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第六十八話 もぬけの殻


 妖狐の呪法が発動し、扉から漂っていた危険な気配が霧散した。

 何かわからないもの、正体不明なもの。

 どんな理屈で、どんな理論で危険なのか分からなくても関係ない。

 妖狐は私の身の安全を最優先に考えた結果、最大出力でこじ開けることにしたらしい。


「開くぞ」


 妖狐の髪がなびく。

 悪意のない、敵意のない次元ポケットの入り口に穴が開いた。


「中に入ってみようか」


 甲高い音がしたと同時に、扉から漂っていたただならぬ雰囲気は消えていた。

 そして私でも感じられるほどに、次元ポケットの入り口が解放された。


 妖狐は私に先んじて扉を押し開く。

 驚くほどあっさりと開いた世界の境界。

 これが可能なのが妖狐の本気なのだ。


「何もないね」


 私と影薪の声が重なった。

 何もない。

 本当に何もなく見える。


「もっと広いと思ってたんだけどな」


 いままでの次元ポケットが異常だっただけなのかな?

 そう思えるほど、この次元ポケットもどきは小さく狭く矮小に見えた。

 視界に広がるのは薄暗い空間。

 本来のこの扉の中と大して変わらなそうな広さの空間だった。

 ただの物置のような場所。


「ねえ見て、あれ!」


 影薪が突然声を張り上げる。

 視線を物置の奥に送ると、一人の女性が倒れていた。


「生きているわね」


 私たちは急いで駆け寄り、脈を測る。

 無事に生きていてホッとする。

 意識がないだけで、見たところでは外傷はない。


「偶然この場所に迷い込んでしまったんだろうな」

「そんなことあり得るの? ただの一般人が迷い込むなんて。私たちは貴方の力でこじ開けたのに?」


 固くしまっていた世界との境界線。

 妖狐の呪法でこじ開けたというのに、ただの一般人が無意識に入ってしまうなんて考えにくい。


「あり得るさ。中に入ってみて分かった。これは自然発生した次元ポケットではない。となると中に入ろうとする者にのみ、強固な結界を発生させる類だろう。その気がない一般人が迷い込む余地はじゅうぶんにある」


 ということは彼女はただ単に運が悪かったってことになる。

 まだ息があるのは不幸中の幸いだ。


「呪力にあてられて昏睡状態になっているだけだな」

「そうね。数日呪力のない空間で眠らせておけば大丈夫そう」


 私たちは昏睡状態の彼女を連れて扉の外にそっと寝かせる。

 影薪を念のために護衛につかせ、私と妖狐は再びこの次元ポケットに戻ってきた。


「こういうのを神隠しって言うのかな?」

「神隠しか……隠しているのは次元ポケットだが、誰かが意図的に隠しているわけじゃない以上、神隠しというのは言い得て妙だな」


 まさか神隠しの正体がわかるとは思わなかったけれど、今からはこの次元ポケットを調べなければならない。

 一体、誰が何の目的でこの場所を作ったかだ。


「一緒にぐるっと回るか」

「そうね」


 私は妖狐の提案に乗り、彼の手を握って倉庫内を一周する。

 特別変なところはない。

 強いて言えば、漂っている呪力が独特なことだ。

 自然に感じられる呪力とは異なる。

 どこかで感じたことのある呪力の気配。

 誰だっただろう?

 知っている感覚だ。


「知っている呪力の感覚なのよね」

「俺は知らないぞ? 俺が地下から出てくる前に葵が会っている妖魔かもな」


 妖狐が地下牢から解放される前に出会った妖魔。

 その中でも次元ポケットを発生させることができた者。

 つまりそれなりの実力者。


「そうか……あいつだ! スキームだ!」

「スキーム? ああ、同一体を生み出す妖魔か」


 スキームの呪力の波長。

 しかしとなるとこの場所はなんなのだろう?

 スキームは一条が確実に殺したはずだ。

 私も一緒にいたので間違いない。

 奴が生き延びていて、この場所を次元ポケットにした可能性はない。

 確実に妖刻で死んでいる。

 となると……。


「妖刻の前ね」

「そうなるな。あとは目的さえ分かればここを消し飛ばしてしまおう」


 妖狐は残忍な笑みを浮かべる。

 どことなしか力を使う時に嬉しそうなのは、彼がやはり妖魔だからだろうか?


「まだやめてよね。いろいろ調べたいんだから……あれ? 何あれ?」


 私は天井を見上げる。

 そういえば見てなかったと上を確認すると、変なものが天井にくっついていた。

 変なものというか、植物?


「うん? あれは呪力をまき散らす花だな。妖界に存在する植物で、名は呪花じゅか。呪力欠乏症になった妖魔の治療に使われている花だ」


 呪力をまき散らす花。

 そういえばスキームの次元ポケットには妖界の植物が存在していた。

 そう思えばアイツらしいのかもしれない。


「ねえ妖狐。この呪花が吐き出す呪力って次元ポケットの外にも漏れ出す?」

「漏れ出すな。だからこの旅館に着いた時に違和感を覚えたのだろう?」


 もしかしてという気持ちが膨れ上がる。

 可能性がないわけではないという推論でしかないが、そう思えば全て解決する。

 妖刻前にこのもぬけの次元ポケットを作った理由も説明がつく。


「ねえ妖狐。ここってさ、呪力濃度を上げ続けるための次元ポケットって考えられないかな?」

「どういうことだ?」


 妖狐は続きを促す。

 もうこれは確信に近い。


「妖刻は十年に一度。そう私たちに思わせておいて、不意打ちができれば妖魔たちからすれば有利に立てるよね? 私たちは十年に一度だからこそ、この一戦に全てを注ぎ込んでくると思って妖魔たちの相手をしている。でも、仮に彼らが一回で勝ち切ろうとしていなかったら? 私たちが十年に一度という期間だけを計算して、妖刻の訪れを把握しているとあいつらが勘違いしているとしたら?」

「そういうことか。人間側が呪力濃度で妖刻の訪れを測っているわけではなく、あくまで期間だけで準備していると妖魔側が思いこんでいた場合、確かにこの方法は有効だな」


 妖狐にも私の考えが伝わったらしい。

 妖刻は十年に一度。

 それは妖魔側も人間側も同じ認識だ。

 だけれど私たちは呪力濃度の高まりで妖刻を予期している。

 それを妖魔側が知らなかった場合、妖刻が終わったあとのタイミングで奇襲を仕掛けるというのは立派な戦略となる。

 そのための仕掛けがこの次元ポケットだとしたら?

 空気中の呪力濃度が高まった時、妖刻は訪れる。

 だから人工的に呪力濃度を高めるために、この次元ポケットが用意されていたとしたら?


「そう考えるとわざわざ貴族位の妖魔が妖刻前にこっちに来ていたことの説明がつくのよね」


 次の妖刻への備えのために、スキームは妖刻より以前にこっち側に来ていたのだ。

 あくまで私の推論。

 しかし限りなく正解に近いと私は思っている。


「なるほどな……。正解はたぶんそれだろう。となるともうここには用はないな?」


 妖狐は金色の呪力をあふれさせた。




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