「覚悟しなさい!」
私は一切のためらいなく走りだした。
八岐大蛇は私の意外な行動に面食らっていた。
誰も私が剣を手に戦うとは思わないだろう。
霊装とはいえ着物姿と真剣が似合わない。
ここまでの私の戦いぶりからしても、あきらかに接近戦が苦手なイメージを持たれていたはずだ。
実際、得意不得意は別として好きではない。
しかし、好きではないと不得意はイコールではない。
私の戦い方を見た者は、ほとんどすべてが私への接近を試みる。
遠距離戦で私に勝てる者はほとんどいない。
さらに私がか弱き女であることと、その線の細さも相まって、相手は接近してしまえば私に勝てると思いこむ。
だから私は鍛え続けていたのだ。
呪法や呪力操作の鍛錬はほとんどしていない。
そんなものは元からできている。
「想像よりも動けるのだな」
八岐大蛇は私の正面からの太刀筋を草薙の剣で受ける。
やっぱりそうだ。
何も起きない。
「お前のように、私について勘違いするやつらを殺すためよ」
私は鍛錬の大半を剣術と体術に費やしてきた。
欠点をなくすため。
歴代最強を謳うには明確な弱点などあってはならないのだ。
「その剣、神話の半分程度の力と言っていたけれど、本当にその通りね。浄化の力以外は普通の剣」
私の一撃一撃を、八岐大蛇はギリギリのところで受け止める。
リーチで勝っているのは向こう。
力で勝っているのは向こう。
速度で勝っているのも向こう。
だけどいまリードしているのは私。
「ちょこまかと!」
八岐大蛇は鍔迫り合いのタイミングで私を後方に吹き飛ばす。
やはり力比べでは分が悪いか……。
「俺の力はこんなものではないぞ」
八岐大蛇は草薙の剣を地面に突き刺し、両手を合わせる。
瞬間、奴の背後から巨大な火柱が噴き出した。
火柱はやがて八匹の蛇の姿をかたちどり、各々が不規則な動きで私に襲いかかる。
「自分だけ呪法を使うのはズルくない?」
「別にズルくはない。特権だ」
私は炎の蛇たちをギリギリで躱していく。
しかし思いのほか躱すのが難しくなってきた。
さすがに八匹の蛇をすべて躱せるほどの身軽さは持ち合わせていない。
「あっつ!」
私の左腕が炎の蛇に触れてしまった。
業火の中に手を突っ込んだような感触。
熱いという言葉が陳腐に聞こえる程の痛みだ。
私は地面を転げまわる。
左腕にまとわりついた炎は影薪が消してくれた。
そこに八匹の炎の蛇が集結する。
どうするか一瞬の迷い。
八岐大蛇にチラリと視線を移すと、技を出すために草薙の剣を持っていない。
剣はいま、地面に突き刺さったまま。
「呪法、月の影法師。来い、漆黒の津波!」
影の波を瞬時に発生させる。
消し飛ばされた式神たちの残滓を集めて作った即席の技。
それでも構わない。
いまは一瞬でも炎を受け止めてくれればそれでいい!
漆黒の津波は即座に五メートルにもなって、炎の蛇たちを迎え撃つ。
「無駄だ!」
それを見た八岐大蛇は草薙の剣を引き抜く。
草薙の剣の力によって私の放った津波は浄化されてしまう。
しかしそれでいい。
目くらましと炎の蛇は消えてくれた。
私は全力で走りだす。
一瞬で距離を詰め、八岐大蛇の懐に潜り込む。
「なに!?」
八岐大蛇が反応する間もなく、私は剣を斬り上げる。
草薙の剣での防御が間に合わず、私の剣は八岐大蛇の左腕を斬り落とした。
「ぐああああ!!」
絶叫が響く。
しかし私は一切の容赦はしない。
油断すれば死ぬのはこちらなのだから。
「死になさい」
私はそのまま連撃を加える。
狂ったように剣を振り回す八岐大蛇の斬撃の合間で的確に打ち込む。
混乱状態の八岐大蛇の全身に生々しい切り傷が増えていく。
五回は斬っただろうか?
ようやく八岐大蛇の膝が地面についた。
「これで終わり!」
私は八岐大蛇の両膝をぶった切り、バランスを崩して転がった八岐大蛇の首を一切の躊躇なく斬り落とした。
やっと倒した。
私は体を震わせながら座り込む。
全身に無理をさせていたが故の疲労と、下手したら斬り殺されていたのは自分だったという緊張感だ。
さっきまではアドレナリンが出ていたのか実感はなかったが、いざ終わってみるとあとから込み上げてくる恐怖心。
「ハァハァ……」
息が整わない。
こんなに呼吸って難しかったっけ?
「葵、たぶん自分が思っている以上に体に負荷をかけてるよ?」
影薪が私の背中を優しく撫でる。
少しずつ安心して力が抜けていく。
こわばった体の筋肉が緩まっていくのが分かった。
「本当に、死ぬかと思った。あれはそれだけ強力だったの。いままで戦った妖魔たちなんて比にならないぐらい」
私は整った呼吸で影薪に話し出した。
言わずにはいられなかった。
本当に死ぬかと思った……。
「厄介さではスキームだったけど、個体の強さだけなら八岐大蛇のほうが圧倒的だったと思うよ。葵はよくやったと思う。だけどね……」
影薪が言いたいことはよくわかっている。
私は震える膝に喝をいれて立ち上がる。
一条と私は貴族位の妖魔を二体葬った。
そうなれば弱った私のもとにその他の妖魔たちが迫ってくるのは当たり前のこと。
雑多な妖魔に矜持なんてものは存在しない。
弱った獲物がいれば徹底的に狙う。
本当にありとあらゆる妖魔が雑多に混ざり合った集団だった。
オオカミのような妖魔に、目玉が全身にちりばめられた気色の悪い鳥モドキ。
二足歩行で槍を持った騎士じみた奴までなんでもあり。
五十体にも満たない妖魔たち。
それでも今の私にとってみればまあまあな脅威。
呪力と体力の消耗は当然ながら激しい。
だからといってここで死ぬわけにはいかない!
「影薪、とりあえずこいつらを一掃するよ」
「うん!」
弱った獲物を狙う動物のような存在。
そんなやつらには圧倒的な力の差を見せなければならない。
私、薬師寺葵はお前たちの手の届く範囲にはいないのだと!
「呪法、月の影法師!」
私と影薪のあいだを呪力が行き来する。
高まった呪力が呪法の指示のもと、形となって顕現する。
「来たれ影の騎士団!」
私の影が後方に長く伸び、その影の中から漆黒の甲冑に身を包んだ十体の騎士が浮かび上がる。
出現した騎士団は、私たちと妖魔共のあいだに立ち塞がった。
各々が西洋の甲冑のようなものを着込み、腰からは剣をぶら下げ、手には天を貫く槍を持っている。
騎士団を凝視しようとするとその姿は黒い霧に包まれてしまう。
彼らは影の騎士団。
実体を持とうが結局は影なのだ。
「力の差を見せつけろ!」
私の号令と共に影の騎士団による虐殺が開始された。