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第六十五話 家族旅行


 私が母上のところにお見舞いに行ったのが十日前のこと。

 明美はあれから自分で自分の戦い方を見つけ出すと言って別れ、それからは一度も連絡を取り合ってはいない。


 この前妖狐が見せた一瞬の違和感もあれ以降出ていない。

 自分の部屋の中で自分がどこにいるか分からなくなるなんてあるだろうか?

 寝ぼけていたのなら分からなくもないけれど、妖狐に限ってそんなことはないと思う。


「なんだったんだろう?」

「何が?」


 私の独り言に影薪が聞いてきた。

 常に式神が一緒にいる私に独り言は許されないらしい。


「前に妖狐も混ぜて遊ぼうってなったじゃない?」

「うんうん!」

「その時にさ、部屋を開けたら妖狐がボーっとして私を見つめてたんだよね」

「なに? のろけ?」


 しまった、言い方を間違えた。いろいろ大事な言葉を端折り過ぎたせいで、とんでもなく自意識過剰な女になってしまった。


「違うって! そうじゃなくて、ボーっとしたあとに”ここはどこだ”って言ったのよ」


 私の必死な様子に影薪は私で遊ぶのをやめたらしい。

 真剣な表情に変わり、顎に手を当てて考え出した。

 まるでどこぞの探偵のようではないか。


「寝ぼけてたとか?」


 散々考えた末に出た結論に、私は思わず影薪の頭を軽く叩いた。

 そんなのとっくに思いついている。

 知りたいのはそうじゃない。

 妖狐に聞いても寝ぼけてたの一点張りだし、ちょっと不安なのだ。


「葵ってば心配し過ぎじゃないの? 恋する乙女は違うね~」


 影薪は再びいつものおちゃらけモードに戻ってしまった。


「……気にし過ぎかな?」

「気にし過ぎ。いまはもっと大事なことがあるんじゃないの?」


 影薪は私の役目を思い出させる。

 そう、いまは異常な呪力濃度の方が問題なのだ。

 それをなんとかする方が大事であり、いまはまだ原因すら掴めていない。


「そうね。あんたの言う通りよ」

「じゃあ早速お出かけかな?」


 いまは朝の七時。

 なぜこんな早くに起きているかというと、今日は珍しいことに泊りがけのお仕事なのだ。


「なんでわざわざ葵に依頼が来るわけ?」


 影薪が不思議そうに首をかしげている。

 なんてったって今回の仕事は妖魔事件ではない。

 お祓いなのである。

 それも遠方の旅館の……。

 なんで私?


「妖魔の専門家=霊媒師とでも思われてるんじゃない?」


 私としてもいい加減にして欲しいところなのだが、こういった依頼は数回経験している。

 国や警察などの公式な仕事ではないこともあり、若干胡散臭い連中にあったりしたこともあったがなにせ報酬が大きかったりする。

 それになにより今回は宿泊費は向こうが払ってくれる。


「旅館ってどこなの?」

「ここから徒花駅に向かって、そこから出るバスに乗って三時間ね」

「バスで三時間!?」


 影薪が叫ぶ。

 気持ちはわかる。

 流石に三時間バスに揺られるのは好ましくないが、考えようによってはお祓いを除けば家族旅行ができて、その上報酬までもらえるのだ。

 やらない理由がない。

 それにこれまでの経験上、心霊的な何かに遭遇したことはない。


「やかましいな。出かける準備はできたのか?」


 自室のドアが開けられ、眠そうな妖狐が顔を出す。

 どうやら私たち以上にこの旅行を楽しみにしているらしく、すでに着替えまで終わっている。

 前に一緒に買い物した格好。

 まだ出かけるまでに一時間はあるというのに、すでにチェスターコートを着てしまっている。

 楽しみにしてくれているのは嬉しいが、いくらなんでも早すぎだ。


「今回は美月さんも一緒に行くから本当に家族旅行みたいだよね」


 とはいえ私も妖狐のことを言えない程度にはワクワクしている。

 家族旅行なんて人生で一度も行ったことがないのだ。

 母上はああいう性格だし、お父さんは十年前に亡くなっている。

 美月さんはずっといたけれどとても家族旅行なんていう雰囲気ではなかった。


「お待たせしました。皆さん準備は良いですか?」


 一時間後、美月さんは大きなスーツケースを転がしながら玄関にやってきた。

 服装もばっちり決まっている。

 美月さんの実年齢は三十後半ぐらいのはずだが、どこからどう見ても清楚なお姉さんにしか見えない。

 二十代後半でも全然通用するスタイルと美貌を持ち合わせている。

 そんな美月さんが外行きの格好をしてしまえば、周囲の目を引くのは避けられそうにない。


「美月さん、決まり過ぎよ」

「マズかったでしょうか?」

「いや、良いんですよ。良いんですけど!」


 妖狐がいるだけで目を引くというのに、そこに美魔女と呼ぶにふさわしい美月さんまで加わったらとんでもない。

 おまけに黒いスモックを来た幼児体型の影薪まで揃ってしまえば、とんでも家族の完成である。


「そろそろ出発しますよ」


 美月さんはいつも以上に張り切っているように見えた。

 こうして薬師寺家として一緒にお出かけするのは初めてだからだろう。

 ましてや旅館に泊まるのだ。

 美月さんのテンションがめずらしく高くてもなんの違和感もない。


「じゃあ行きましょうか!」


 私たち四人は息まいて薬師寺家を出発した。




「もうじき見えてくるね」


 私たちはバスで徒花駅まで向かい、そこに来ていたバスに乗って三時間ほど揺られていた。

 どんどん景色は街中から山間部へと進んでいき、やがて温泉街らしき場所へとやってきた。

 高速道路をかっ飛ばし、隣の県の反対側にある山間部。

 その中でももっとも標高の高い山の中腹に、温泉街は存在する。


 霧月温泉。

 たったいま通った看板にそう書かれていた。

 源泉かけ流しらしく、今回泊まる旅館”霧夢”は、温泉街の中にある旅館の中でもっとも高級な旅館となる。


「今回の依頼はお祓いなんだろ? どの時代もこういうのだけは無くならないんだな」


 妖狐の口ぶりから察するに、三〇〇年前も霊媒師やお祓い的なイベントはあったらしい。


「夜になる前に済ませたいね」

「なんでだ? 本当に幽霊を払うなら夜中の方が良いんじゃないのか?」


 妖狐は丑三つ時にお祓いをするべきだと主張する。

 冗談じゃない。

 私はありもしない心霊現象に形式上のお祓いをして温泉に入りたいのだ。

 丑三つ時にお祓いなんてしたら肝試しになってしまう。

 そんな話をしているうちに、バスは温泉旅館”霧夢”の前に到着した。

 バスから降り、縮こまった体を伸ばした私たちの前に高級旅館が待ち構えていた。


「ここね……」

「すごいね……」

「ここか……」

「良いところですね!」


 四人が各々感想を漏らす。

 美月さんは一人だけ非常にハイテンションだが、美月さんを除く私たち三人はお互いの顔を見合わせた。

 ああ……平和な家族旅行は終わりを告げそうだ。


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