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第七十三話 モザンクルス


「この先、妖魔はいませんが巨大な生物の感覚があります」


 この先に巨大な生物が存在する。

 雨音さんの分析結果だ。

 巨大な生物とはなんだろう?

 妖界の生物だろうか?


「そいつがこの結界の主というわけか」


 妖狐は解せないと言いたげだ。

 仮に妖界の生物が主軸に存在するとして、なぜこのタイミングで現れた?


「妖界の生物が次元の隔たりを越えて人間界に来ることはあり得ないよね?」

「ああ、あり得ない。人間界における神隠しの要領で次元ポケットに迷い込む可能性もゼロじゃないが、妖界の生物は呪力に敏感だ。何者かが連れてこない限り勝手にこちら側に来ることなんてない」


 妖狐ははっきりと断言した。

 となると答えは一つ。

 妖魔が連れてきたことになる。

 まあどっちにしろ……。


「直接確かめるしかないってことね」


 私たちは無言で歩き始める。

 目指す先はそこまで遠くない。

 この雑木林のような次元ポケットを早く消し去るために進むしかないのだ。


「しかし現実の土地とあまりにそっくりね」

「普通はこうだぞ?」


 妖狐が私の感想に念押しする。

 いままでがおかしかっただけで、本来はこれが普通なのだ。


 木々の間をただ歩き続けていると、やや開けた場所に出た。

 空は薄暗く、左右に円形に広がった木々たちは中央の広場をより際立たせている。

 その広場の中央に、そいつはいた。

 見たことのない怪物だ。


「なんですかあれ……」


 流石の雨音さんも声が震えていた。

 それだけおぞましい姿の怪物だった。


「あれはモザンクルスか……。無闇に手を出すなよ」


 妖狐がめずらしく緊迫感のある声を発した。

 手を出すなよと言われても、あれをどうにかしなければいけないのは変わらないのだけれど……。

 それにしてもどうしようか。

 とてもじゃないけど近づきたくはない。


「あれはトカゲの仲間?」

「こっちの生態系に無理矢理分類すればそうなるか」


 目の前の怪物は、体長六メートルは下らない。

 固い黄金色の鱗で覆われていて、恐ろしく醜悪な見た目をしており、ワニのように大きな口がなんと上下に二つくっついている。

 四足で動き回る怪物が目の前に鎮座している。

 なによりも口のサイズがとんでもない。

 体の半分は口でできているのではないかと思えるほどだ。

 妖界にはあんなのがウロウロしているのだろうか?


「ね、ねえ。あれってなんなの?」


 私は藁にもすがる気持ちで妖狐に聞いてみる。

 どういう習性があるのか全く分からないのだ。

 はっきりしているのはあれが草食動物ではないことぐらいだ。


「あいつは妖界の中でもっとも危険とされている生き物だ。全生物の中でもっとも妖魔を殺している怪物。滅多にお目にかかれない怪物だ」


 お目にかかりたくもないというのが、大半の妖魔の意見ではないだろうか?

 あんなのに日常生活で出会いたくはない。


「なんでそんなのがこっちにいるのよ!」

「俺に言われても知らん。だが妖魔の誰かしらが用意したんだろう」


 じっとモザンクルスと呼ばれた怪物を凝視する。

 絶対に近づくべきではない相手。

 俊敏かどうかは分からないけれど、あの異様に発達した口に挟まれたら終わりだ。


「ここは遠距離から仕留めねきゃね」


 私が覚悟を決めて前に出ようとした時、雨音さんが私の前に腕を伸ばした。


「待ってください葵さん。ここは私に」


 なぜかやる気になっている雨音さんが呪力を高める。

 目には明らかな殺気が見て取れる。

 あれ、あの怪物とは初対面だよね?


「なにか恨みでもあるんですか?」

「いえ、ただ妖魔やそれに類するものは徹底的に叩くと決めていますので」


 ああそういうことか。

 前からそうだ。

 雨音さんは妖魔関連になると、人が変わったみたいに攻撃的になる。

 どうやらモザンクルスも雨音さんの標的として認定されたらしい。


「行きますよ」


 雨音さんは数歩前に出ると地面に両手をつけた。


「呪法”水瀑”」


 さきほど次元ポケットをこじ開けた時とは桁違いの呪力を練り始める。

 間違いなく本気で仕留めようとしている。

 様子見など一切なしで、一撃で殺す気だ。


水葬戟すいそうげき


 雨音さんの周囲に漂う水たちが、一振りの巨大な鉾となる。

 水の鉾の大きさは刃の部分だけで人よりも一回り大きい。

 鉾が完成したタイミングで、モザンクルスがこちらに気づく。

 しかしもう遅い。

 雨音さんは間髪入れずに、巨大な水の鉾をモザンクルスに向かって放つ。

 目にもとまらぬ速さとはこのことだろう。

 風を切る音と共にモザンクルスに一直線に飛んでいく。


「ダメだ」


 妖狐の独り言のような小さな声が聞こえた。

 しかし水の鉾はモザンクルスに命中する。

 視界を奪う程の水飛沫をあげて、モザンクルスを絶命させるはずの一撃。


「無傷ですか……」


 雨音さんは冷静に結果を口にする。

 水飛沫が収まり視界が開けると、そこには無傷なモザンクルスが立っていた。

 上の口を大きく開けた状態で固まっている。

 一体何をした?


「吸収されたのか」

「吸収?」

「ああ、話によるとあいつに生半可な呪法は効かないらしい。上の口で吸収できてしまう」

「先に言ってよ!」

「いや、俺も初めて見たからどの程度までが効かないのか分からなかったんだ」


 私の指摘に妖狐は弁明する。

 しかし恐ろしいことに、あの一撃が生半可な呪法扱いされてしまった。

 こうなると中々打つ手が見当たらない。

 私の目から見ても、じゅうぶんな殺傷能力を備えた攻撃だった。


「構えろ」

「何?」

「下の口から飛んでくる」


 モザンクルスは上の口を閉じて何かを飲み込んだような仕草のあと、下の口を開き始めた。

 私は嫌な予感がしたが、どうやらその予感は的中しているみたいだ。

 各々が回避行動を始める。


「飛んでくるぞ!」


 妖狐の警告と共に、モザンクルスは先ほど飲み込んだ技をそっくりそのまま放ってきた。


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