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第六十話 異常な数値


「あんな料理が存在するのか」


 レストランのディナーを終えた私たちは、帰りのバスに揺られていた。

 奮発して人生初のフランス料理のお店に入ったのだが、私も妖狐と同じ感想だった。

 あんな手間のかかった料理が存在していいのかと思う。

 手間の割に量が少なく、大きなお皿にちょこんと乗っているだけの料理に、妖狐と私は唖然としていた。


「味は絶品だけど時間もかかるし、普段からはちょっとあれかもね」


 私は正直な感想を口にする。

 全コースメニューが出揃うまでに二時間弱かかっていた。

 あれだけゆっくり食べれば、確かにあの量でも満腹感は得られるが、いくらなんでも食事に時間をかけすぎな気がする。


 揺られるバスの中、私は隣に座る妖狐の手を握る。

 今日一日デートをしてみて分かった。

 やっぱり私は妖狐が好き。

 本当に、家族という感覚と同じくらい異性として意識しているのだ。


 幸せな気持ちが心に火を灯す。

 心に灯った火が、私の中の罪悪感を溶かしていく感覚がした。

 今日は本当に初めての経験だらけだった。

 初めての異性とのデート。

 妖狐との何気ないお出かけも初めてだった。

 ドキドキと心地よさが同居する彼の隣。

 そこにいられる幸せが、殺伐とした気持ちに勝っていた。


「ありがとう妖狐」

「それはこっちのセリフだろ? なんで葵がお礼を言うんだ? 連れ出してくれたのは葵だ」


 妖狐も今回のデートを楽しんでくれたらしい。

 それにはホッとした。

 妖狐は私なんかよりずっと長生きだ。

 もしかしたらデートなんて幼稚なことに付き合ってくれているだけかもと思っていたが、そんなことはないみたい。


「また行きたいな」

「同感だ。それまでに現代のことについてもう少し知っておきたい」


 妖狐からすると、デートの刺激よりも目新しさが勝っていたかもしれない。

 そう思うと少しくやしくも感じるが、ことデートというイベントに関しては私も妖狐とどっこいどっこい。

 妖狐が現代の知識を頭に叩き込むあいだに、私は私で年頃のイベントについてもう少し把握しておきたい。


 そんな幸せな時間に水をさすように携帯が振動した。

 画面を見ると、雨音さんから一通のメールが届いていた。

 中を開くと至急、当主会談を行いたい旨が書かれている。

 この緊急性と、雨音さんからのメールとなるとちょっとマズイ事態かも知れない。


「誰からだ?」


 携帯が通信機であることを理解し始めた妖狐が、相手を知りたがった。


「雨音さんよ。北小路雨音。現北小路家の当主にして観察者」

「観察者?」

「そうよ。北小路家は代々水を操る家系。そのせいもあって呪力の流れやそういったものを観測するのが得意で、北小路家の役割となっているの」


 北小路家は他の名家ほど妖魔退治の仕事は回ってこない。

 それでも名家たらしめているのはその役割だ。

 大気中の呪力の量や流れについて観察を続け、大きな何かが起きる前に察知する。

 だから私は北小路家を観察者と呼ぶ。


「ということは何かあったってことか」

「そうなるわね。あ~あ、仕方がないけど幸せはそう長くは続かないものね」


 私はバスの中で両腕を伸ばす。

 心から残念な気持ちと、ほんのわずかな平穏にデートできたことを感謝した。

 またこうして過ごせるように、問題は早く対処しなくちゃいけない。


「とっとと解決してしまえばいいだろう?」


 妖狐は簡単に言う。

 まさに彼の言う通りなのだが、こうして言い切ってしまえるのは彼が本当に強いからだろう。

 強さは単純な戦闘能力のことを指しているわけではない。

 妖狐という男は、生き物として強い。

 そう感じた。

 滅多に動じないし、自身の能力に裏打ちされた自信と揺るぎなさを感じる。

 芯からブレない人。

 私の目に映る妖狐はそういう人だ。


「それもそうね。解決してしまえば済む話」


 妖狐と一緒にいると思考が単純化されて心地よい。

 あれこれと抱く感情が、妖狐が隣にいるだけで吹き飛んでいく。

 やるべきことにだけ集中できる。


「じゃあ当主会談の日程を決めますか」


 私は自分のスケジュールを確認し、他の当主にメールを送った。




 デートを行った三日後、雨音さんのメールから始まった当主会談が実施された。

 場所は当たり前のように薬師寺家であり、一応は私が主催という立場だ。

 薬師寺家の本殿の中に会議室が用意されており、そこにいま四大名家の当主が集合しているかたちとなる。

 会議室はシンプルな部屋で、部屋の中央に円卓が置かれ、椅子が四つ揃っている。

 部屋の一角にはホワイトボードが存在し、大体はそこに資料を貼りだしたり意見をまとめたりしている。


「久しぶりという感覚はないですね」


 集まった私たちの最初の感想がそれだった。

 妖刻が終わって一ヶ月も経っていないのだ。

 死闘を終えたばかり、その傷が癒えてない者もいる。

 恐ろしいことにデートの際に遭遇した一条は、もうすでに腹の傷は完治していたらしい。

 本当に人間だろうか?


「それで、今回集まった理由はなんだ? 葵だって本調子じゃないんだろう?」


 一条は私を見る。

 確かにその通り、ほんの少しだけ呪力は戻ってきているがまだ戦闘は難しい状態だ。


「ええ。だけど観察者たる雨音さんから連絡があればやむなしよ。雨音さん、お願いします」


 私が話を振ると、雨音さんは立ち上がりホワイトボードに資料を貼りだした。


「簡潔に申し上げますと、大気中の呪力数値が異常な値を示しています」


 雨音さんの貼った資料には、ここ十年間の呪力数値がグラフとなって示されていた。


「確かに異常ね」


 大気中の呪力量は、妖刻を終えると一気に数値がへこみ、そこから十年後の妖刻に向けて徐々に上昇する。

 しかしいま現在の値はというと……。


「去年と同じ値……」


 明美が呟く。

 異常なことに数値が昨年の数値と同じ程度。

 前例のないことだ。

 妖刻という現象は大気中の呪力量が濃くなった結果、妖界と人間界の狭間が揺らぎ起きる自然現象だ。

 理屈だけで言えば、いつ妖刻が発生してもおかしくない状態といえる。


「原因は分からないのよね」

「ええ。残念ながら。ただ、ここ最近また妖魔による事件が増えてきているのは事実ですので、もしかしたら何かあるのかもしれません」


 妖刻の前は妖魔による事件が増える。

 これは今まで通りの通例であり、いまも増えている現状を見ると本当に妖刻直前となんら変わらない。


「絶対に何かしら理由があるはずよ」


 私の発言に、明美も一条も雨音さんも同意する。

 自然に呪力濃度が上がるにしては、数値が異常すぎる。

 絶対に何らかの原因があるはず。


「ここから缶詰ね」


 とことん原因を考えて追及しなければ、あの地獄はいとも簡単に再びやって来るのだから。




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