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第二十一話 影薪の想い

「葵様!」


 私たちを乗せた車が薬師寺邸に到着したころには、とっくに日が落ちていた。

 いつも通り出迎えてくれた美月さんは、私の姿を見て慌てふためいた。

 きっと初めてだったと思う。

 私が大怪我をして帰ってくるなんて今までなかったことだ。


「一体何があったのですか?」

「美月さん、大丈夫だよ。見た目ほどのダメージはないからさ……」


 私はそう言いながら、美月さんの胸に抱きついた。

 やっと緊張の糸が解けた気がした。


「美月さん、影薪を寝かせたいのだが」


 一条は影薪を抱きかかえていた。


「影薪様まで……」


 美月さんは私の頭をなでながら、絶句した。

 どう見たって私よりダメージが酷い。

 多少は帰りの車内で呪力を吸わせて回復を促したが、私自身のダメージもかなりあるため中々回復が上手くいかなかった。


「申し訳ありません! 俺がついていながら!」

「とんでもございません。一条様はこうしてお二人を連れ帰って下さりました。感謝してもしきれません」


 一条は罪悪感からだろうか? 美月さんに頭を下げた。

 でも美月さんの言った通り、一条がいなければここまで戻ってくるのだけでも一苦労だっただろう。

 それにあの爆発に巻き込まれて、無事にいまここにいられるのは間違いなく彼のおかげなのだ。


「こちらへ!」


 私が美月さんの胸から離れると、美月さんは一条を私の自室へ案内する。

 一条は一瞬、私に視線を寄こすが私は黙ってうなずいた。

 影薪がもっとも回復するのは私の呪力が色濃く充満している寝室だ。

 彼女は人間ではないのだ。

 病院に行ったって回復はしない。


「俺はそろそろ帰るよ」


 影薪をベッドに寝かせた一条はそんなことを言い出した。


「もう遅いですから、泊って行ったらよろしいのに」


 美月さんが引き止めるが、彼は静かに首を横に振った。

 私も泊って行ったらいいのにと思ったが、そういえば彼は一条家当主だった。

 ならば理由は予想できる。


「申し出はありがたいのですが、自分も当主の身。丸々二日あけてしまっているので戻らなければなりません。それに……」

「それに?」

「あの妖魔は必ず妖刻に姿を見せるでしょう。自分はそのために準備を万全にしておきたい」


 一条の目は再びあの獣のような鋭さを取り戻す。

 きっと本来の彼はこっちが本当なのだろう。

 普段の彼が嘘をついているとは言わないけれど、ある程度外向きのキャラクターというわけだ。

 本当に器用な人。


「妖刻ね……。私と影薪は治療に専念するね」

「それがいい。葵たちがいない妖刻は考えられないからな」


 私と一条はお互いの拳をぶつけあう。

 今回の一件で、今まで以上に一条と近づいた気がする。

 気心が知れたというか、戦友のような感覚だ。


「じゃあな葵。とっとと治せよ」

「言われなくともそのつもり。じゃあね一条、ありがとう」

「こちらこそ」


 一条はそう言い残して部屋を出ていった。

 美月さんが見送りのために後を追う。

 寝室に取り残された私は、ベッドに横たわっている影薪のおでこに手を置いた。


「なんで私をかばってこんなことになってるの? アンタ、ずっと私のことあまりよく思ってなかったでしょう?」


 普段は姉妹みたいに振舞ってはいたけれど、影薪が私のことを心の奥底ではよく思っていないことは知っていた。

 その理由もある程度分かっていた。

 これは仕方のない理由というか、私が悪いわけでも影薪が悪いわけでもないのだ。


「だって、勝手に体が動いちゃったんだもん……しょうがないじゃん?」


 予想に反して影薪が口を開いた。

 意識がないと思ってたからびっくりだ。


「影薪……大丈夫? 痛くない?」

「痛くないわけないでしょ、バカ葵」


 良かった……憎まれ口をたたく余裕はあるみたいだ。


「私のこと嫌いじゃないの?」

「嫌いじゃないよ。嫌いとかそういうのじゃないんだよ」


 影薪の声は弱々しく、いつもの図々しさは微塵も感じない。

 本音というか素のような気がした。

 いつものふざけた影薪も本当だろうけれど、どこか演じていたような気はしていた。

 無理をしているというか、何かを隠しているような感じ。


「この際、答え合わせしちゃわない?」

「なにそれ、あたしたちの関係に答えなんてあったっけ?」

「私の思う事情と、あんたの思う理由の擦り合わせ」

「変なこと言いだすね葵は」


 影薪は力なく笑う。

 こうして喋っていると、見た目の重症さのわりには存外に元気な気がしてホッとする。


「いいじゃん。こういう機会でもないと、あんた本音話さないでしょ?」


 影薪は静かに首を縦に振り、大きく息を吸った。


「いいよ、じゃあ答え合わせ。まず、あたしは葵を憎んでいるわけでも嫌っているわけでもない。ここはあってる?」

「うん。あってる。私もその認識」


 そう、嫌われてはいない。当然憎まれているわけでもない。


「じゃあここは外れるかもね。あたしは葵に対して複雑な感情を抱いている。その名前は分からない。憧れでも嫉妬でもない」

「うん」


 私は静かに頷き、続きを促す。

 もう私が口をはさんでいい領域ではない気がした。


「なんていえばいいんだろう……そう、虚無感ていうのが一番近いのかな?」

「虚無感?」

「そう。この気持ちは葵ならちょっとは理解してくれるんじゃないかな? 自分の人生を歩めない感覚。なんのために生きているか実感がない感じ」


 ああ、それなら分かる。

 薬師寺葵という人間の”葵”の部分が、大人になるにつれて弱くなっている気がしていた。

 それは薬師寺家のお役目が関係している。

 生まれながらに生き方を決められていて、しかもそれが命がけの生き方で……。この気持ちにみんなうまく折り合いをつけて生きているはずだ。

 四大名家の者はきっと全員。


「あたしは葵みたいに名家、薬師寺家を背負う責任はない。その部分では助かったって気持ちが強い。けどね……」


 影薪の声がやや曇る。

 気づけば窓の外から雨音が響く。


「あたしはさ、生まれた時から式神で、実際に式神なんだから当たり前なんだけど、無駄に高性能な式神なんだよね。まるで本物の人間のような自我を持たされてさ……本来、式神にこんな性能はいらないんだよ。狂っちゃうからさ」

「狂っちゃう?」

「そう。だってそう思わない? 人間と同じような自我を持たされてもさ、結局人間じゃないんだよ? あたしはさ。結局どこまで行っても式神で、あたしにはあたしの人生なんてものは存在しないんだ。葵の側にい続けることを”強制”されて、ずっと戦い続けることを”強制”される一生。たとえどんなに葵と馬があわなくても、ずっとそばにいなくちゃいけない。まあ、そこは葵が良い子だったから良かったけどね」


 影薪は最後に軽く笑う。

 まるで空気を読んだみたいな、とってつけたような笑み。

 でも嘘ではないだろう。

 私も影薪と一緒にいて楽しい。


「そっか……そうだよね。影薪は私に縛られているんだ。私はなんだかんだ言っても人間として動けるけど、影薪は私の式神だから私から離れられない。生き方を決められない」

「そもそも人間じゃないわけだしね。戸籍とかないからね? あたしは。だからずっと葵に引っ付いて生きていくんだから、最後まであたしの面倒を見ないと許さないからね」

「式神に呪われちゃったかな私」

「最後の死ぬ時までずっとね。ずっと葵の大福を盗み続けるから」


 影薪は最後にそう冗談めかして私の手を強く握った。

 もう放さないと言いたげだ。

 大丈夫、私も影薪から離れるような選択はしないだろう。


「でも影薪、それだけだと私を身を挺して助けてくれた理由にはならないんだけど?」

「ッチ、バレたか」

「なに? 照れくさいわけ?」

「ちょっとだけ」

「じゃあいいよ。言わなくて。大体予想はついてるし」

「予想ついてるなら聞かないでよ恥ずかしい」

「いいじゃん、答え合わせだってば」

「聞けばなんでも答えが返ってくると思っちゃって、これだから最近の若い子は」

「急におばあちゃんみたいなこと言い出すね。私と同い年のくせに」

「はぁ、もういいや。あたしは疲れたから寝る。葵は感謝のしるしにあたしが寝るまで手を放さないでよ」


 威張りたいんだか甘えたいんだか?

 でもこんな影薪も彼女の一部。

 全てを抱えて生きなくちゃ。

 影薪は私の唯一無二の式神なんだから。

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