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第四十一話 妖狐と対面


 私が目を覚ました翌日、薬師寺家における妖刻の後始末は順調に進んでおり、半分以上の者たちは帰路についていた。

 その中には昨日、私に決意を語った明美も含まれていた。

 彼女の場合はなんの引き継ぎもできずに当主の座についてしまったため、この家の後始末よりも当主としてやらなければならないことを学ぶことの方が優先順位が上だった。


「葵、無事だったみたいだな」


 ぞろぞろと帰り始める者たちの中から一条が顔を出す。

 彼は全身を包帯でグルグル巻きにされており、ぱっと見はどうしても私以上に重症に見えた。

 私も私で、変な動きをすると激痛が走る体ではあるが、流石に一条にはかなわない。


「今の貴方に心配されたくないんだけど?」


 一条の包帯の量たるや凄まじく、肌の面積よりも包帯の面積の方が際立っていた。


「というより出歩いて大丈夫なの?」

「なんとか歩けはする。いつまでも寝ているわけにはいかない。当主としての責務があるからな」


 一条は耳に痛い言葉を口にした。

 彼に一条家の当主としての責務が待っているのと同じように、私にも薬師寺家当主としての責務が山済みである。

 寝ている場合じゃないのは私も同じであり、だからこそこうして筋肉痛で悲鳴をあげる体に鞭をうって出歩いているのだ。


「お腹は大丈夫なの? 普通の人間はお腹を貫かれたら死ぬわよ?」


 腹を貫かれて三日後に歩き出すのはいかがなものか?

 頑丈にも程がある。

 頑丈かどうかというよりも生物として正しくない気すらしてくる。


「この程度で死んでたまるか。しかもスキームの野郎に貫かれた傷だ。絶対に死んでやらねえ」


 ここまで来るとやせ我慢や執念の域といえる。

 死ぬかどうかや致命傷かどうかではなく、自分が許せるかどうかで結果を変えている。

 本当に化け物じみているとは思う。

 実は一条は妖魔の血を引いていると言われても驚かない。


「そういう葵はどうなんだ? 影薪が筋肉痛って言ってたけど」


 一条は言いながらクスクスと笑っている。

 あの子、私が筋肉痛で寝込んでたってそこらじゅうで言いふらしてるんじゃないでしょうね!

 恥ずかしすぎるから止めて欲しいんだけど!


「半分正解よ。いまは御覧通り凛々しく立っているでしょう?」

「そうか? 姿勢が変だぞ?」

「それは筋肉痛だからよ」


 私はとうとうしっかりと笑い出した一条に背を向けて歩き出す。


「どこに行くんだ筋肉痛」

「うるさいな~レイピアに刺された人。私も私で仕事があるのよ。国への結果報告もしなくちゃいけないし」


 そうなのだ。

 薬師寺家当主は妖刻のあとに大事な報告をしなければならない。

 当然ながら国にとっても妖刻の結果は重要である。

 なにせ、国防の観点からしてみれば他国ではなく妖魔という、にわかには受け入れがたい存在への対応となるからだ。

 しかも通常兵器で妖魔の大軍と戦うのは無謀極まる以上、私たち四大名家が妖刻を戦っているのだ。

 その結果は非常に重要となる。


「そうか……じゃああんまり邪魔しちゃいけないな。俺は家に戻る」

「早くその風穴を塞ぎなよ?」

「葵も筋肉痛をとっとと治せ」


 一条はそう言って玄関に向かって歩き出す。

 しかし数歩進んだ先で、何か言い残したことがあるのか振り返った。


「それと妖狐によろしくな」


 一条はキョトンとした私を残して去っていった。


 妖狐によろしくな?

 そういえば私が意識を失ってからの二日間、妖狐はどこでどうしていたのだろう?

 美月さんが言うには、妖刻が終わって私を美月さんに預けた後、自分から地下牢に戻っていったらしいけど……。

 そもそも他のみんなは妖狐のことをどう思っているのだろう?


 私は心なしか体が冷えてきた気がした。

 妖狐としっかり話さないといけない。

 もう彼は地下牢に封印されているわけではない。

 これからどうするのか、それとも妖界に戻りたいと言い出すのだろうか?


「これから地下牢に行くの?」


 影薪が私の影から出現し、私を見上げる。


「そのつもりだけどなんで?」


 私は影薪の意図が読めなかった。

 これまでだってほぼ毎晩会いに行っていたではないか。

 何を今さらという感じではある。


「ちょうどあたしも話があったんだよね」


 なんだか嫌な予感がする。

 影薪が妖狐に話?

 いままで散々、妖魔の王と仲良くしてどうするの? とかなんとか言っていたくせに?


「変な話じゃないでしょうね?」

「全然! むしろ真面目な話だし、葵も話を聞けば納得するって」


 自信満々に言い切った影薪をとりあえず信じることにして、私は地下牢への扉を開けた。

 もう封印の気配はない。

 しかし誰もここには近づいてはいない。

 妖狐を生で見た者は、彼が人間側であることは分かっているはずだ。

 だが、それでも彼が妖魔の王であることには変わりはない。

 半信半疑なのかな?

 それとも恐怖心?


「降りるよ」

「うん」


 私は深呼吸をして階段を下りていく。

 いままで何度も通ったルート。

 だけど今までとは意味合いが違う。

 封印されていない彼との対面。


 私と影薪は内心のドキドキを腹の底に沈め、妖狐が待っている地下牢へと足を踏み入れる。

 地下牢の中は以前と何も変わらない。

 唯一違うのは、引きちぎられた鎖ぐらいのもので、妖狐自身も封印されていた時と同じ場所に座っていた。


「葵、調子はどうだ?」


 妖狐は普段と同じように話しかけてきた。


「私は大丈夫だけど……そっちはどうなの?」

「どうとは?」

「ほら、封印されているわけでもないし、これからどうしたいのかなって」


 こうして妖狐と対面していると、三日前にお姫様抱っこされていた時のことを思い出し頬が赤くなるのを感じた。

 あの時の安心感はいまでも胸に刻まれている。


 本当に絶望的だった。

 鵺に何もかも上回られ、呪力も使い果たした後の闇の中、解き放たれた妖狐の呪力を感じた時の私の気持ちはきっと誰にも分からないだろう。

 そして彼に救い出された時の安堵感。

 彼に抱きかかえられていた時のぬくもり。

 私の全身がその感触を憶えている。


「俺か? 特に何もないが?」

「え、何もないの?」


 私と影薪の声が揃って木霊する。

 何かあるかと思っていたのに、下手したらここを出ていくと言われると思っていたのに……。

 全ては杞憂だったのだろうか?


「ないさ。この地下で三〇〇年だぞ? 人生で一番長く過ごしたのはここなんだ」


 妖狐は若干、引きこもりのようなことを言い出した。

 ここにいてくれるのは個人的にはすごく嬉しいが、一つ問題がある。


「なら良いけど、妖狐の存在をどうしようかなって」


 私が一番考えなければいけないのはそこだ。

 国への説明や、他の名家への説明。


 妖狐は薬師寺家が地下に封印しているという状態が長すぎたのだ。

 この前提条件が崩れた世界が想像できない。


「ここであたしに提案があります!」


 影薪は待ってましたと言わんばかりに挙手をする。

 目がキラキラと輝いている影薪……。

 私は知っている。

 この子がのっている時は、大抵とんでもないことを言い出すのだ。


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