さっきと全く同じ攻撃だった。
雨音さんが放った一撃と寸分違わぬ反撃。
「みんな無事?」
決死の緊急回避。
各々が自分の命だけを考えて回避に徹した結果、どうやら誰一人欠けずに済んだらしい。
相手の技をそのまま返す怪物。
それがモザンクルス。
妖界でもっとも妖魔を殺したとされる怪物だ。
「まさかそのままの威力と形で返してくるとは思わなかったですね」
やや悔しそうに顔をしかめたまま、冷静に雨音さんはモザンクルスを凝視する。
相手の呪力を吸収して使ってくるぐらいは想像していたが、まさか全く同じ技を出してくるとは思わなかった。
呪法はそれぞれの体質やクセが連なって放つものだ。
それがどんな技でもそのまま返すとなると、本当にあれが野生の存在なのか怪しく思えてくる。
「確かにあんなのがいたら妖魔もやられるわね」
「自分の技が飛んでくる経験なんてないもんね」
私の意見に影薪が同意する。
本来、自分の技は自分だけのもの。
自分に向かって飛んでくるものではない。
「単純な遠距離技だと相性が悪そうね」
ああいうタイプは接近戦で物理的に殺すか、有無を言わさないほど高威力の呪法で吹き飛ばすほかない。
「すみません葵さん。私とはあまりにも相性が悪いです」
雨音さんは静かに頭を下げた。
普通そうだと思う。
私はまだ式神を呼びだすから戦いようがあるが、呪法とは普通は遠距離技が主体。
唯一肉弾戦で戦えそうなのは一条ぐらいだろう。
「じゃあ今度は私の番ね」
私は一歩前へ。
単純な遠距離技はすべて無効にされてしまう。
だったら式神を呼び出して戦えばいい。
「呪法、月の影法師」
私の周囲を呪力が循環する。
ついさっきの妖狐との模擬戦を思い浮かべる。
視界の先ではモザンクルスが私の呪力の高まりを感知したのか、その巨体を揺らしながら突進してきた。
私の呪法を防ぐつもりだ。
みずからの巨体が優位なことに気付いたのろう。
「来い! 皆月!」
薄暗い空を覆う漆黒の闇。
速度を意識する。
モザンクルスが迫りくる中、妖狐に指摘された部分を改善する。
いつもの二倍の速度で呪法を完成させる。
皆月の触手が暗闇に浮かび上がり、私へと迫るモザンクルスの肉体に絡みついた。
「なんとか止まってくれた……」
モザンクルスと私の距離、およそ五メートル。
皆月は体長六メートルはある怪物の斥力さえ抑えきったのだ。
「そのまま絞め殺せ!」
私の指示のもと、皆月は無数の触手をさらに強く巻き付け、締め上げていく。
苦しむ声がモザンクルスから漏れ出てきた。
このままやれる!
そう思った時、モザンクルスが下の口を大きく開けて私に向けた。
「え?」
呆気にとられた瞬間、モザンクルスの口元に先ほどの
その切っ先は当然私へと向いている。
予想外。
どうしよう。
そんな単語が頭に浮かぶ。
まさか一度飲み込んだ技ならいつでも使えるとは思いもしなかった。
「葵!」
影薪が私の前に立って盾になろうとする。
どうやっても躱せない。
さっきはじゅうぶんな距離があったから躱せたのだ。
いまの距離はたった五メートル。
爆速で飛んでくるあの一撃を躱すには近すぎる!
目と鼻の先で
それを視認したときに、私は”死”を覚悟した。
どんな人間でも、この距離であれを食らえば生きていられるわけがないのだ。
「呪法、世界反転」
死を覚悟した私の耳に妖狐の声が届いた。
ここ最近何度も聞いた言葉。
もしかしたら彼の記憶喪失と関係があるかもと、力を使わないように求めた。
それが発動した。
発動してしまった。
それも私自身が危機にさらされるという形で。
「無事か?」
気づけば妖狐の腕の中。
何が起こったのかは分からない。
あまりにも一瞬で、あまりにも情報量が多かった。
命の危機を迎え、死を覚悟した私の脳ではまだ何が起きたのか理解できていない。
ただ一つ言えることは、私はまだ生きていて、そして彼に力を使わせてしまったことだ。
「……凄い」
ボソッと雨音さんの声がした。
視線をモザンクルスのほうに向けると、そこには何かに圧縮されたような死体が転がっていた。
大きさ、状況から間違いなくモザンクルスの死体だ。
あの呪法を吸収して跳ね返してくる怪物を相手に、正真正銘の呪法で捻り殺したようだった。
相変らず出鱈目な能力だ。
「本当になんでもありね……。でも、ありがとう」
私は静かにお礼を口にする。
妖狐の腕の中で生の実感を得ながら、冷やした肝に血が通う感覚に集中する。
よかった。
まだ生きている。
本当に危ないところだった。
思いもよらぬタイミングで命を落とすところだった。
「もう終わったから大丈夫だ」
さらっと妖狐は言ってのける。
さっきまでの私たちの戦いが馬鹿馬鹿しく感じられるほどの余裕だ。
でも妖狐からしたらその程度の相手なのだろう。
「消えていく……」
私たちの目の前で、モザンクルスの死体が少しずつ煙となって消えていく。
見たことのない光景だった。
死体が消えていくなんて生物としてあり得ない現象だ。
「やっぱりか。やっぱりこいつは偽物のモザンクルス」
「偽物ってどういう意味?」
「言葉の通りだ。こいつは仕掛けで存在させられていた幻影のようなものだ」
妖狐はこのモザンクルスを偽物といった。
幻影だと言った。
あれだけの強さを持ちながら幻影だった?
偽物であの強さ?
「葵、勘違いするな。たぶんあれは本物よりも強い」
妖狐が私の気持ちにこたえた。
本物より強いということは、単純なコピーではなく、足りない部分を足して強化した幻影といったところだろうか?
「ねえ妖狐、あれって花びら?」
私は消えていくモザンクルスの死体の中に花びらを見つけた。
見たことのある花。
真っ赤な花弁が地面にそっと落ちていた。
これは呪花の花弁?
「そうか、だから時間差で発生したのか」
妖狐は納得のいった様子で頷いた。
「ここは旅館の呪花が破壊されたのがキーとなって発生した次元ポケットだ。これも前々から仕込んでいたんだろうさ」
「鵺かな? 場所的に妖刻の際に仕込んだ感じ?」
私は妖狐の意見に納得し、この場所に次元ポケットを用意した理由を推測する。
鵺はとことんこの前の妖刻で勝ち切るつもりがなかったように思えてくる。
「そろそろ出ましょうか。世界が崩れます」
雨音さんの冷静な声が私たちを出口に走らせた。