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第五十九話 明美の悩み


「後日、時間くれないかな?」

「明美が私に?」


 立ち上がって発せられた第一声に、私は思わず聞き返す。

 今までの明美の私への態度からは信じられなかったのだ。


「うん。お母さんが死んじゃって、あたしが西郷家の当主になった。だけどあまりにもあたしには準備不足だった。それをこの数日で実感した。だからこうして一条に話を聞いてもらってたんだけど、葵にも相談したいこともあって……ダメかな?」


 遠慮がちな明美のお願い。

 当主となって、その仕事量を知っているからこその配慮だろう。


「別に構わないけど、話を聞くぐらいしかできないよ?」

「うん。大丈夫。ありがとう!」


 明美はお礼を言って着席する。

 一条はそんな明美の様子に頭をかいていた。


「一条は何か思うところでもあるの?」

「いいや、単純に葵に負担をかけたくなくてさ」

「なんでよ? 同じ当主じゃない?」


 私はなぜ一条が誤魔化そうとしたのかが分からなかった。

 別に明美が誰に話を聞いてもらおうと自由だと思うから。


「妖刻の時に実感した。俺たちと葵は違うって。俺なんか貴族位の妖魔一体が限度だった。明美はそもそもこれからだしな。だから、せめて他のことは俺たちでカバーしたいと思ったんだよ」


 簡単な話、私の負担軽減のためってこと?

 そこまで大変そうに見えるのかな?

 自分を客観視したことはあまりないけれど、私は私のできることをただしているだけ。


「気持ちは嬉しいけど、そんな気遣いは要らないわ。私も一条も明美も、自分のできることをただやっているだけでしょう? 私はたまたまその”できること”が人より大きいだけ。負担はみんな同じだと思ってるから大丈夫」


 私は一条に遠慮するなと告げる。

 私たちは同じ立場の者同士のはずだ。

 家は違えど当主であり、妖魔から人々の生活を守る立場。

 協力こそすれど、遠慮しあうのは違うと思う。


「それに妖刻は終わったのよ。しばらくは力を高める時間がある。焦る必要はないんじゃない?」


 まだ実感は薄いが、妖刻は終わったのだ。

 犠牲はあったが終わったことに変わりはない。

 次の妖刻へ向けて、私たちは今以上に強くならなければならない。


「葵は良いことを言うな~」


 思わぬタイミングで妖狐が口をはさんできた。

 一条と明美はびっくりして妖狐を凝視する。


「なんだ? 何か変なことを言ったか?」


 二人の様子に妖狐は困惑気味だ。

 私はそんな彼らの様子を見て頬が緩むのを感じた。

 なんとなく妖狐と一条たちの交流が嬉しかったのだ。

 妖狐はまだ恐れられる存在だ。

 二人はともかくとして、妖狐にというより妖魔という存在自体に悪意を向けている者も大勢いる中で、こうして退魔の名家と妖狐が同じ空間にいられることにホッとしている。


「いや、妖狐って喋るんだ~って思って」


 明美が正直な感想を口にする。

 確かに薬師寺家の者でなければ、妖狐という存在は分からないだろう。

 薬師寺家の者でさえ、当主以外は直接会うことすら叶わないのだ。

 そう考えると明美のこの反応は、むしろ普通なのかもしれない。

 彼らからすればずっと伝聞でのみ存在している妖狐。

 生きて動いている絵が想像つかないのだ。


「妖刻の時に一度は会ってるでしょうに」


 私は思わず口にした。

 事情は分かっていても、会ったこと自体はあるのだから。


「あの時は私も動揺していたし、あまりに非日常だったから」


 明美は言い訳をして軽く頭を下げて一条の陰に隠れてしまった。


「なんで俺のうしろに隠れるんだよ」

「なんとなく」


 明美と一条を見ていて、こっちが恥ずかしくなってきた。

 あまりにも初々しいカップルそのものだったから。


「葵たちもあたしから見たら同じだからね」


 影薪の声がする。

 え、私たちあんな感じなの?


「うるさい! じゃあ明美、また連絡ちょうだい」


 私は影薪の頭を小突き明美たちに背を向ける。


「ありがとう! それで二人はどこに行くの?」

「私たち? これから映画でも観ようかなって」


 興味津々といった様子で聞いてきた明美に答える。

 妖狐を手を繋ぎ席を立った。


「本格的にデートだな」


 一条が楽しそうに指摘する。

 私は黙って頷き、そのままお支払いを済ませて店を出る。

 なんだかいろいろとスッキリした気がする。

 妖狐を連れて一条たちと話ができるタイミングが来るとは思ってもみなかった。


「ところで映画ってなんだ?」


 お店を出て少し歩いたところで、妖狐がお馴染みの疑問を投げかける。

 説明しても分からないだろうな~。


「たぶん観たほうが早いけど、簡単に言ってしまえば作り話を映像で観るの」

「映像で?」

「そう、映像で。家のテレビの大きいバージョンって感じかな」


 妖狐はなんとなくは理解してくれたのか頷いて私の手を引いた。

 いつもは私からだったのに、彼から手を引いてくれたのだ。

 なんてことはないのだろうけれど、こんな些細なことに胸が高鳴った。


「じゃあ行きましょうか!」


 私たちは近くの映画館に急いだ。




「人間ってあんな恋をするのか」


 映画を見終わった妖狐の感想がこれだった。

 恋愛映画を観た第一声としては、きっと世界で初めての感想だろう。


 私たちがいまいるのは、映画館と目的のレストランのあいだ。

 もうすでに空が暗い。

 時刻は午後七時を過ぎていて、このままディナーと洒落込みたいところだ。


 私が選んだ映画はいま流行りの恋愛映画。

 若い子向けの青春ラブストーリーで、妖狐が楽しめるか心配だったが、映画館で彼の様子を盗み見ていた限りでは違う方向性で楽しんでくれていたらしい。


「葵ぐらいの人間はああやって日々過ごしているのか」


 続く感想がこれである。

 とても恋愛映画を観たとは思えない感想ばかりだ。


「流石にいつもじゃないし、全員じゃないよ? だけどあれに近しいことをしている子たちはいっぱいいるんじゃないかな?」


 私はあえて疑問形で返す。

 友達がいない私には、実感のない内容であることには変わりはない。

 あれ、私も妖狐側の人間かもしれない。


「葵はああいうことをしたいのか?」


 妖狐の言うああいうこととは一体何を指しているのだろう?

 キスとかハグとか?

 もしかしたらそれ以上の……。


「ああいうのって?」

「一緒に学校に行ったり?」


 予想の斜め上の回答に私は本当に躓きそうになる。

 そうか、言われてみれば一緒に登校しているシーンが多かった気がする。


「妖狐が学校にいたら変でしょう? 私も今さら学校に未練なんてないから」


 そうこう言っているうちに、目的のレストランに到着した。

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