「呪法、月の影法師」
私は初っ端から呪力を全開で発生させる。
相手は妖狐。
いくら模擬戦といっても、手抜きで勝てる相手ではない。
「おいおい葵、全力はなしって言ったじゃないか」
「それは貴方だけよ妖狐。私は良いの!」
我ながらメチャクチャな理屈だが、妖狐が全力を出してしまっては万が一にも私に勝機はなくなる。
これはそういう戦いだ。
「来い、皆月!」
全力とは言いつつも、戦い方は普段と変わらない。
別に私は新しい戦い方がほしいわけではない。
これまでの戦い方のまま力をつけたいのだ。
「なるほど、これは確かに厄介だろうな」
世界が私の放つ闇に覆われても、妖狐は楽しそうに笑っていた。
まるで審査員かの如く、私の呪法をじっくりと観察する。
「面白い呪法だ」
妖狐がそう言って指を鳴らす。
するとまだ皆月の触手が出現しきっていないまま、世界が破壊されてしまった。
暗闇にヒビが入り、本来の陽光が空間に差し込んだ。
「非常にスケールの大きい技だ。それでいて葵の呪力コントロールがずば抜けているせいか、使用している呪力は必要最低限に抑えられている。だが弱点として発動速度かな?」
妖狐は見事にこの技の弱点を言い当てた。
皆月を呼び出すこの呪法、かなり早いタイミングで空間全体を暗闇が覆い、相手が慌てふためいているあいだに皆月の触手が出現するのだが、それが見破られてしまうとかなり脆い技となっている。
皆月が出現してはじめて完成するこの呪法は、逆に言えば皆月が出現する前に空間を壊されると技が瓦解してしまう。
その弱点を瞬時に見抜き、おまけに本当に一瞬で世界を破壊してみせた。
やっぱり怪物だと思う。
とてもじゃないが敵う気がしない。
「ここらでやめておこうか。これから本番だというのに、いたずらに呪力を消費するものではない」
妖狐は体の力を抜く。
私も影薪も黙って頷いた。
模擬戦にすらならないのはいまのでわかった。
「落ち込むなよ葵。お前のその弱点、的確に突けるのは俺ぐらいのものだぞ?」
妖狐は励ますつもりかそう言って私の頭を撫でた。
頭に乗せられた彼の手の感触に、私はホットしつつ納得した。
確かに彼の言う通り、妖刻でも攻略はされなかった。
もちろん力技で破られることはあったが、構造の弱点を突かれて破られたことは一度もない。
そして今のやり取りで妖狐の強さの一端がわかった気がした。
彼の本当の強みは、圧倒的な呪力量でもコントロール技術でも、ましてや呪法の強力さなんかではない。
妖狐を妖狐足らしめているのは、その正確無比な洞察力と推察力だ。
ひと目見ただけで技の構成を見抜き、その弱点を把握して破ってしまう。
前の次元ポケットで、妖狐が指を鳴らすだけで相手の技が掻き消えていったが、その理由がよくわかった。
相手からしたら絶望だろう。
今回は模擬戦だが、もしも実際に敵として眼の前に立ち塞がったらと思うと寒気がした。
「ここにいたのですね」
模擬戦を終えてのんびりしていた私たちのもとに、雨音さんがやってきた。
とても妖魔事件を一件片付けた後だとは思えないほど身だしなみが整っている。
「こんにちは雨音さん。もう事件は良いのですか?」
時計を見るとまだ三時だ。
予定よりも随分早い。
「ええ、予定よりもだいぶ早く見つけ出せましたので」
そう微笑む雨音さん。
相手が妖魔となると微笑みの意味合いが変わってくるから恐ろしい。
おそらく四大名家の中でもっとも妖魔退治に積極的なのが彼女だ。
雨音さんはいつも通りの格好だった。
キリッとした凛々しい姿。
普段の格好は都度違うが、妖魔と戦うときは決まった格好をしている。
軍服のような服に身を包み、足元はしっかりと頑丈そうなブーツを履いている。
肩までで綺麗に切り揃えられた黒髪が輝く。
「相変わらずお早いですね」
「ええ、主人もいますので」
そうだった。
雨音さんには旦那さんがいる。
しかも相手は一切妖魔の世界とは関わりのない一般人。
北小路家のお役目に関しては一定の理解はしているものの、なぜ雨音さんが戦わなければならないのかについては疑問視しているらしい。
それに関してはおそらく全員が思っていることだ。
私たちにだけ戦いを押し付けて平和に暮らしている人たちに、何かしら思うところがないわけではない。
しかしそれをいっても仕方がないので、そんな薄暗い感情を押し込めながら戦っているのだ。
「では早速向かいましょうか」
「ええ、お願いします」
相変わらず雨音さんは固いまま。
どちらかというと私も明美も、きっと一条も、雨音さんはやや苦手だろう。
怖いとかそういうのではなく、なんとなく本心を私たちには見せてくれない感じがする。
簡単に言ってしまえば距離を感じるのだ。
「喋ってないでとっとと済ますんだろう?」
次元ポケットが家の近くで発生したのもあってか、妖狐はいつにもなく乗り気だ。
そういえば雨音さんは妖狐のことをどう思っているのだろう?
「雨音さんは、妖狐のことどう思ってます?」
妖狐が一歩先を行く中、私は小声で雨音さんにたずねてみた。
前から分かっていることだが、雨音さんの妖魔に対する冷徹さはずば抜けている。
仮にその感情が妖狐に向くようなことがあれば、今のうちに解決しておきたい。
「そうですね……。あまり好意的には見ていないというのが正直なところですが、早々に妖刻を終わらせるためには必要な人材だと思っていますよ? 葵さんが心配するような害意はないので安心してください」
どうやら私の不安は筒抜けだったらしい。
なんとなくはぐらかされてしまった気もするが、ここはその意見に納得するしかなさそうだ。
「この辺か?」
歩きはじめて三十分ほど。
目的地らしき場所に到着した。
「なにもないねここ」
影薪の感想は至極ごもっともで、薬師寺家の所有する土地のとなりは国が保有する形となる。
流石に一般人がこの場所の地主となると色々と問題があるとのことで、国が買い取っているのだ。
とはいえなにかの施設を建てられるわけもなく、ただの何も無い雑木林となっている。
「ここから流れてきていますね」
雨音さんはその場にしゃがみこみ、手を地面に当てる。
「呪法”水瀑”」
雨音さんの瞳が一瞬青く輝いた。