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第六十四話 お見舞い


 私と明美は母上が入院している病院の入り口に立っていた。

 特訓という名の模擬戦を行った私たちは、その足で母上に会いに行くことになったのだ。

 和美さんを亡くしたばかりの明美に遠慮しようとしたが、明美がぜひ会いたいと強く希望したのでこうして一緒にやって来ている。


 母上には当然ながら妖刻の詳細は伝わっている。

 和美さんが殉職したことも知っている。

 仲の良かった母上はどう思っているのだろう?

 悲しんでいるのだろうか?

 それともいつも通り、私情と仕事は分けるべきと割り切っているのだろうか?


「七階となります」


 受付を済まし、私たちはエレベーターに乗り込んだ。


「葵の母上に会うのは妖刻の前に会っただけだな~」

「ああそうか。和美さんと一緒に家に来た時についでに来てるんだっけ? 私はいつぶりだろう?」


 毎月会いに行くとかそういう関係でもないせいで、いつ会ったかさえ思い出せない。


「あんた、もう少し会いに来てあげなさいよ」


 明美に注意されてしまった。

 傍から見ればそうなのだ。

 それは私も分かっている。

 自分の母親が体調を崩して入院しているのにお見舞いにも行かない親不孝者。

 だけどこればかりは他人には分からない。

 私と母上は単純な娘と母親ではなかった。


「そうなんだけどね……。ちょうどいい。きっと会えば分かるわ」

「どういう意味よ?」

「外向けの顔と私に対する顔は違うってことよ」


 ちょうど七階のランプが光り、エレベーターのドアが開いた。

 ここは大学病院で、賑わっているという表現はおかしいがそれなりに人は多い病院だ。

 しかしこの七階はシーンと静まり返っている。

 なぜならここは一般病棟ではないから。

 フロア案内では関係者以外立ち入り禁止となっている。

 つまりこのフロアは妖魔に関連する者たちが入院するフロアなのだ。


「この先ね」


 エレベーターを出て右側に進む。

 静まり返った廊下に私と明美の足音だけが不気味に響く。

 昼間だというのに妙に薄暗い雰囲気なのはひとけがないせいだろうか?


「失礼します」


 私は病室の前につくと一度深呼吸をしてノックする。

 明美は私の仕草を見てやや驚いた様子だった。

 普通の親子ではありえない仕草だから仕方がない。


「久しぶりね葵。それに……明美ちゃん?」


 病室のドアを開くと、カーテンまで閉め切られた部屋の中央にベッドが置かれている。

 前からそう。

 もっと窓に近づければいいのにと前に言ったことがあるが、危ないからと却下された憶えがある。


「お久しぶりです母上」


 明美は私の言葉遣いに目を丸くする。


「葵、とりあえず初めての妖刻を乗り切ったことは素晴らしいわ。だけど被害者が多すぎないかしら? 薬師寺家当主としての自覚はちゃんと持っているんでしょうね?」


 ほらね。

 二言目には薬師寺家当主としての自覚。

 こんなだから私は母上とは会いたくもないし話したくもないのだ。


「申し訳ありません」

「それに和美までやられてしまって……」


 母上は珍しく言葉を詰まらせた。

 明美の目の前ということもあるのだろうが、やはり十数年来の友人であり戦友であった和美さんの死は堪えているようだった。

 そんな母上を見て、私は少し安堵した。

 良かった。

 母上はまだ親しい人の死を悲しむ心が残っている。


「それはあたしが未熟で……」


 明美の言葉は、しかし母上が片手で止めた。


「いいえそれは違うわ。明美ちゃんはまだ当主ではなかった。妖刻の準備も不十分の中だったのだから貴女に責任なんてないの」


 母上は母上なりに明美を励ます。

 少し安堵した矢先、母上は鋭い視線を私に向けた。


「悪いのは貴女よ葵。四大名家の当主を務める人材がどれだけ貴重か分かっているの?」


 ああそうか。

 そうなるのか。

 私は胸の奥が痛んだ。

 涙は流れない。

 だけれど胸の詰まる思いだ。


「そんな! 葵は悪くないじゃないですか!」


 明美が私をかばう。

 ありがとう明美。

 でも無駄よ。

 母上にそんな理屈は通用しない。


「いいえ違うの。悪いのは葵。葵がもっとうまく立ち回って戦えていれば、きっと和美が死ぬようなことにはならなかった。そうでしょう葵? 貴女にはそれだけの力があるんだから」


 前と同じだった。

 昔からずっと変わらない。

 ただ意地悪やいじめのようなものならどれだけ楽だったろう。

 どれだけ割り切れただろう。

 でも違うのだ。

 厳しさの中に私への異常なほどの期待が混じっている。


 何かができなかったとき、うまくいかなかった時、必ず怒られる。

 ミスを責めているわけでもなく、力不足を糾弾するわけでもない。

 ただただ、葵ならできるはずなのにどうしてやらないのかと責め立てる。

 どれだけ嫌だったことだろう。

 どれだけ裏で泣いていただろう。

 思い出せないぐらいだ。

 でも私はこの母上から薬師寺家当主の座を引き継いだ。

 もう昔の私ではない。


「私の力及ばずでした。薬師寺家当主としての自覚をさらに強く心に秘めて日々過ごしていきたいと思います」


 私は嫌味ったらしいほどによそよそしい口調で宣言した。

 昔の自分だったらショックで固まっていただろう。

 母上もそうなると思っていたのか、即座に返答があったことに驚いていた。


「葵、貴女……」

「もう昔の葵じゃないよ?」


 私の影の中から影薪が姿を見せる。

 本当はずっと影の中に潜んでいる予定だったのだが、どういう風の吹き回しだろうか?


「影薪、貴女から見て葵はどう?」


 母上は今度は影薪に標的を移した。

 影薪は一瞬たじろぐが、すぐに目つきを変えた。


「じゅうぶん以上に役目を果たしているよ。あたしが休めないくらいね」


 影薪は堂々と言い切った。

 言い切ってくれた。


「……そう。ずっとそばにいる貴女がそう言うのならそうなのでしょうね」


 母上は静かにそう言った。

 少しの沈黙が室内を支配する。

 重苦しい空気の中、明美が母上に近づいた。


「あ、あの、夜間に光鏡を使う方法を探していて……なにか良い方法を知りませんか?」

「ああそういうことね。和美が死んでしまったら明美ちゃんが当主になるしかないものね。それで、和美のやり方は知っているけど実践できないってこと?」

「はい。恥ずかしながらその通りです。私には土台となる力も、きっと才能も足りない」


 和美さんはきっと西郷家歴代でもトップクラスの才能だったのだろう。

 それはあの歳まで現役で居続けられたという点だけでも推し量れるところだ。


「残念だけど答えは持っていない。だけど一つだけアドバイス。和美も親から教えてもらったわけではないの」

「ではどうやって?」


 明美が不思議そうにたずねた。

 てっきり親から教わったと思っていたからだろう。


「自分で編み出したのよ。自分にもっとも適した戦い方を。それは自分でやるしかないことなの」


 母上の答えは期待していたものではなかった。

 しかし明美は残念がる素振りは見せなかった。


「分かりました。ありがとうございました」


 お礼を口にする明美の表情は明るかった。

 自分で自分の戦い方を模索する。

 それがいま彼女に足りないことなのだ。



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