「呪法”水爆”」
雨音さんの呪力が渦巻く波のように高まっていく。
初めてしっかりと見ることになる雨音さんの呪法。
やがて雨音さんの足元から無数の水滴が浮かび上がる。
「刻印を撫でろ! 道を開け!」
雨音さんが叫ぶと、彼女の周囲の水たちが意思をもって目の前の空間に網目状に広がっていく。
まるで何かをなぞっているように、見たことのない紋様が浮かび上がる。
「雨音さん、これは?」
「これは北小路家に伝わる結界の類を押し切る呪法です」
さらっと物凄いことを言っていると思う。
通常結界にはルールや仕組みがあり、それを覆せるのは妖狐などの圧倒的な呪法のみだが、雨音さんのこの呪法はそういう力技とは違う。
結界にこの解除法が正解だと思わせるもの。
簡単に言えば結界そのものを騙してこじ開ける技。
やがて複雑怪奇な紋様に広がった糸状の水たちが、高圧洗浄機のような音を立てて動き出す。
すると目の前の景色が歪み始める。
結界を切り開けているようなものだろうか?
「すごいな」
妖狐は感心するように手を叩く。
彼から見ても雨音さんの呪法は異様なようだ。
とても普通の呪法とは思えなかった。
「その呪法、本当に人間のものか?」
妖狐が気軽にたずねた。
本当に世間話のような雰囲気を持って、雨音さんに問いかけた。
一体どういう意味だろう?
「……よく、わかりましたね。流石は妖魔の王といったところですか」
雨音さんは一瞬の沈黙のあと、静かに答えた。
その声はどこか冷たく、凍てつく気配があった。
「なんとなくだが人間が編み出す呪法とは少し違う気がしてな。それは葵の呪法も同じだが」
私はギョッとして妖狐を見上げる。
まさか話の対象が私にも拡大されるとは思わなかった。
「どういう意味?」
私は訳知り顔の二人に聞いてみる。
もしかしてまだまだ隠された事実とかあったりするのだろうか?
「簡単な話だ。葵とそこの女の呪法は人間が生み出したにしては”強力過ぎる”ということだ。一条や西郷のような呪法はなるほど人間らしく見えたが、お前たちのは違う。明らかに使い勝手が良すぎるうえに強さが違う」
妖狐は冷静に答えた。
まったく納得がいかない……なんてことはなく、正直にいえばちょっと思ってはいたことだった。
実際問題、当人の実力以上に伝わっている呪法の強さの方が能力に直結している。
この前の妖刻でも、私と雨音さんは大変な思いはしながらも貴族位の妖魔を退けている。
明美はまだ戦える状態ではなかったし、一条だってギリギリの相打ちのような状態だった。
呪法の強さが違うというのは納得だ。
「お見通しというわけですか……。仰る通り、この呪法、水瀑はその昔とある妖魔から奪い取ったものと伝わっております。何年前の話かは分かりませんが」
雨音さんは隠すことなく正直に白状した。
彼女はこういったことに嘘はつかないタイプだと思う。
事務的な接し方しかしてきていないが、そういう部分は昔から信用できる。
「そうなんだ……。じゃあ私のも?」
「それは分かりませんが……。葵さんが知らないんじゃ私が知っているわけないじゃないですか」
至極まっとうなツッコミを受け、私は黙るしかなかった。
でも私の呪法も考えてみれば確かに変ではある。
人間が生み出した呪法にしては、異質なのはじゅうぶん分かる。
他の呪法に、妖魔のような存在を呼び出す呪法は聞いたことがない。
「そろそろ開きますよ」
雨音さんがそう言うと、甲高い音が一層強く鳴り響き結界が砕け散った。
目の前の空間が捻じれ、木々の間に小さな時空の歪みが現れた。
「変な感じだね」
影薪が中を覗き込みながら呟いた。
「どういうこと?」
「なんか出来立てほやほや感がある」
なんで食べ物みたいに言うのだろう?
ますます意味が分からない。
「出来立ての次元ポケットなんてことある? 流石にこんなところに次元ポケットを作り出されてたら気づくと思うんだけど」
そうじゃなければ敷地内の見回りも意味がないということになってしまう。
頑張って遠方の次元ポケットを潰しているのに、ご近所さんの存在に気づかないだなんて四大名家の名が廃る。
「いや、ここは確かに出来立てだな」
「妖狐までそんなこと言って……。雨音さんはどう思います?」
私はさっきから黙り込んだままの雨音さんにたずねる。
彼女は私よりこういったことに詳しそうだ。
「私にはちょっとわかりませんが……なんか嫌な感じがしますね」
「中に妖魔がいるとか?」
「ちょっと違う気もしますけど、なんでしょう。得体のしれない何かがとだけ言っておきます」
ちょっと意味深な言葉を発する雨音さんだが、妖狐も頷いているところを見ると実際そうなのだろう。
まあ次元ポケットというぐらいだし、嫌な感じのものがあるのはデフォルトな気もする。
「まあ入ってみればわかることだ」
妖魔はそう言って一足先に次元ポケット内に入ってしまった。
私たちも置いて行かれないように後に続く。
「前のところは呪花があったけどここは……」
実になんとも言えない場所に出てしまった。
さっきまでの風景とほぼ一緒。
呪花もぱっと見は存在しない。
しかし前のところと違うのはやや広いということだけだ。
「誰がいつ用意したのかが分かりませんね」
中に妖魔の気配はなかった。
これだけは確実だ。
となると本当にどうやってできたのだろう?
たまたま偶然に自然発生した次元ポケットがここにあるとは考えにくい。
「薄暗い森の中って感じだけどさっきまでと一緒だよね?」
影薪の言う通り、さっきまで私たちがいた場所とほとんど同じ景色。
自然発生した次元ポケットの特徴ではあるけれど、しかしそれにしては呪力の流れが怪しい。
「ちょっと探りますか」
「いや、こんなもの力づくで壊してしまえばいいだろう?」
雨音さんを制止して、妖狐が呪法を使おうと右手をかざす。
私はそれ見た瞬間、記憶の混濁を起こしていた妖狐の姿がフラッシュバックした。
「待って!」
私は無意識に叫び、妖狐の腕を掴んでいた。
怖くなってしまった。
もしも今度こそ取り返しがつかないほど記憶が混濁したらと。
もしかしたら私のことさえ忘れてしまうんじゃないかと不安になった。
「葵?」
「待って。力を使わないで」
「何を言っているんだ?」
「本当に危なくなったら使って! それ以外では使わないで!」
妖狐も雨音さんも、私のただならぬ様子に沈黙する。
だけど影薪だけは珍しく真剣な顔のままだった。
「一体どうしたって言うんだ?」
妖狐は不思議そうに私の腕をつかむ。
しかし無理矢理引き離そうという感じではなく、優しく包み込むように握られた。
「……葵さんがそう言うのでしたら、やはり私が探索します」
雨音さんはそう言って地面に手を置いた。