影薪が緊張感のない声を上げる。
埃が晴れた頃、視線の先にもぞもぞ動く妖魔の姿があった。
あまりにも見るに堪えない姿をしていた。
胴体は薄くひしゃげていて、右足と左腕が潰されていた。
「嘘だろう? どんだけしぶといんだ」
一条は肩で息をしていた。
崩神はただでさえ燃費の悪い呪法だ。
それを短時間の間に連発したうえに、十六連打なんていう無茶まで行ったのだ。
いかに一条でも疲労のいろが見えた。
「これを虫の息というのかしらね? もう死になさい」
私は一条に代わり、呪力を込める。
影薪は私の影に潜り込んだ。
「ククク、死ぬのはお前らだ! この俺がなんの準備もせずに迎え撃つと思うか?」
妖魔は残った右腕で地面をたたく。
すると妖魔の上空に円形の何かが出現した。
黄金色に輝く円形の扉のようなものは、妖魔の真上まで降りてくると少しずつ開き始めた。
「なに?」
「葵、近づいちゃだめだよ。なんだか嫌な臭いがする」
影の中から影薪が忠告する。
私は彼女の忠告通り、一歩も近づかずに扉が開くのをただ眺めていた。
「これはゲートだ! 妖界への玄関口。魔の世界への滑走路!」
妖魔は狂ったように叫ぶ。
ゲートから光が降り注ぎ、動けないままの妖魔を包み込む。
「アイツ! 逃げる気ね!」
私はついつい駆け出してしまった。
呪力を込め、なんとかとどめの一撃をと走りだした。
一条をバカにし、その一条が無力化した彼の仇。
ここでみすみす逃しはしない!
「葵、戻れ!」
一条の声が響いた時には遅かった。
ふと妖魔と目があった。
ニヤリと笑っているのを見て、私は自分の愚かさに後悔した。
さっき影薪が言っていたではないか”近づいちゃだめ”って。
一瞬、世界が止まったような気がした。
しかし気がしただけだった。
その直後には足元が爆発し、私の体は衝撃で宙を舞う。
空中に放り出された私は視界の端で、妖魔がゲートの中に消えていくのを確認した。
ああ、逃がしたな……。
呑気にそんな感情が湧いた時、影の幕が私の全身を覆い包んだ。
「あれ? ここは?」
私はゆっくりと目を開いた。
全身が軋むように痛む。
ところどころ火傷を負っているが、なんとか人の形を保っているようだった。
私は仰向けに寝かされていて視界を覆う空は、茜色に変わっていた。
ここは天国かな?
「葵、無事か?」
私を覗き込むのは一条のようだ。
どうしようまだ視界が安定しない。
「ここは? あれからどうなったの?」
とりあえず現状を把握したい。
まずは天国ではないことを確かめたいのだ。
「ここは次元ポケットの外だ。あの野郎、地面に呪力で爆発するように罠をしかけていたみたいだ。アイツ以外の動く者に反応するタイプだ。俺の崩神に反応しなかったから油断してたぜ」
そっかやっぱりあれは地雷みたいなものなのか。
よく生きてたな私。
「爆発の収束と、ゲートが消えたタイミングで次元ポケットが壊れた。世界がステンドガラスのように光り出して消えていった。葵が気絶していたのは二時間くらいだ。そのまま目覚めないかと思ったぜ」
そうか二時間か。
ダメージの割に早く目が覚めた方かもしれない。
というより、聞いている状況と私の体の状態が合わない気がする。
「影薪は?」
私は一条にたずねた。
いま思えば意識を失う瞬間、影の幕のようなものに覆われた気がする。
あの子は大丈夫だろうか?
私の影の中にいたのなら無事なはずだけど……。
「影薪は……いまお前の隣で眠っているぞ」
一条はやや言いにくそうに隣を指し示す。
私は痛む体をずらし、横を向く。
そこには一条の上着をかけられた影薪が横たわっていた。
「なんで……なんでアンタがダメージ負ってるのよ」
私の視界が滲む。
目から滴る涙が顔を横断し、地面に染みを作る。
転がっていた影薪があまりに痛々しい姿だったから。
服は焼けこげ、可愛らしい手足は真っ赤に焼けただれていた。
いつも私の大福を頬張るほっぺは煤で汚れ、絹のように綺麗な髪はその輝きを失っていた。
「どうして……どうしてよ! 私の影の中にいれば安全だったのに!」
私はむせながら叫んだ。
だってそのはずだった。
そのためにわざわざ私の影に潜ったのに、どうして出てきて私をかばうような真似を……。
「とりあえず車に乗せる。早く病院へ行くべきだ」
「私は自分で歩けるから、影薪をお願い」
私はよろよろとしながらも立ち上がる。
涙を拭い視線を前に向ける。
一歩ずつゆっくりとだけど確実に歩ける。
これなら大丈夫。
一条は私のお願い通りに影薪を抱き上げていた。
意識はなさそうだった。
私は怖くなり、自身の呪力と影薪の呪力を確認した。
「良かった……」
私と影薪を繋ぐ呪力の絆はまだ健在だった。
大丈夫、大丈夫、彼女は生きている。
なんとかなる。
私よりも影薪のほうが重症だ。
「病院じゃなくて、私の家にお願い」
「本気か?」
車に乗り込んだ私は一条にお願いする。
一条は驚きの声を上げた。
そりゃ当然だ。
どう見たって私の姿は家で養生すればいい感じではない。
「私よりも影薪のほうが重症なの! それに影薪は病院では意味がない!」
「飛ばすぞ!」
一条は急いで出発する。
ここから家まではまだまだかかるだろう。
後部座席に二人並んだ怪我人二人。
私も影薪も、怪我人なんて言葉で済ませていいような状態ではないが、最悪の結末を迎えなくて良かった。
私は走りだしてからしばらくして意識をなくした。