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第六十六話 高級旅館”霧夢”


「葵、気づいたか?」

「ええもちろん。妖魔の気配? なんか普通の気配とは違う感じね」


 高級旅館”霧夢”を目にした瞬間に感じた違和感は、美月さんを除く私たち三人は共通して持っていた。

 もしかしたら今回のお祓い依頼、初めて本当にお祓いすることになるかもしれない。


「三人ともどうしたの~?」


 荷物を旅館の人に預けて数歩先に行っていた美月さんが手を振る。

 なんて楽しそうな笑顔だろう。

 絶対に彼女の笑顔を守らなければいけない気がしてくる。

 思えばいつもいつも美月さんにはお世話になってばかりだ。

 せっかくの楽しい家族旅行。

 彼女に心配はさせたくない。


「なんでもない! ほら二人とも行くよ」


 私は影薪と妖狐を急かして美月さんに続く。

 絶対にこの違和感を美月さんにばれないように解決して見せる!



「すごい部屋ね」


 私たちは早速部屋に案内された。

 部屋は三階の角部屋だ。

 一応スイートルームらしく、内装は非常に豪華だった。


 ドアを開けた瞬間に、十二畳ぐらいの開けた和室が視界に飛び込んできた。

 和室に続く廊下の右側にはオープンキッチンがあり、そこから半和室のモダンなダイニングが見渡せる。

 恐ろしく広い部屋で、ダイニングも含めたら二十畳以上は余裕でありそうだ。

 ダイニングと和室のすべてがベランダに出られるようになっており、ベランダからは物悲しい日本海が一望できる。

 まさに絶景。

 日本海と山が同時に楽しめるのは本当に贅沢な気分。


「見て! 温泉もあるよ!」


 影薪の声が響く。

 急いで影薪のところへ向かうと、完全プライベートの温泉がベランダに備わっていた。

 流石はスイートルーム。

 実際にお金を払って泊まったらいくらするのか確認するのも恐ろしい。


「お祓いはいつやるんだ?」

「夕飯の後だったはず」


 時計を見るとまだ昼過ぎ。

 本当はチェックインするには早いのだが今回は特別に入らせてもらっている。

 何をしよう?


「ねえ温泉街の散策でもしない?」


 美月さんがなにやらパンフレットらしきものを持ってきた。

 一体どこで入手したのやら……。


「いいですね。他にやることもないですし」


 私以外の二人も賛成し、私たち一行はフロントに向かう。


「案内の者をお付けしましょうか?」


 受付の人がそう申し出てくれた。

 どうしよう?

 確かに土地勘は全くないしな~。


「せっかくの申し出ですが遠慮させていただきます。家族で過ごしたくて……」

「はい、わかりました。お気をつけていってらっしゃいませ」


 一瞬迷った私の代わりに、美月さんが一切迷わずに断った。

 家族で過ごしたい……美月さんがただの旅行でここまでテンションが上がっているわけではない。

 きっと人生初の家族旅行、このメンバーでの旅行だからここまで大切に想っているのだ。


「いいでしょう?」

「そうですね」


 一応立場的に美月さんが私に確認するが、答えは決まっている。

 私たちはフロントに鍵を預け、旅館から出る。

 温泉街はここから歩いていける距離だ。

 というよりもう見えている。


 高級旅館霧夢は、温泉街よりも高い場所に建てられており、やや長めの坂を登って行けば到着する。


「バスからチラッと見えてたけど、こうしてみると凄いわね」


 美月さんの感想は私たち全員の気持ちを代表していた。

 思ってた以上に広くて楽しめそうだ。


「あそこ行ってみようよ!」


 影薪が私の服を引っ張る。

 指さす先を見ると、白い湯気が立ち昇っていた。

 天然温泉が広場の中央に溜まっているようで、この寒空に暖かい蒸気を上げている。

 その天然温泉をはさむように舗装された道が分かれ、その道沿いに木造の風情のあるお店が立ち並ぶ。

 いまがちょうど閑散期なのもあって人の気配はそこまでない。

 まばらに人影が見える程度で、そんなに好奇の目で見られる心配もなさそうだ。


「ここはなんだかのんびりしているな」

「時間がゆっくり流れてる感じね」


 妖狐は体をグッと伸ばす。

 この空間にいるだけで自然体になれるような気がする。

 空に舞い上がる蒸気を見ているだけで、心がほんのりと優しくなる気がした。


「早速行きましょうか」


 美月さんを先頭に、私たちは温泉街を一周することにした。

 この温泉街には本当にいろんなお店が並んでいた。


 昔ながらの射的やスマートボールのような遊び場もあれば、温泉饅頭やソフトクリーム、おせんべいや串焼きなどの食べ歩きができる出店が幅を利かせている。

 温泉街の突き当りには足湯もあり、私たちは寒さで冷え切った足を暖める。

 そんなこんなで温泉街をぐるりと堪能していると、気づけばかなりの時間が経過していた。


「もう五時!?」


 温泉街にやってきたのが一時前。

 時間の流れがゆっくりに感じられたのはただの錯覚で、ちゃんと時間はきっかりと進行している。

 思えばずいぶんと空が暗い。

 寒さも厳しくなってきた。


「とりあえず戻りましょうか」


 私たちはいろいろと購入した物品を両手に抱えながら、旅館への長い坂道を無心で登る。

 楽しかったなというふんわりとした気持ちが私の中で渦巻く。

 射的では妖狐が異常な正確性を発揮し、店主のおじさんを驚かせていたし、影薪は温泉饅頭を一気に五個頬張って窒息死しかけていた。

 美月さんも美月さんで、串焼きを十本は食べていた気がする。

 あんなに食べるのが好きなのに、どうやってあのスタイルを維持しているのか謎。

 今度聞いてみようかな?


「葵、着いたよ」


 ボーっとしていた私に影薪が声をかけた。

 もう旅館のエントランスに到着しており、私は我に返って美月さんの後を追う。

 一度部屋に戻り、買ってきたお土産を整理しているとあっという間に夕飯の時間がやってきた。

 やっぱり旅の楽しみは食なのだ。


「行きましょうか」


 夕飯は旅館内にあるレストランで味わう形式で、私たちしかいない完全個室でシェフが挨拶をしに来た。

 次々と運ばれるコース料理は、海の幸と山の幸が合わさった和食で構成され、私たち四人は舌鼓をうつ。

 最後のデザートを食べきったあと、玉露をゆっくりと飲みながら目を瞑る。


 なんだか嘘みたいな時間。

 そんな感想が沸き立つ。

 あまりにも普段と違いすぎて、本当にこんな幸せでいいのかなと疑ってしまう。

 影薪がいて美月さんがいて、となりには想い人の妖狐も一緒にいる。


「まあでも、このあと現実に戻されるけどね」


 私は誰にも聞こえない声で呟いた。

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