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第三十八話 鵺という天敵


「呪法、月の影法師! 来い、皆月」


 私は様子見で皆月を呼び出す。

 周囲は私の支配する闇に包まれ、空間のいたるところから皆月のタコ足が出現する。


「ああ知っているぞ。お前が頻繁に使っている技であろう? スキームから報告は受けている」


 鵺は全方位を皆月に囲まれていても微動だにしなかった。

 余裕すら見せている。


「絞め殺せ!」


 私は皆月に命じる。

 油断しているうちにやってしまえばいいだけのこと!


 私の声に応じて、皆月は無数のタコ足を鵺に向けて伸ばす。

 それでも鵺は動く気配すら見せない。

 ただただニヤニヤと笑っていた。


「本当の闇を見せてやる」


 鵺がただ一言口にした。

 その瞬間、皆月が消えてしまった。

 なんの前触れもなく、文字通り姿形が消失してしまう。


「そんな……」

「葵、見て!」


 影薪はいち早く異変に反応した。

 気づけば私が展開した闇の空間が歪み始めていた。

 一体なにが……。


「お前は闇を扱う術師だったな。ならば本当に気の毒だ。闇は我の本域。人間風情が我に勝てるはずもない!」


 鵺の言葉通り、私が展開した闇の空間が一斉に塗り替えられていく。

 もっと深い闇。

 深淵の向こう側。

 私の知らない闇がそこに広がっていた。


「私の空間が塗り替えられていく?」

「まずいよ。これはまずい」


 珍しく影薪が焦った表情を見せる。

 私はすぐに別の手立てを用意する。

 皆月は空間そのものを支配して全方位から攻撃を仕掛けるタイプの式神だ。

 でもそれだけが私の戦い方ではない。


「呪法、月の影法師! 来い、漆黒の津波! 全てを押し流せ!」


 私は漆黒の津波を呼び出す。

 高さは五メートル。

 地上の全てを飲み込む濁流となって鵺に襲いかかる。


「だから無駄だと言っている」


 鵺が一喝すると、漆黒の津波は鵺が展開する闇に溶けて消えてしまった。

 あまりにも呆気なかった。

 自然すぎるぐらい当たり前のように通用しない。


「これなら!」


 私は最大の呪力を集約する。


「呪法、月の影法師! 来い、影の眷属たち!」


 私と鵺の間に黒い闇の球体が浮かび上がる。

 おどろおどろしいそれは、最初はボーリングの球ぐらいの大きさだったのが一気に膨らみ、あっという間に視界を覆う程の大きさに成長した。


「それは八岐大蛇に使った呪法か? そうだ、それくらいでようやくだぞ?」


 鵺はなおもあざ笑うかのように堂々と立ち尽くす。

 一切の抵抗を見せず、なんのアクションも見せない。

 まるで私が抗っているのを楽しんでいるような、そんな態度。


「葵……」

「大丈夫よ影薪、私はこの程度じゃ死なないから」


 影薪は私の顔を見上げて情けない声を出す。

 実際、影薪が心配するほど私は酷い顔をしているのだろう。

 黒い球体を呼び出した時点で、私は呪力のほとんどを使い切っている。

 ふらつき、動悸も止まらない。

 血の気が引いていっていることは自分でもわかっている。

 でも、もう引き返せない。

 私が負けてしまえば全てが終わる。


「全てをかけて奴を殺せ!」


 私の精一杯の命令に、 闇の球体は脈を打って答えた。

 闇の球体から出現したのは強力な”個”だった。

 呼び出したのは八岐大蛇だ。

 先ほど冥府に送った貴族位の妖魔。

 鵺相手に数は意味をなさない。


 私は指先が冷たくなってきていることに気がついた。

 もう呪力は空っぽ。

 正直、これで殺せなければ打つ手はない。

 お願いだから届いて……。


「ほうこれはこれは。ずいぶんと悪趣味な技を使うのだな」

「悪趣味具合でいえばお前たちにとやかく言われるいわれはないわ」


 本心からそう思う。

 アメミトのような戦い方を容認している鵺に言われたくはない。

 使えるものはなんでも使う。

 これが私の覚悟。

 たとえこの身の全てを使おうとも、私は鵺を打ち倒すと決めたのだ。


「お前はまだ分かっていないな。我とお前の能力の違いが」


 鵺が大きく咆えた。

 闇を揺らぐ咆哮。

 その揺らぎは八岐大蛇を一瞬で分解する。

 伝わる波動は、私が決死の覚悟で呼び出した闇の球体をも破裂させてしまった。


「嘘……」


 私は心の奥底で感じていた未来が訪れ絶望する。

 これはショックなどではない。

 分かっていた未来が本当にきたことへの絶望だった。

 もう戦えない。

 もう呪力は残っていない。

 本当に一ミリも残ってはいないのだ。


「葵……逃げて」


 影薪は絞り出すように声を発し、私と鵺のあいだに立つ。

 もう彼女にも呪力は残っていない。

 私と大して変わらない状態なのに……。


「ダメよ影薪! 戻って! あんたじゃかないっこない」

「そんなの分かってるって。でもね、ここで葵が死んじゃったらあたしも死んじゃうもの。どうせならどちらかが生き残った方が良いでしょう?」


 影薪はいつになく真剣な声色だった。

 恐れていた事態だった。

 以前に次元ポケットで爆風にさらされた時も、影薪は躊躇なく私のために体を張った。

 だから怖かったのだ。

 再び私の命が危機にさらされた時、きっと影薪はみずからの命を犠牲にしようとすると。


「あたしね、すっと葵を側で見てきたんだよ? きっと葵の母上よりもずっと長い時間一緒にいたんだ。あたしにとって葵は姉であり、妹であり、あたし自身。だったら葵が助かるのなら、自分の命ぐらい張れる!」


 影薪の言葉に視界が滲む。

 私はこうなりたくなくて力をつけてきたのに……。

 こうなる未来を変えたくて、強くなったはずだった。

 歴代最強と言われるまでになった。

 なのに、それがこのざまだ。

 自身の強さに溺れて、周囲の人たちを活かそうとしていなかった。


 私にとって他者は庇護の対象で、頼るべき相手だと認識したことが一度もなかったのだ。

 それが敗因だった。

 私と鵺の相性は最悪。

 そんな相手に私は手も足も出なかったのだ。


「式神の一匹が前に出たところで現実は何も変わらん。本当の闇を教えてやる」


 鵺の全身から呪力が天に放たれる。

 深夜の夜空よりもさらに深い闇が天を覆っていく。

 突然の異変に、戦場から音が止んだ。

 静寂に包まれた戦場に、天より漆黒という言葉では言い表せられないほどの闇が降ってきた。


「葵! 影薪ちゃん!」


 声がした。

 私たちの後方に控えていたはずの明美が私たちのもとに走ってきた。

 この闇が覆う空間で唯一光を発しながら。


「呪法、光鏡!」


 明美は自分の持つ携帯の明かりを最大限に強くして、私と影薪を含めた三人の周囲を光で囲う。

 空から降る闇と光が接触し、何かが焼けるような音がした。


「ほう、光を扱う小娘か。だがまだまだ非力だな。母親とはレベルが違う。そんな光で我の闇を退けられると思うな」


 鵺の言葉通り、明美の放つ光は徐々に闇に浸食されていく。

 パリンッと光の壁が破れ、闇が侵入してきたその時、天地を震わすほどの呪力が解き放たれた。



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