「呪法、崩神。
立ち尽くす瀕死の一条は静かに呟いた。
それを見て私は安堵した。
彼は生きていて、死んだのはスキームのほうだった。
スキームが死んだ証拠に、決闘をしていた二人を遠巻きに見ていた妖魔の半分ほどがその場で破裂して消えていってしまった。
やはりこの場にいた妖魔たちの半数がスキームの作り出した同一体だったらしい。
一気に私の前の敵が減った気がした。
「一条も器用になったもんだね」
影薪が私の影から飛び出てきた。
「最後のスキームの攻撃に対応して放った十六連撃。実はもう一発を上空に待機させていたみたい。十六連撃だけを防衛にあてて自らダメージを負うことで、スキームを完全に欺いた」
影薪は冷静に分析する。
彼女はこれでも私の使い魔。
戦いには精通しているのだろう。
きっと私以上に。
そして彼女の分析は的確だった。
一条はずいぶんな無茶をしたと思う。
殺された愛美さんの仇をとるためとはいえ、自らが致命傷を負うことを前提とした一撃だ。
スキームは自分が攻撃されることさえ分かってしまえば、他の同一体に本体を移せる。
それが分かった一条は、決して知られることのない一撃を加えるしかなかったのだ。
スキームが死んだ。
貴族位を冠する妖魔がたったいま決闘に敗れたのだ。
私たちの前に降り立った妖魔たちは一瞬の静寂の後、ざわつき始めた。
きっと人間である私たちにスキームがやられるとは思っていなかったのだろう。
「し、死んだ? スキーム様が敗れた?」
妖魔たちの声が次第に大きくなっていく。
混乱が伝播し、妖魔たちはじりじりと下がり始める。
「こんなの聞いてないぞ! 簡単に人間を食えると聞いて参加したのに!」
名も知れぬ犬型の妖魔が叫んだ。
集団から上がったその一声に、賛同の声が集まりだす。
やはり烏合の衆。
どうやら本気で妖狐を取り戻そうとしているのは、貴族位の妖魔たちだけのようだった。
それ以外の妖魔たちは結局本能に従うだけの下衆共でしかない。
「静まれ! 一人がやられただけだ。あの男が強かっただけだ! しかし彼はもう瀕死。恐れるべき存在はあと一人だけだ!」
もう一人の貴族位の妖魔が私を指さす。
指さされた私はそいつを睨む。
明らかに化け物だった。
分かりやすい化け物。
身長は私より全然高い。
二メートルほどはあるだろうか?
全身は竜の鱗のようなものに覆われていて、両椀は丸太のように太い。
スキームなんかよりよっぽど分かりやすく禍々しい呪力を放っている。
小細工などしなさそうなタイプ。
きっと真っ向から力技で押してくるタイプ。
そしてそのまま押し切れるだけの力を備えている。
「私さえ殺せればもう障害はないと言いたいわけ? 悪いけど仮に私が死んでも先輩たちがいるの。和美さんなんか私とは比べられないほどのベテランよ? あまり四大名家をなめないことね」
私は毅然と言い返した。
周囲の雑魚妖魔たちはただ黙って私と貴族位の妖魔を見比べる。
「ふん。そいつは確実に死ぬ」
「なぜかしら?」
「相性の悪い相手をぶつけているからだ」
妖魔はニヤッと嫌な笑みを浮かべる。
私はその目にゾクりとした。
「二人は一条を連れて屋敷の中へ。それ以外の者は西と東へ向かいなさい!」
「し、しかしそれではお嬢様が」
私の指示に一条家と薬師寺家の者たちは動揺する。
いかに私が歴代最強だと思っていても、流石に一人にする勇気はないらしい。
「大丈夫だから行きなさい。これは薬師寺家当主としての命令よ」
私は安心させるために振りかえって笑顔を見せる。
余裕を見せる。
私はこの大軍を相手にしても大丈夫だと、自身にも言い聞かせた。
「わ、分かりました! あちらの援護が済み次第すぐに戻ってきます!」
最初は躊躇していた彼らも、私が本気だと知って移動を開始する。
一気に背中が寂しく感じた。
戦力的にというよりも、背後に部下たちがいるという状態がここまで心強かったのだと初めて実感した。
「みずから犠牲になるつもりか? それともただの蛮勇か?」
「どちらでもない。私には影薪さえいれば問題ないの」
私は影薪の頭をなでる。
頭をなでる私の手がほんの少し震えていることに、影薪は気付いたかな?
精一杯の強がりにほんの少しの自信を秘めて、私はいまここに立つ。
瀕死の一条のため、この戦場で戦っているみんなのため、そして何より地下牢にいる彼を奪われないために、私はここで命を張る。
「私は薬師寺家当主、薬師寺葵。お前の名は?」
私は貴族位の妖魔にたずねた。
これから殺し合いをする相手、名前ぐらいは知っておくべきだ。
私が誰に勝利して生き残ったかを伝えなければならないのだから。
「俺の名は
妖魔は簡潔に答えた。
八岐大蛇?
聞いたことがあるとかそんなレベルじゃない。
知っているに決まっている。
日本の歴史上に出てくる伝説の大蛇の名。
ああきっとそうだ。
きっとこいつはスキームなんかよりずっと強いのだろう。
怖い。
そんなたった一つの感情が消えてくれない。
震えは少しずつ収まってくれたが、この気持ちだけはやはり拭いきれない。
さっきまでの一条もこんな気持ちだったのだろうか?
微塵もそんな気配は見せなかった。
やっぱり私よりリーダー向きね、一条は。
でもいまここには私を鼓舞してくれる一条も妖狐もいない。
「大丈夫だよ葵。私がいて負けるわけなくない?」
影薪があえて簡単に言ってのける。
私の緊張を和らげるためだろう。
本当に、いつもは頼りにならないくせに、やっぱりこういう場面だと頼もしく思えてくる。
さっきまでの一条の戦いっぷりを心に刻め!
彼は復讐のために命を賭した。
私も父を妖魔に殺された想いを胸に戦う。
だけど私が命を賭すのは大切な者たちのため。
戦う理由は義務感から脱却した。
私は”失いたくない”から戦う!
「それもそうね」
私は覚悟を決めて満面の笑みを浮かべる。
私と影薪が一緒にいて負けるはずがない。
負ける光景が、イメージが湧かない。
地に這いつくばるのは目の前の妖魔たちだけ。
「俺は全力を出すタイプだ。スキームのように貴族のどうこうや作法は気にしない。一対一だなんて気取ったことも言わない。これは戦争だ、殺し合いだ。そこに矜持やマナーなんてものはない! 悪いがここにいる妖魔全員でかからせてもらう」
八岐大蛇は宣言した。
私を殺すためならなんでもすると。
これは戦争だと。
奴は宣言した。
上等だ、向こうがその気ならこっちもその気になれる。
見れば、八岐大蛇以外の妖魔は一〇〇体ほどだろうか?
この程度の数、なんてことはない。
「安心しなさい。ちゃんと一対一で戦ってあげるから」
「なに?」
私は呪力を解放する。
影薪の頭をなでていた手を合わせる。
敵の数が多いだなんて関係ない。
数が多いなら減らせばいい。
一対一になるまで殺してしまえばいいだけ!
「呪法、月の影法師!」
私の呪力が影薪と私を囲った。
「力を貸せ、皆月!」
私の叫びと共に夜闇に包まれた戦場は本当の闇に飲み込まれた。