素晴らしい夕飯に舌鼓をうったあと、私たちは美月さんを部屋に戻してからお仕事に入る。
幸いなことに美月さんはお酒を飲んでいたため、いまは布団の上でぐっすりだろう。
彼女が寝ている間に仕事は終わらせたい。
なぜなら今回の依頼は、ただのインチキお祓いでは済ませられないからだ。
「こちらです」
旅館のオーナーが深々と頭を下げた。
渡された名刺には霧夢雅俊と書かれていた。
てっきり霧夢は地名からとったのかと思っていたのだが、オーナーの名前からだったらしい。
私は名刺を受け取り、オーナーと付き人を先頭にして歩き出す。
向かう先は旅館の地下室だった。
エレベーターで地下三階に降りると、そこは不気味なほどシーンとした空間だった。
「シーズン中であれば食料などの備蓄をしている場所なのです」
オーナーの説明に納得する。
確かにいまはオフシーズンなので問題ないが、シーズンになると一階のスペースだけでは備蓄は置いておけない。
ここはそのためのスペースなのだ。
空間は怖いぐらい広く、軽くどこぞの体育館程度の広さはありそうだ。
右の壁際には古くなった家具や布団などが寄せられ、その手前には温度調整の不要な業務用らしき食料品が段ボールに詰められて保管されていた。
「問題はあちらの部屋でございます」
そして問題の部屋は反対側にあった。
この空間に唯一ある扉で、壁などは全面コンクリートで固められているのに扉だけは古びた木でできていた。
最初にバスから降りた時に感じた違和感の正体は、間違いなくあの扉の向こうから伝わってくる。
「よろしくお願いいたします。あの部屋は私が父からこの旅館を受け継いだ時からあのままなのです。時折不気味な唸り声が聞こえると、従業員から話があったのですが無視しておりました。霊などいるはずがないと……しかし昨年から、その声がよりはっきり聞こえるようになったと報告が上がるようになり、さらには従業員の一人が失踪してしまい……流石にこれは専門の人に見てもらおうかと思いまして、今回ご依頼させていただきました」
オーナーの話に嘘はなさそうだった。
私を呼ぼうと思ったのは従業員が失踪してから。
流石に失踪となると放置は難しい。
噂が広まれば悪評ともなるのだ。
「葵、用心しろ。その扉、様子がおかしい」
妖狐は私に耳打ちする。
妖狐が警戒心をあらわにしているところを見ると、それなりに危険だということになる。
「ちなみに失踪した従業員はどんな方でしたか?」
「失踪したのは二十代後半の女性です。警察にも届け出を出しまして捜索しているのですがいまだ見つかっていません」
日本の警察の調査能力は世界でも相当上位に食い込むレベルだとどっかで聞いたことがある。
女性一人を発見できないとは到底思えない。
これは何かある。
「分かりました。それではお二人はここから退室願います」
「何故ですか?」
「危険なことになるかもしれないからです」
オーナーと付き人の疑問を一蹴し、私は再び扉に視線を移す。
やっぱり何かおかしい。
幽霊でも妖魔でもなさそうな雰囲気。
「分かりました。我々はエントランスで待たせていただきますので、終わりましたらお声がけください」
「ご協力感謝いたします」
部屋から出ていく二人を、私は営業スマイルで送り出す。
問題はここからだ。
「雰囲気だけで言えば次元ポケットが近いのかな?」
影薪は扉をじっと睨んでそう言った。
私もどちらかというとそっちの意見だ。
次元ポケットに近いものがある。
しかし、こうも立て続けに次元ポケットに遭遇するものだろうか?
一条と共に戦った次元ポケット以前は、次元ポケットの存在など知っている程度だったはずだ。
それが妖刻の前に一度、前回の団地の件で一度、そして今回もそうだとすると流石におかしい。
となるとこれは次元ポケットではないと考えたくなるが……。
「これは次元ポケットだろうな」
妖狐は私とは逆の意見らしい。
彼からすればれっきとした次元ポケットらしく、その自信は揺るぎない。
二度あることは三度あるという言葉があるように、次元ポケットである可能性は高いだろう。
しかし少しの違和感が消えないのだ。
「なんというか……悪意を感じない」
私は違和感の正体に気づく。
いままでの次元ポケットは、中にいる妖魔の悪意のようなものが漂っていたのだ。
だからこその圧迫感だったり、嫌悪感があったのだが、ここにはそれがない。
空虚な次元ポケットが目の前に展開されているように思えた。
「悪意か……中に誰もいないのかもな」
「つまり用済みの次元ポケットってこと?」
「さあな。次元ポケットは自然発生する場合もある。これがどうかは中を見てみなきゃ分からない」
妖狐はそう言って一歩前に出る。
「ちょっと、どうする気?」
「どうするも何もお祓いするんだろう? だったらとりあえず扉を開けようとしただけだ」
「私がする」
「いいやダメだ。この次元ポケットは今までとは勝手が違う。本当に、世界が違うんだ」
いままでと勝手が違うのは確かにそう。
なぜなら私は今、この次元ポケットへの入り方が見つかっていない。
目的のない空間には、容易に手出しできないのだ。
「だから俺がこの扉を開く。次元ポケットの空虚な中身を拝んでやる」
妖狐は私をうしろに下げて扉に手を触れた。
するとバチバチっと紫の電流が流れ、妖狐はとっさに手をひっこめた。
「大丈夫?」
「ああ、なんでもない。やはりそうだ。この次元ポケットは俺たちを拒絶している。中に見られたくないものでもあるのかもな」
妖狐は再び手をかざす。
右手に呪力を集めだす。
「呪法、世界反転」
妖狐の低い声が響いたかと思うと、扉から紫の電流がさっきとは比べ物にならないほどの激しさで迸った。