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第三十三話 草薙の剣


 私の防壁は影たちの集合体。

 まるで城壁のように、私と八岐大蛇のあいだに立ち塞がる。

 その城壁と蛇たちの決死の一撃が衝突した。


 ぶつかった瞬間、世界が壊れたかと思えた。

 空間を黒と紫が支配する。

 耳には技と技の衝突した音以外は入ってこず、緊迫感が電流のように全身を走り抜けた。


「互角?」

「そうみたいだね」


 私の声に呑気な声が反応する。

 こんな場面でもいつも通りな影薪に安堵する。

 しかし私もちょっと安心した。

 あの一撃を防ぎ切れたのだ。

 凄まじい衝突音は掻き消え、ボロボロの影の城壁だけがかろうじて存在している。

 そしてこちらには先ほど呼び出した球体がある。


「観念しなさい」


 私が合図をすると、黒い球体は再び妖魔たちの影を大量に吐き出す。

 それこそあっという間に一〇〇体ほど発生し、呪力を使い果たした大蛇たちに迫っていく。


「もう勝ったつもりか?」

「お前の呼び出した大蛇たちは、これで普通の蛇とたいして変わらない。私には影を無限に呼び出せるコイツがある。どっちが有利かなんて考えるまでもない」


 私は状況を説明する。

 どう考えたって私が有利だ。

 呼び出せる味方の数は私の方が明らかに多く、質でも劣っていない。

 おまけに相手はガス欠だ。

 八岐大蛇の伝承通りに八体の大蛇を呼び出し、それを消費してしまった。


「そうかそうか。伝承を模した俺が呼び出した、八体の大蛇を無力化できて満足か」


 八岐大蛇はうっすらと笑みを浮かべていた。


 何かがおかしい。

 私は言い知れぬ不安感に包まれた。

 状況は私の勝利を示しているのに、感情がそれを認めてくれない。


「何が言いたいの? そうこうしている間にも、お前の呼び出した蛇たちは影たちに殺されているけれど」


 私と八岐大蛇のにらみ合いのあいだにも、全ての大蛇が影の軍勢に飲み込まれて息だえていた。

 もう奴の周囲には誰もいない。

 多勢に無勢。

 もともとの数が逆転した。


「不思議に思わなかったのか? 俺が八岐大蛇だとしたら、なぜ八体の蛇を呼び出すんだ?」

「言っている意味が分からない。八岐大蛇は八つの首と尻尾を持つ蛇の怪物。八体の大蛇を呼び出してなにが……」


 私は途中で言葉が続かなかった。

 そうだ、おかしい。

 いや、正確に言えばおかしいとは言い切れないのだが、違和感がある。


「気がついたか? 八岐大蛇の伝承通りであるならば、八体の大蛇を呼びだした俺は一体なんなんだ?」


 その通りだった。

 あいつ自身が八岐大蛇の本体であるならば、呼び出す大蛇は七体であるはずだ。

 八体呼び出しているということは、奴自身は一体なんなんだ?


「八岐大蛇であることには変わりはない。だが別に伝承通りというわけではない。俺は妖魔だ。完全に八岐大蛇そのものではない。だからこんなものまで持っている」


 八岐大蛇はそう言って一番近くにいた大蛇の尾を引きちぎる。

 肉の裂ける音と共に、血しぶきが上がった。

 その中に腕を突っ込み、何かを探しているようだった。


「あったあった。これが何か知っているか?」


 八岐大蛇は蛇の尾から腕を抜く。

 血で真っ赤に染まった右腕に握られていたのは一振りの剣だった。

 見た目だけでは分からないが、恐ろしく強力な力を感じる。

 それも私たちの力の体系とはまったくの別物。


「これは草薙の剣。その昔、須佐之男命が八岐大蛇を殺した際に尾から見つけ出したと言われる宝剣だ。この力、まさにその名にふさわしいだろう?」


 答えられない私に変わって八岐大蛇は自慢げに剣を見せつける。

 もちろん知っている。

 日本人で聞いたことがいない者はほとんどいないであろう伝説的な剣。

 だがあれはあくまでも神話の産物である。

 実話ではないはずなのだが、いま目の前にあるあの剣は、明らかに神話級の力を放っていた。


「たった一振りの剣を手にした程度でずいぶんと強気になれるのね。どれだけ強力な剣であろうと、この数を相手にどう振舞う気?」


 私は強がりで言葉を固めた。

 そうでもしなければ不安で押しつぶされそうだったから。

 あの剣は危険だ。

 本能がそう訴えかけてくる。


「なんてことはない。この剣はもちろん本物ではないが、神話の順序を辿り本物に近づいた贋作だ。よって力は本物の半分程度だが宿っている。それがどういう意味か分かるか?」


 八岐大蛇は草薙の剣を天高く掲げ、見たことのない力を宿して振り下ろした。


「影薪、私の後ろに!」


 私はとっさに影薪を背後に隠す。

 直感だ。

 確証はない。

 だけどあれは影薪には毒だと判断した。


 振り下ろされた草薙の剣は神々しい光を放ち、夜闇を明るく照らした。

 聖なる力。

 そう表現するのがもっともふさわしかった。

 草薙の剣から放たれた光の波動は、全ての影たちを一瞬で分解し、私が必死の思いで呼び出した影の球体までも真っ二つに切り裂いてしまった。


「嘘でしょう?」


 この場に残されたのは私と八岐大蛇、そしてとっさに庇った影薪だけとなってしまった。

 あれだけ優位性を保っていたのに、影の軍勢も影の球体も、私の力の全てが吹き飛ばされてしまった。

 なんだあれは?

 あんなの勝てっこない。


「草薙の剣は浄化の力を持つ剣だ。お前たちが扱う呪法とやらは呪いの力、いわば闇の力だ。力の根幹は俺たち妖魔とたいして変わらない。だからこそこの剣は、俺たちとお前たち共通の天敵となり得る」


 呪法は呪力を媒介に発動する術式全般を指す。

 仮にあの剣が呪いを打ち消す剣であるのならば、抗う術は何もない。


「葵、あれはまずいよ。どうするの?」


 流石の影薪もお手上げらしい。

 声に緊迫感が込められている。

 めずらしくしおらしい影薪の頭を優しく撫で、私は一度深呼吸する。


「草薙の剣は浄化の剣。呪法は通じないということであっているわよね?」

「ああその通りだ。これで俺の勝ちが決まったと思うが?」


 八岐大蛇は勝利を確信している。

 そうだろう。

 こっちは呪法を封じられてしまえばただの小娘。

 八岐大蛇は人外の怪物。

 身体能力もあっちが上。

 だけどこっちにもやりようはある。


「影薪はそこにいなさい」

「どうするの?」


 心配そうな影薪に背中を向け、私は呪力で自身の影から剣を引っ張り出す。


「ほう、それは呪力で編み出したものではないな」

「ええその通りよ。これは普通の剣。ここから私は呪法を使わない」


 私は剣を両手で持ち構えた。

 呪法は使わないが、呪力そのものを体内を通じて全身に巡らせる。

 これで少しでも身体能力をアップさせる。

 私の精密な呪力操作が成せる業。

 仮に一条ぐらいの呪力操作でこれをやれば、神経が焼き切れる。


「身体能力ではお前が上でも、剣術ならどうかしら?」


 私は啖呵を切って地面を蹴った。

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